第11話 化学部
3射目にして、ようやく蒼貂熊の6つの目のうちの1つに吹き矢の矢が当たった。
それを認識し喜ぶ間もなく、鼓膜が破れそうな咆哮とともに蒼貂熊は身を翻し尻尾を振った。きっと顔を逃がしての攻撃だ。
その威力はあまりに凄まじく、残りのバリケードの机ごと間藤と中島が吹き飛ばされた。射程の短い吹き矢で当てるために前に出すぎていたし、机の散弾が舞った結果だ。なぎ倒されなかった僕たちが、ただ単に運が良かっただけとも言える。
その悲惨な結果を振り返って見る間もなく、僕たちの後ろから茶色いガラス瓶が放られた。
狭い廊下で向こうを向いた巨体と、こちらに向かって走り寄ってきていた巨体が壁に挟まれ、2頭の動きが一瞬止まった。そしてそのこちらに向けられている蒼貂熊の顔にその瓶が当たり、砕けた。
今度の咆哮は悲鳴に似ていた。そして、強烈な痛いほどの酸っぱい臭いが漂う。
2頭の蒼貂熊はもつれ合うようにして僕たちに背を向け、階段を飛び降りていった。
あとに残されたのは、悪甘い臭いと酸のきつい臭い。そして、日常と変わらない廊下の風景。
ちょっと信じられないけど、僕たちは第一波の攻撃を凌げたらしい。どうやら、バリケードを再建する時間も稼げそうだ。僕はなくなってしまったバリケードの位置を超え、階段まで出てそれを確認した。
「間藤と中島は無事か?」
何より問題はそこだ。僕が振り返ってそう叫ぶと……。
岡部が、間藤を抱き起こそうとしていた。宮原は自分の弓を放りだし、崩れた机の山の中から中島を掘り出そうとしている。
間藤の顔は血まみれで、わずかに見えている肌の色は不自然なまでに白く、そばかすが浮き上がって見えている。中島は真っ青な顔で冷や汗にまみれ……、左腕はあらぬ方向に曲がっている。折れているよな、これ。初めて見た。衝撃だよ。
宮原が指揮して、女子たちが間藤と中島を揺らさぬようにそっと教室内に運ぶ。早く医者に見せなきゃだけど、この状況の中でどうしたらいいんだ?
入れ替わりに、文化部の連中までがわらわらと教室から出てきて、てきぱきと机を積み上げだした。
今の撃退で、蒼貂熊が学校の敷地から出ていってくれていればいいんだけど、それはあまりに甘い考えだろう。腹を減らした蒼貂熊が、1人も喰わないままで出て行くことなどありえない。
ここでようやく僕は、さっきのガラス瓶について聞く余裕ができた。
「おい細野、お前、今、なにしたんだよ?」
「理科室の試薬の濃塩酸をぶつけてやった」
平然と応えるコイツは化学部だ。とんでもないもん、持ち込んでくれたな。それって、危険すぎて、日常で持ち歩けるもんじゃないだろ。職質にでもあったら一発でアウトだ。
「そんな手があるなら、なぜもっと早く手伝わない?」
これは長尾の追求だ。こっちの方が今の現実を見たツッコミだな。
「化学実験室に、試薬購入申請の書類を書きに行ってた。で、アラートがでたから、在庫確認で開いていた試薬庫から持ち出したんだ。もちろん、無許可で劇物を化学室から持ち出したんだから、退学覚悟だ。だから、大っぴらにはできないし、最後まで隠せるなら隠しておきたかった。とはいえ、今のは唯一のチャンスだったからな」
思わずため息が漏れた。
そりゃそうだ。きっと理科室の試薬庫の管理は厳重なはずだ。緊急避難を言い訳にするにしても、故意の窃盗犯だからタチが悪い。
「他にもないのか?
例えば硫酸とか……」
それでも、自分の現金さを自覚しながら僕は聞いた。
あとがき
第12話 物理部
に続きます。
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