第64話 蒼貂熊の眼
立て板に水だった岡部の口調が、ゆっくりしたものに変わった。考えながら慎重に話しているに違いない。
「僕たちの目は機能としてはカメラと同じだ。だから、レンズがあり、全体として球形だ。これは、頭蓋の中での眼球の動かしやすさにもつながっている。だけど、蒼貂熊の目は、平らなんだよ。おそらく蒼貂熊の世界では、生物としての基本は複眼になりきれないいくつかの個眼なんだ。それも、ピントも合わせられない程度の。
想像だけど、複眼となるほど目が数を増やせず、個眼のままいくらかの機能改良しただけで進化の袋小路に入っちゃったんだろうな。だから、トンボみたいに頭全体が複眼の塊にはならなかったし、イカから人間に至るような複雑な機能の目も持てなかった。俺たちの目の進化は、創造論を信じたくなるほどの奇跡と言っていいからな」
僕の理解が、ようやく岡部のそれに追いつく。自分で岡部を急かしておいてだけど、早口に話されたら理解できないところだった。
岡部は続ける。
「おそらく、3対の目は複眼としても機能を果たしている。そして視覚を処理する脳の能力の高さも相まって、素早い動きも余裕で捉える。個々の個眼はそれでも進化していて、ピンボケでもいくらかの像の認識もできているだろう。だけど、致命的な欠陥として、分解能は絶望的に低い。いくら脳で情報補正しても、無から有は生じないからな。
たしか蒼貂熊、生梅の食害はあるって話だったけど、稲には被害がないんだったよな。米粒は見えていないのかもしれないぞ。
で、素早い動きは把握できてもピンボケかつ低い分解能だと、矢の飛来は高度な予測にしたがって軌道を判断するしかない。だけど、速度が違って追い越しが生じた2本の矢は分解能的に見切れず、その脳はそれぞれの飛翔経路を分離して予測できない。そもそも、そんなことに対処する必然なんか、生物の進化上思いつかないし。
だって、投擲武器を使う生物なんて、こっちの世界だって人類だけなんだぞ。
で、俺たちはカメラの目で風景全体を一元処理する中で、そんな機能も持っているのも当たり前だけど、実はこれ、目の進化からすれば、ぜんぜん当たり前じゃないんだ」
……なるほど。
「そもそもさ、矢は掴み取れるのに、それより速度が遅い吹き矢は目に当たるってのも不思議だったんだ……」
ああっ、それもそうだな。言われてみれば、まったくそのとおりだ。単に吹いた矢が多いってだけじゃないかも。
僕は岡部に、確認する。
「つまり、
あと、目が眼球じゃないから、頭全体を動かして周囲を見回さなければ、視野は前にしかないってことかな?」
「そうだ。
窓の下にいた蒼貂熊は首を揺らしてた。きっと視野を確保するための警戒モードだ。で、襲ってくるときは首を固定して追跡モードでこちらの動きを見切っている。
とはいえ、追跡モードでは視野が確保できないから上原を追って落っこちちゃうし、注視できていても蔵野のダンクのときは、砕けたガラスの数が多くてその中に紛れた砲丸だけをより危険なものとして認識できなかった。
こうなると、蒼貂熊の脳が同時処理できる飛翔体の数はかなり少ないだろう」
「吹き矢班!」
僕はそう叫んで井野を呼び、そして同時に考えた。
進化ってのは、生物の身体に満遍なく起きるものでもないらしい。フィジカルは僕たちとは桁違い、脳の処理も速い。けど、センサーは劣っている。視覚も聴覚も、だ。岡部の仮説が正しければ、これはようやく掴んだチャンスだよな。
あとがき
第65話 決意
に続きます。
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