第56話 志願


 僕は努めて冷静に話そうとした。

「外の蒼貂熊に、僕たちの諍いが聞こえるぞ。

 僕はリスク次第だと言っている。誰かを救うために誰かが死ぬのじゃ、意味がない」

「リスクなしで、どうにかなるはずがないだろうっ!?

 このまま負傷者が増え続け、ジリ貧で全員が追い込まれるのでいいのか?」

 んなこた、僕だってわかっているよ。

 だけど僕たち、今までだって、そのぎりぎりの中で勝ちを拾ってきたじゃないか。誰も死なずに、だ。それが僕、僕たち最前線で戦ってきた者たちの実績だ。


 僕は、赤羽が激しないよう、口調に気をつけて話す。

「こっちは負傷者で済んでいるけど、蒼貂熊は死んでいる。蒼貂熊の数は無限じゃない。この我慢比べはこっちが有利だ」

「こっちの負傷者だって、軽傷じゃない。もう職員室は踏み込まれたし、何人死んだかもわからない。そんな我慢比べし続けられるかよっ!」

 赤羽の語気が荒い。ああ、逆上しちまっているな、こいつは……。それともだれかになんか、焦らざるをえないようなことを言われたのか……。


「あっちはあっち、こっちはこっちだ。あっちの負け戦に、勝っているこっちが動揺してどうする?

 それに、消防と連絡が取れ、救急車の手配ができたらそれに合わせて動くのが基本の作戦だ。今のタイミングで動いたって、時間稼ぎの手を自ら放棄するだけで意味がない」

 あれっ、顔色が変わった。まさか、これが赤羽にとっての地雷なのか?

 

「救急車の手配ができたときにはジリ貧で、こっちの手を蒼貂熊も学習していて、動けない負傷者から喰われる。そうならないって保証はあるのか?

 だいたい、職員室が踏み込まれた今、体育棟がアテになるわけがない。

 ……まさか並榎、負傷者を喰わせている間に逃げようだなんて考えているんじゃないだろうな?」

 これには僕、さすがに頭に血が上るのを感じた。売り言葉に買い言葉、僕も流すことができずに反論してしまった。


「戦いもせずに、無傷のヤツがよく言う。

 お前こそ、ここを抜け出して、臭跡を残しやがって。だから蒼貂熊は、無理やり非常口から入ろうとしたんだ。五十部とラグビー部の1年、それに僕の負傷だって、お前のせいだ。

 それをリカバリしようとして、1年の上原だって命がけで戦って負傷したんだ。その間、お前はなにをしていた?」

 ……左頬が熱い。

 その熱さが痛さに変わってから僕、赤羽から殴られたことに気がついた。


 さすがに、鴻巣を始めとして男子たちが赤羽を抑えつける。

「落ち着け、赤羽」

 鴻巣の言葉に、赤羽は小声で、それでも叫んだ。

「俺は走れる。蒼貂熊を撒くことだってできたんだ。蒼貂熊に怯えるだけのお前になにがわかる?

 偉そうにするな!」

 ……もう議論は終わりだ。これはもう、なにを話しても生産的な結果にはならない。なんか僕が、一方的に酷い目にあわされただけだけどな。


「家庭科室だろうが生徒会本部室だろうが、行くなら勝手に行け。僕は行かない。相手は蒼貂熊だ。喰われない保証なんか、誰にもできやしない。だけど、そんな話も通じない自信過剰な人間と行動を共にはできない。

 それでいいな、鴻巣」

 いきなり話を振られたせいか、鴻巣は一瞬戸惑いを見せた。だけど、それでもうなずいた。


「もう一度、ここにいるみんなに聞こう。

 並榎は行かないと判断した。その上で、それでも赤羽とともに家庭科室に行くと志願する者は手を挙げて欲しい」

 ……鴻巣のその問い自体が無謀だな。

 僕はそう思う。


 井野は今度は手を挙げなかった。吹上も、だ。赤羽に賭ける危険を、少しは自覚したのだろう。

 そんな中、北本は手を挙げた。

「ここでどうこう話していても仕方がない。私には並榎くんや宮原さんみたいなことはできない。できるのは、裏方みたいなことだけ。なら、その役割を全うする」

 ……いったい、なにを言い出したんだ、北本は?



あとがき

第57話 宮原と北本

に続きます。

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