あかぎれ姫の結婚

入夏みる

第1話

 高い山脈から降りてくる冬の風は、容赦なくこの国を囲う城壁に吹き付ける。

 山の麓にあるこの城壁国家・エミリスワン王国の冬が厳しいことは、国民たちはみな経験的に知っていた。

 北部の山の一部にそびえ立つエミリスワン王国は一年の中で一番冬が長い。

(そろそろ雪は止みそうかな?)

 城壁都市の一番高いところにある城の中から、外の景色を見つめている一人の姫がいた。

 名前はカミラ・アップルトン。齢17になったばかりである。

 まだ外は吹雪いているものの、少しずつ厚い雲が薄くなり、青空が見え始めている。雪がどっさり降ったあとは、こうして台風一過のように晴れ渡ることも多いのだ。それはそれで、気温が上昇し積雪していた雪を溶かして、夜に再び氷にしてしまうという、別の危険もはらんではいるが。

 カミラは外へ出るため身支度をした。姫だというのにドレスでは着飾らず、国民たちと同じような見栄えのしないただの平服。チュニックにコルセを前締めして、スノーブーツを履いた。上着に白いコートを羽織り、もう一度外を見る。もうすでに雪は殆ど降っておらず、空も快晴だ。

「よし、行こう」

 部屋においてあった雪かき用のスコップを手に、カミラは部屋を出たのだった。


 城を出て城下へ石段を降りていくと、朝の支度をしている中年の女性たちに出会う。

「おや、カミラちゃん」

「クレールおばさん! おはようございます」

「また雪かきかい?」

「はい。城門棟の扉が一部雪で開かないって聞いたので」

 声をかけてきた女性の前で足を止め、笑顔で答える。

 家の中から、朝食のいい香りがしてきて、カミラは自分が空腹であることに気づいた。

「お姫様なのに、立派だねぇ。いつもいつも」

「いえ。雪かきするのが好きなだけですから。お父様に、いつでも呼んでと言ってあるんです」

「もうお父様は現地に?」

「ええ。私が支度している間に出ていきました」

 父のクリストフは誰よりも国を愛し、国のために尽力する人だった。代々受け継がれてきたエミリスワン王国を、後世に長く残すことを使命として生きてきた人物だ。その姿を見て、カミラもまた、同じように国への思いを育んだのだ。

「うちの国王様がこういう方でよかったわ。うちの平和はまだまだ続くね」

「お父様も、そう願っていると思います」

 父と娘、二人の願いはこの国が永遠に平和であること。母親を早くに亡くし、市井の人たちに母親代わりをしてもらった。地域ぐるみで育てられたカミラを、この国で知らない人間はいない。

「ミートパイを焼くところだったから、帰りにうちに寄りな。温かいのを出してあげるよ」

「本当ですか? 嬉しい、必ず寄ります!」

 飛び上がりそうなほど喜んだカミラに、クレールも微笑む。小さい頃から見てきた姫の成長は、クレールにとっても自分の娘ほど嬉しいものだった。

「じゃあ、お腹空かせて来ますね!」

「いってらっしゃい」

 カミラはクレールに手を振り、再び石階段を駆け下りていった。


 この国は、巨大な山脈の麓にあり、峻峭なその山脈は大国・ウォルトレス国からこの城塞国家を守っていた。

 代わりに逆側は広原が広がっており、どこからでも攻め入られる可能性はあるが、その点については堅い城壁で防御し、見通しの良さを利として相手に攻城戦を強いることができる。鉄壁の城塞とも言われるこの国は、これまで他国からの侵害を受けたことがほとんどなかった。

 一番近い城門棟までやってくると、何人かで扉の周りの雪かきをしているのが見えた。その中には、国王である父もいる。

「お父様、私も手伝います!」

 駆け寄って声をかけると、父が雪かきの手を止めてこちらを見た。

「悪いな、カミラ」

「いいえ、雪かきは昔から好きですから」

 この国では、身分制度が殆どと言っていいほど育たなかった。山脈と広原に周囲を囲まれた孤立都市であり、他国の文化がほとんど入ってこなかったのだ。また、城塞都市として面積の限られた中では、自ずと国民の数も増えすぎず一定で保たれ、ほとんどの国民たちが顔見知り同士だったことも理由の一つだ。相手をよく知っていたら、低い身分を強要することはできない。建国したアップルトン家の血筋は守りつつ、貴族も賤民もない穏やかな国民性が育まれている。

 カミラは父親の手がかじかんで赤くなっているのに気がついた。

「あっ、お父様、手袋はお持ちじゃないんですか?」

「置いてきてしまったんだ」

「なら、私のを使ってください。少し大きめに作ったから、お父様でも使えるはずです」

「お前はどうするんだ」

「私はずっと温めていましたから、大丈夫です」

 手袋を外すと、あかぎれのある手を出した。父はそれをいたましそうに見ている。

「いいから、お父様。気にしないで」

カミラは少し強引に父へと手袋を譲り、自分はスコップを持って雪かきを始める。一緒にいた壮年の男たちも、カミラが動き出すと再び、雪かきの手を動かし出した。

 この中で一番年配なのがカミーユ、普段から力仕事を生業にしているブロン、衛兵の仕事をしているクロノ、サイラス、ミラージュ、サイエン、シンタ。

 彼らのことも、カミラは昔からよく知っていた。

「それにしても、今年はよく降るねぇ」

「そうですね。しばらく山にも入れそうにありません」

「春はまだまだ先だねこりゃ」

 男性が山脈の方を見た。冬は厳しい風を吹き下ろしてくる山も、春になれば食料の宝庫だ。

「早く猪を食べたいよ。火を通してがぶりとかぶりつきたい」

「私は、山菜採りがしたいです。去年、美味しいブラックベリーが群生するところを見つけたから」

「ブラックベリーか。そりゃいいなぁ。いつも女房たちと行ってるだろう?」

「はい」

「今年はそこへ、俺も連れて行ってくれるかい? ブラックベリーには目がなくてね、昔から」

「もちろんです! 何人で採っても、きっと採りきれないほどありますから」

 この国の人々にとって山脈でとれる命は、重要な食料となる。鹿、猪、鳥、数え切れないほどの動物たちが生息する山脈は、文字通りこの国の人々の命の動脈となっているのだ。

 それに加え、ここにしかない草木や、生活に欠かせない果実も多い。カミラも幼い頃からよく、夫人たちと一緒にベリーを集めに山に入っていた。食卓を彩るベリーのジャムは、昔からたくさんの人に愛されてきた。カミラも例外ではなく、ベリーのジャムが大好きだった。

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