「氷点。」~10代から20代に書いた詩

天川裕司

「氷点。」~10代から20代に書いた詩

「氷点。」

人間(ひと)に生まれ、私は“不条理にも…”とよく言う。神がもしいるならば、と、明日に向かって生き続ける。生きることを呪うのは、悪魔の仕業だと思い込んで生きていた。人間の性質を否定するだけしながら生きていたのだ。人間は噂をする。同じ人間でありながら、陰で人間の悪口を言ったり、良いことを言ったり。もし神がおられたならどう思われるのだろうか。孤独を恐れて、人波の中に沈み込み、その中でなお個人の思惑の上で想像を創る。私というひとりの人間は、孤独をこの上なく恐れた。人波の中では、妄想が膨れ上がり、私が思う以外の余計なことから逃れる。人一倍、臆病を背負ったような私は、またそのくり返しを臆病故に、とした。私は現在、二十歳で、生まれて少なくとも二十年は過ぎている。その経過の中で、たくさんの他者と出逢い、思考を覚えた。すべて“人間”と壊せない壁の中でのこと。誰もが、死の向こう側からこの世に戻ってくることは、考えつかない。それができるのはイエス・キリストであった。そして悪魔。私は、人間で、神でも悪魔でもない。しかし、その神・悪の存在が確信できない私は、その不条理に対して何も言うことはできない。病・事故などで、運命とも言うべきか不条理にこの世を去ってゆく者は少なくない。寿命というものがありながら何故、そのようなことがあるのか。その行く先には、人間を創られた方に行き着く。いわゆる神である。人間であれば、人間の壁を越えることはできない。だからとて、壁を越えてしまえば愚問ではすまない。世界には動物を統一すべく人間だけが生まれた。その人間は助け合い、殺し合って、現代を築き上げた。本来私は何も言えない。この世界を見る限り、何も言う気がしない。人間の壁が生まれた時からある故に、それなりの限界がある。人間を冷たい、などとは言えないのである。そのくせに人間には感情があり、冷たい人間には怒りを覚えることがある。あまりに遠い神の国でも、死んだらすぐ近いかもしれない。なのに、どうしてこれ程悩むのか。感情・欲・臆病・殺人、これらに対しては、何も言う気はしない。私は普段、嘘をついてばかりいる。その嘘はやがて逆刃となって、一人の時に私を襲う。他者のことは知らずとも、私は一人でも悩めるのだ。人間とはそういうもの。神を呪ったことが最近あって、未だにその残り火は消えてはいない。その残り火は時に他人に飛びついたり、燃え広がったりして、また私を悩ますのである。悩む輩は臆病人だと、神に話したことがあった。物事を先走り、個性だけで闇を創るか、光を創るか、私はクリスチャンで、暗闇を好んでいる。この病気が治るのはいつ頃かと、ひとりで思考するに、少なくともこの世から離れた後であった。“生きる”ということは、見えない未来を背負って、人間らしく在ることである。神との間には、現実、欲、未来、…..数えきれない程の不条理によって、どうしても距離がある。生・死を境にする人間(個人)、その不条理のわからなさに、氷点とも言えるべき、神と悪と人間との答えがあった。


「興醒め。」

文学に眩れていた私は、少しの陶酔に溺れていた。その私を現実に引き返したもの、オートバイの爆音。私、青ざめ顔で興醒め。


「言葉。」

美談――――聞いて気持ちのいい言葉。


「路なき路。」

以前に誰かが口にしたものだが、今も変わらず口にしたい。

“君、そろそろ路なき路を行こうじゃないか”―-----人生とは?


「続・芥川...。」

芥川氏は尋ねる、“つまり?君は何を言いたいのかね。”私は何も言う気はしなかった。言葉はあれども、一夜明ければ気はかわる。何も言う気はもはやしないのだ。芥川氏は尋ねる、“つまり?君は何を言いたいのかね”―---人生に於ける最大の疑題である。そう、つまり死の向こう側は見られないのである。


「噂。」

 気楽にはなれども、臆病は残る。旅人にはなれども、孤独は生まれる。次から次と、孤独は状態変化で生まれてくる。人は死んでからその人の噂をする。つまりは“アンニュイ”を、人は嫌うものである。


「美人。」

 美人は、著者の美談よりも芸風を好んだ。私が「どんな書き方をしたって結局言ってることは同じじゃない。」と言えども、その美人は相も変わらず、芸風を好んだ。確かに人が知らぬような漢語で文字を書くのもいいが、“何でもないのに….”と言えば、その古風はあとかたもなく無にかえる。


「美男子と美少女」

頭の中で想像したのである。窓から廊下に差し込む日射の中、ひとりの美男子と美少女が出くわす。それは想像で、現実ではなかった。面白半分で言葉のない会話をしていると、二人でその奥の図書館へ入って行った。想像豊かなことで、二人しか居らず、他人は誰一人なかった。ずっと会話に眩れていた二人は、やがて著者のきまぐれで幕を降ろした。その想像の中には、流行などはなかったのである。


「或る十戒の言葉。」

 文学に魅力がある、と、以前の自分の声ありき。現在なお、気分の悪い青ざめた顔の自分ありき。明晩旅に出よう、と決心した自分ありき。妙筆、残した自分ありき。

未来永劫に渡る固い決心の本音ありき。現在なおこの世で、奇跡を求めた自分ありき。見様見真似で、気晴らしする苦笑ありき。以前、妙策を企てたことある自分の言葉ありき。とてつもないクリスチャンのいい加減な迷い、ありき。両親に対する密かな、本音の妙策ありき。


「花。」

 春の花も、秋の花も、いずれは枯れるものである。誰それが何と言おうと、彼等は枯れる運命なのである。その見られる内を大切に、と思って何が悪いものか。クリスト故の復讐心は捨てるべきである。そして花は枯れる前に必ず何かの虫を魅了する。花は虫を愛するものなのだ。そしてそれは一年、一年、くり返されてゆく。つまり今までだ。


「あの言葉。」

 芥川氏は言う、”やはり親子に始まったことが、悲劇の始まりだ”と。


「虫。」

 ブーンと虫が一匹、畳の上におち、羽根をバタバタさせている。早く飛ばなきゃな、なんてカンジにバタバタさせている。私はそのムシをつかまえて本でパシリとひとつたたいた。そのムシはしゃべらずさっきより鈍くバタバタ..と動いていた。私は残酷にも、またプラスチックでふたつめ、パタンとたたいた。そのムシはほとんど動かないくらいに足を動かして、どこかへとりあえず逃げようとしていた。最期にプラスチックでそのムシの同じところをパシンとたたいた。ついに動かなくなり、そのムシの命が消えた。そのムシがさっきまで使っていた体が、プラスチックの上に横たわる。


「夢。」

 “夢であんなに泣き崩れていたのに、朝、起きたら、枕はぬれていなかった。”


「我が悲しみ」

    真夜中に”カサッ”と音がする、マムシの逃げる音。(抜句)


罪は消えないもの、常に光と闇は世にも人にもあり続ける。


ほら、またきた またきた。どうしようもない欲情さ。

いつになっても なかなかにきえてくれない私の欲、

それがいつしか堕ちつく果ては 一体どこなのか。


   欲を絵に描いてみて.


私のロマンは私のロマンだ。人には人の、自分は違う、という

ことの背中合わせ。


「死海。」

いつしか、人間(ひと)の世の中に堕ちた。肉は肉を好み、霊は肉を惑わす。人間が創り出した愚かさは、泣くしぐさをしながら海の表面を溺れている。まわりを見据える者は、自分を自分が作り出した光に曝してあたかも正しいかのように見せかける。何も知らない輩の方が罪はないのだ。知ったかぶりを武器にして滅びを見る者にこそ、影はある。いろんな蛇算が飛び交う中、歩いている人間は、どこに向かっているのか。その方向がその中にいる者にわかるのか、神様が示唆して、直接に告げた者にしかわからないその道理、日頃遊び過ぎている自分にはきっとそれに気付かない。心が鈍っているため、言葉は失くなるだろう。本来何も言えない筈の私は今日も明日もものを言い通す。他人(ひと)を羨みながら生き続ける欲は、大きな陰の中にその影があるから、それに気づかず偽善の光を放つ者に惑わされ、やがてあきらめようとする。頭を抱え込んだ輩は、見上げた時に違う偽善を見る。何も知らないきれい言を並べたまま、真実を捜そうとする。狂人にでもなりそうな程の勢いで、この輩はまた、知らない臆病にかられる。


「叙情詩。」

 10/24(木)、もう寝かかってた頃だ。また明日のことを少し思い悩み、白紙に字を書いて寝ようかとしていた頃、電話が一本なった。期待をする間なく、母の声を聴いて、下へ降りる準備、友達が来てくれたのだ。もうやめてしまったアルバイト先の友達がまだ私を訪ねて来てくれるのか、とはにかみ、少しの空しさと共に、電話に出る。妙になつかしいあいつの声、普通にしゃべる。免許を取ったあいつは、ずっと前にした約束を守りに来てくれたのだ。そのことは“ありがとう”と言いたい。ただ、また明日を思うと少しせつないが…。明日はうちの大学の学園祭、私は去年行ったから、多分今年は行かない。サークルもほったらかして。口先ばかりの毎日とご対面、なかなかにせつないね。やりきれなさと疲れが残る。今風の奴等にならなくちゃいけない友達といる時も、私はやっぱり、そんな風にはなりきれない。自殺を思う私には、その叙情はたまらないのだ。免許を取ったばかりの友達のクルマの窓に、私の顔がうつる。


「M。」

 欲から出る言葉は、酔った時の言葉から“ひきょう”だと翻弄される。時が過ぎてゆくのが少し気おくれに思う私は、ただ見えるものに“さようなら”を言うしかない。どんな貧乏からも、どんなエリートからも欲しがられるその金銭は、私の心まで支えきれない。論理も何もないのだ、大学教授が“コネ”だなんて聞いた時、言いようもない嬉しさと不満がたちのぼる。性とはかけ離れた欲の芯に、人はまた踊らされる。


「遊撃。」

 時期だ、この時期だ。だんだんわかってきたぞ。こう思うようになったら、もう、その時期なのだ。(笑)、私に生きられる筈もない、勝手に決めるのは私。私の人生だからどう使ってもいいのさ。この時期だ、人間(ひと)は、自分のことながらに私のことも、少しはわかるみたいだ。遊んでいる内にでも夕焼けは来て、やがて夜も来る。無情でなければ人間はやはりずっと遊んだままになる。神様は人間と距離を置く。神と、人間と自然の間で、どんな規範があるかは知らない。でも、ずるいよ。ただ試すだなんて。….(笑)はは..再臨というのも、私の知らない時期にくるのかな。

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「氷点。」~10代から20代に書いた詩 天川裕司 @tenkawayuji

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