第63話 観察と考察


 胸の中ではいろいろな思いがよぎる。だけど、視線は眼の前の蒼貂熊アオクズリから外せない。薄情なようだけど、それが僕の心を救ってもいた。赤羽には首を絞められたり殴られたりもしたけど、だからといって「喰われていい気味だ」とは思えない。

 それでもまぁ、自業自得だって気はする。賭かっているのは自分の生命。そして、これは1個しかないんだ。いくら慎重に行動しても、慎重すぎることはなかった。たとえ、片想いの相手のためだとしても、だ。


 そして、鴻巣。

 赤羽の生命に関しては、お前にも責任の一端はあるぞ。どう考えても、赤羽を煽ったとしか思えないところがあったからな。一体全体、なにを考えていたんだ?


 いや、考え込んじゃいけない。今は、眼の前の蒼貂熊をなんとかすることだけ考えろ。生き延びてこそ、考える時間は生まれる。

「宮原、蒼貂熊に矢を当てる方法を教えてくれ」

「簡単よ。2つのものを投げて、あとから投げたものに追い越しをさせればいい。追い越しがなかったら、2つとも認識する。でも、追い越しが生じると、片方は見えなくなっちゃう」

 ……そんな単純なことでいいのか?

 でも、それなら僕も見た。宮原と一緒に射た矢は、両方とも空中で咥えられ掴み取られた。だけど、宮原が射て、そのあとに僕が射て、追い越した矢は……。うん、当たったな。


 でも、一度きりのあの観察だけを頼りに家庭科室に行ったのだとしたら、宮原はあまりにも危険な一か八かの賭けをしたことになる。北本のボディガードが一番の目的だとしても、なんでそこまで生命を張っての勝負に出たのだろう?


「……なるほど」

 後ろからつぶやきが聞こえた。岡部だな。

「どうも前から可怪しいとは思っていたんだ」

「なにが?」

 僕は、眼の前で動かない蒼貂熊から視線を逸らさずに聞いた。


 僕の問いに、岡部は応える。

「だってそうだろ?

 なんで、蒼貂熊には3対も目があるのか?

 そして、なんでその目は僕たち地球生物のものと異なって、眼球という球でなく平らなのか?

 複眼だとしたら、なおのことだ。トンボだってカニだって、複眼の集まりは球で360度に近い視野を確保している」

「いいから、早く結論を話せ。その知識で、眼の前のやつを倒せるかもしれないんだから」

 僕の声は苛立っていたかもしれない。


 そのせいか岡部は、早口設定されたAIのようにスピードを上げた。

「目というのは、3つの機能が必要だ。色を見分ける、動きを捉える、明るさを感知する、だ。地球上で昆虫、甲殻類以外で、海にいるイカ以上に進化した生物は1つの目でこの3つの機能をこなしている。

 だけど、そこには当然デメリットもある。我々の目は、素早い動きを捉えるのが苦手だ。昆虫や甲殻類の複眼は個々の目で動きを捉える結果、300Hzのちらつきも捉える。なのに、人間は100Hzすら見えない。まあ、だから、アニメが動いて見えるんだけどな。

 複眼は一番優れたトンボで2万個もあって、そのそれぞれの個眼で光景を分割して見ているから、やたらと素早い動きに敏感だ。でも、その分解能は200×100でしかないしピントもボケボケだ。4k画像を見ようとしたら、だいたい830万個、トンボの目で表面積で400倍以上の大きさが必要になる。

 対して俺たちの目は、1つの網膜で同時に3つの機能を一元的に情報処理していて、ピントの合った画像が見れて小型化できるのが強みだ。

 で、蒼貂熊は……、3対の目で3つの機能を分担させているのかもしれない。

 これはすごいぞ!

 昆虫並みの動体視力と、人間並みの分解能を両立……、させてはいないな」

「……なんだ、そりゃ?」

 こんな場面なのに、いささかずっこけさせられた僕は、そう言わずにはいられなかった。




あとがき

第64話 蒼貂熊の眼

に続きます。

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