第41話 蘇生


 さすかがに経験はないけど、この衝撃は自動車に撥ねられたようなものだと思う。5m以上は飛ばされたんだ。全身の痛みに声も上げられない。それでも、「このままだと殺されてしまう」という思いで必死に視線を非常口に向けた。


 ……非常口の窓に蒼貂熊アオクズリの腕はない。

 代わりに、ラグビー部の五十部いそべが両手で筒のようなものを抱えて、床に仰向けに白目を剥いて倒れていた。


 1年生たちがわらわらと五十部の足をひっぱり、非常口から引き離す。そして、ありったけの机をそこに積み上げた。だけどもう、机の数が足らない。廊下にあったバリケードが崩され、窓と非常口に積み上げられている。


「五十部、大丈夫か。生きているか?」

 目の前で星がちかちかしている。廊下の硬い床に叩きつけられた身体は、泣きたいほど痛い。もしかしたら、肋骨の1、2本は折れているかもしれない。それでも、なんとか上半身を起こす。


「五十部っ!」

「先輩、五十部先輩、息してません!」


 僕は痛む全身を押して叫ぶ。

「息を吹き込めっ!

 心臓が止まっていたら、胸を押せっ。急げ!

 肋骨なんか折れてもいいっ!」

 僕は叫びながら、半ば這って五十部に近づく。


 名前も知らない1年生の女子が、奥の顔に白いハンカチを掛けた。僕は、あまりの怒りに逆上した。いきなりそれはないだろっ!

 お前たちのために戦った五十部を、なんの救命努力もせずに死んだことにするのか!?

 お前たち、人の心がないのか?

 怒りに言葉も出ずに、僕は這い寄り続ける。


 次の瞬間、その女子はハンカチ越しに五十部の鼻を摘み、一気に息を吹き込んだ。

 僕の理解は遅れてやってきた。ああ、そうか。これ、なんらかの接触感染を防ぐための人工呼吸の正しいやり方なんだ。ハンカチが白かったのは、偶然なんだ。

「五十部、戻ってきてくれ。五十部っ!」

 僕は叫び、気がつけば周りには3年生の面々も揃っていた。


「脈は!?」

「戻ってるっ!」

「名前を呼び続けろ。五十部なら絶対戻って来る」

 これは鴻巣の声だ。

 気がつけば、人工呼吸を続けている1年生の女子の目からは涙が滴り、ハンカチに滲みを作っている。「代わろう」と誰かが言ったのにも首を横に振り、一心不乱だ。


 同じく倒れている1年生3人は、それぞれにダメージを食らってのたうち回るように痛がっている。1年生の女子たちがそんな3人を囲み、涙を浮かべてなんとかしようとしてなにもできずにいる。でも、まだ痛いうちはまだマシだ。


 そんな中、空手部の坂本の声が飛んだ。

「1年、壁際のロッカーを動かせ、固定されているけど、人数の力でひっぱがせ。それでベランダ側の窓を塞げ! 廊下の窓は後回しでいい。

 教卓下の台も動かせるならそれで非常口を塞げ!

 ドライバーがあるから、黒板も外せたらソレも使え!

 廊下と教室の間の壁にも体当たりしろ。外して使う。2段目のバリケードは解体する。その机で大物部材を支えろ!

 全部の教室でだ!」

 坂本はなにを叫んでいるのだろう?

 ずいぶんと必死だよな。

 次の蒼貂熊が襲ってきているのか?

 だけど、それもなんか今の僕には遠い世界の出来事みたいだ。


「並榎くん」

 呼ばれて視線を向け……、られなかった。宮原が膝をついて僕の頭を抱きしめたからだ。

「死ななくてよかった」

 僕の顔に、宮原の涙の雫が落ちる。

「……マジで死ぬかと思ったぜ」

「……実は、私も」

 こんなときなのに、なぜかその会話が可笑しくて、僕は少し笑った。


「ぷはぁっ」

 そこで、息を吐き出す大きな音がした。

「五十部、気がついたか?」

 鴻巣が確認した。




あとがき

第42話 持病

に続きます。

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