第9話 弓道部


 だけど、ぶつぶつと呟くような岡部の声は、もう僕たちの耳には届かなかった。僕は僕で、この場のみんなに対してつぶやき続けていたからだ。

「まだだ。まだ射つな」

 と。

 間藤と中島だって、届きもしないのに吹き矢を吹いてしまうかもしれない。というか、そう言い続けていないと、恐怖のあまり真っ先に自分が射てしまいそうだった。


 なのに……。

 ぎりぎりの緊張は、時として張り詰めた糸が耐えきれないように切れてしまうことがある。蒼貂熊に焦らされすぎて、凝視し続けていた僕の目と脳はついには悲鳴を上げて別のことを考え出した。


 バリケードはそのまま積み上げた机に、横にした机が組み合わされてカバーされてる。だから、視界は机の段ごとに横一列に開けていて決して悪くない。だからこそ余計に怖いんだ。ウチの街にある城趾みたいに銃眼で、そこから覗くのだったらここまで怖くないかもしれない。


 違う違う、そうじゃないっ。集中を切らすな。近寄ってくる蒼貂熊アオクズリから目を離すな。いつものように的に向かい合うんだ。

 なのに、深い池の水底から気泡がぽかりと湧いたような感じで、ふっと疑問が頭の中に浮かんだ。

 目の前の蒼貂熊アイツ、遅すぎねぇか? ってこと。


 蒼貂熊にとって、僕たちが怖いってことは絶対ない。なのに……。まぁ、警戒はしているんだろうけど、それにしても僕たちを襲うのに時間を掛けすぎている。

 その瞬間、僕の頭の中に解が降ってきた。


 僕はとっさに弓をバリケードの上の天井に向けた。その瞬間、視界全体を覆うほどの大きな影がすぐ近くの階段の陰から天井に向かって跳び、そのまま天井と壁の際を蹴って角度を変えて、バリケードの一番薄い最上部めがけて空を舞い……。


 その蒼貂熊の鼻先に、僕の放った矢が深々と刺さっていた。


 あまりにもぎりぎりで、ただひたすらに運が良かった。

 とっさの僕の読みが当たって、矢の先が天井を向いていたことが大きかった。そうでなかったら、絶対、間に合わなかった。さらに、矢を放つタイミングと蒼貂熊がこちらを向いて跳ぶタイミングがジャストに合って、カウンターで矢の威力が増した。これはもう、狙って射た結果なんてことはぜんぜんない。幸運の女神が僕に、僕たちに微笑んでくれただけなんだ。


 天井を蹴ってこちらに跳んだ蒼貂熊は、さらに天井を蹴って廊下に落ちた。予想外の反撃に、バリケードの中に入るのは避けたんだろう。だけど、バリケードの向こう側、至近だ。

 その瞬間に宮原が矢を放ち、間藤と中島も矢を吹いた。


 凄まじい咆哮が響いた。

 全身の毛が恐怖に逆立つ。生態系ピラミッドの絶対上位の存在を怒らせてしまったってことを、僕の身体の全細胞が理解した。僕たちは楽には死ねない。生きながら喰われる。その確信が全身を打ちのめす。

 バリケードの向こう側で蒼貂熊が立ち上がった。遠い方の蒼貂熊も一気に駆け寄ってくる。


 蒼貂熊の鼻には、宮原の放った矢の2本目が刺さっている。だけど、女子の弓力の悲しさ、僕の射た矢の半分も刺さっていない。だけど、そこからはオレンジ色の血が吹き出ている。太い血管を傷つけられたのかもしれない。僕たちの連撃、効いているんだ。

 そして、命中はしていないけど、右目のあたりに2つの吹き矢の矢。


 僕は続けて2本目の矢を射る。だけど、これは簡単に蒼貂熊に咥えられて止められた。これだけの近距離で、どうしてそんなことができるんだろう?

 てか、もう弓矢は学習されちゃったのか?



あとがき

第10話 吹奏楽部

に続きます。

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