開門の儀について
開門の儀、すなわち境となる門を完成させる仕上げの儀式が執り行われることになったのは、
ただ今年は運良く、暦通りにうつくしい霜柱が立った。東の空が青く光りはじめるにつれ、里全体が白く染まっているさまが見えてくる。里人たちの歩みに合わせ、サクサクと心地よい音がした。
里人たちは和やかに世間話をしながら歩いていたが、薄闇の向こうに白装束の少年を認めると、ひとりまたひとりと口をつぐみ、足を止めた。アケにとっては慣れた儀式だが、新しくできた神域の開門など、大抵の人間は経験したとしてもせいぜい一生に一、二度である。ものめずらしさと、作法がわからず様子見したい心情と、そして若き境工の浮世離れした立ち姿に気後れするきもちとがないまぜになって、完成間近の門を中心に、波紋のように静寂が広がっていった。
アケは無言で彼を見つめる視線をなんとなく見返しながら、じっと夜明けの時を待った。かぎ慣れた朱香のかおりが、社の方からうっすらと漂ってくる。濃紺だった山際が徐々に色を鮮やかにし、きらりと、まばゆい金の日差しの端っこが顔を覗かせた瞬間、鈴が鳴った。
その楽の音は、ごく一般的な、つまり丸太を組み合わせて作った朱塗りの鳥居が立っているような社から聞こえてくる類の音楽と、楽器の編成はほとんど同じらしい。鈴の音に笙の厳かな和音が加わり、龍笛がかろやかに旋律を奏でる。
「だが、全くおもむきが異なる。根本的なところで、何かが大きく異なっている……」
少し離れた木陰に佇み、楽に耳を傾けながらぶつぶつと独り言を言っているのは「
里人たちも同じ気持ちのようで、異様に背の高いその男の方をチラチラ見ては、自分の服の合わせ目のところをちょんちょんと指先でつついて、隣近所と目配せし合っている。
皆しばらくそうして見の男をこわごわ観察していたが、楽の音の向こうから徐々に鈴の音が近づいていきているのに気づくと、さっと姿勢を正した。本殿から現れたのは、朱色と黒の装束を纏った巫女である。よその社には巫女が大勢いたり、巫女の上に宮司と呼ばれる男がいたりするが、この社にいる神職は彼女一人きりだ。
「ほほう、これはこれは……」
楽の音はだんだんと大きくなっているのに、見が髭の生えた顎をさすりながら呟いたのが、妙に大きく響いた。皆がじろりと彼を睨み、見は首をすくめて一歩下がった。
だがアケには、見が思わず声を漏らした気持ちもわかる気がした。いつもバタバタしている彼女だが、こういう時だけは特別浄らかな、なにか神がかった存在に見えるのだ。あと、白目がほとんど見えない真っ黒な瞳をしているところも余計に彼女を人外めいて見せている。というか、もしかしたら人ではないのかもしれないと思うこともあるが、なら何の生き物かと問われれば目玉以外はまるっきり人間なので、アケのなかではとりあえず「まあ、人かな……」というところに着地させている。
そんなことを考えている間にも巫女は鈴を鳴らしながら歩き続け、アケや見を含めた群衆と、門を挟んで向かい合った。シャン、とひときわ大きく巫女が鈴を振るったのを合図に、アケが門の際まで進み出る。互いに深く一礼し、アケはふところから小刀を取り出した。まずは
鈴の音とともに巫女の舞が始まった。朱色の袴が鮮やかに翻り、膝下あたりまで垂れる長い黒袖がふわりくるりと宙を泳ぐ。その姿は、朱色の幹に黒い葉を持つ朱木の化身のようである。
里人たちはしばしその光景に目を奪われていたが、「あ」と小さな声で指差した幼子を筆頭に、徐々に気づき始めた。鈴がシャンと鳴るたび、袖が一周まわるたび、門がその姿を変化させていることに。
巫女が舞うたび、樹皮と葉がすこしずつ、すこしずつ、透き通っていっている。消えてなくなっているのではない。色が変化しているのだ。
こうして比べれば鈍い色をしていた樹皮はうすく透明な層となって、まるで幾度も蜜蝋を塗って仕上げたかのように、内側の鮮烈な朱を艶めかせ引き立てた。
漆黒の葉はその黒色をそのままに、しかし実体をなくした淡い影のようになって、やわらかな朝の風にさらさらと揺れる。白く紗のかかった情景のなかで、朱の色だけがひどくくっきりとかがやいている。
それがなぜだかはアケにもわからないが、こうなると朱木はもう成長しない。春になっても枝を伸ばさないし、梢に新しい葉が増えることもない。けれどその葉が散ってしまうことはないし、門は止まった時の中でいつまでも生き続ける。
最後の一回りを終えた巫女が、深々と美しい礼をした。里人たちが思わずといった様子で手を合わせ、首を垂れてそれに応えた。楽の音に合わせ、巫女が背を向けて本殿へ歩いてゆくのに続いて、アケを先頭に、皆がその後に続いた。
一歩一歩丁寧に、けれど、ただ真っ直ぐに。
もう、境越えのためのややこしい歩みは必要ない。
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