~光の中に消えた日航一二三便と父の顔~(『夢時代』より)

天川裕司

~光の中に消えた日航一二三便と父の顔~(『夢時代』より)

~光の中に消えた日航一二三便と父の顔~

 一九八五年八月一二日一八時五六分、群馬県御巣鷹の尾根に墜落した日航ジャンボ一二三便にSの父親は乗っていた。

 父親は久方ぶりの遠征ゴルフに東京から兵庫まで向かう予定だったらしく、その日の為に新しい三番アイアンとサンドウェッジ、三つのマイボールを買い、早めに予約していた為他にも便はあったが偶然一二三便を指名した。発(た)つ二~三日前から妙に上機嫌で、三人暮らしのその家庭では一人の声と活気が家の中を妙に明るくするもの、夜TVで巨人対ヤクルト戦を見ながら色々言う父親の活気はその時の母親とSの心境をも明るくさせていた。

S「明日何時に行くん?」

父「早めに行くよ。一六時~一七時には(空港へ)行こうと思う。マスちゃんと米(よね)ちゃんと川口っちゃんも来て一緒に行こうって言うてるからな。そうやな、家は一四時~一五時には出るかも知れん」

この時、いつもは息子のSとこういう会話をする時言葉少な目の父だったが、この先に来る相応の楽しみを想像してか自分が先回り先回りして楽しみを掴む様にして多弁だった。S一家は三年前(Sがまだ小学生へ上がりたての頃)に大阪からこっち(東京)へ越して来た為、父親は大阪に知り合いが多かった。故にゴルフだけではなく、向こうできっと流れで催される他の友人知人達との語らいにも相応の楽しみを覚えて居た事だろう。

 その日はいつも通りにそれぞれ過ごし、母親は家の事をし、Sはちょこっと勉強をしてから後はずっとFC(ファミコン)をし、父親はSや母親の前で明日から一緒に行く友達なのであろう相手の人と二度も三度も電話をしてから、着々、自分の準備を進めて居る。時間が過ぎ夜が来て、母親はその日の片付けと明日の生活の準備をし、父親とSとは暫くTVで野球やニュース、大河ドラマを見て過ごし、もうそろそろいいか、といった具合に三人は就寝した。

 翌朝、父親は昼過ぎに行くと言っていたのに朝八時位に起きて最後の準備をし終えた後、又TELで、掛って来たのか掛けたのか、打ち合せの様な事をし、タクシー会社にも電話を掛け昼過ぎに羽田までの予約を取り付けた後、一度ふうっと落ち着き、ニュースで天気予報を見てから珈琲を飲んで居る。母親は「もう起きたん?まだ寝とかんでいいんかね?」と聞くが、父親は「あとでまたちょっと寝るよ」と言い、又寝溜めする様に午前一〇時頃から午後の一時まで寝た。サラリーマン生活の習性とも言うべきかSの父は、大体どんな場合でもすぐ高いびきで眠れる為、ここでもぐっすりと眠れた様だ。朝早く起きたのもきっとその所為だろうとSは思っていた。

 やがて昼過ぎの一時と成り、父は跳ね起きていつもの青い盤が光るセイコーの腕時計をしながら時間を見、そろそろ来るタクシーを待ちながらトイレ、もう一度洗面、整髪、忘れ物がないか等の荷物チェック、ニュースで夕方の天気予報を又見て、一二三便の搭乗券を上着ジャケットの内ポケットに入れ、台所の椅子に座ってタクシーが来るまでの間一服した。

 一時半頃にタクシーは来て、着替えや備品の入った荷物とゴルフバッグを抱えた父は「ンじゃ行って来るで」と言った。

S「お土産買って来てや!」

父「おう、何がいいねん、阪神の帽子か?」

と少々お道化る様にしてふざけて父は聞いた。以前に、Sは父と野球をしながら観ながら、阪神をベタ褒めに褒めた事があった。でもそれはSなりに父と周りの環境に合せた上での工夫であって本心からのものではなかった。本音は西武ライオンズの大ファンであり、いつかその事も、同様に折りを見て話そうと思っていた。以前に東京で珍しく会えた友人と父親は、丁度阪神―巨人戦を観戦した帰りだった熱狂的な阪神ファンのその友人から、阪神の応援グッズであるメガホンとハッピと、三つの帽子を貰って帰って来た事がある。その際の息子の事を思い出し、その友人に話したところ、それだけをくれたのだ。しかし物の多さと三つの阪神帽という一寸冷静に考えれば〝やり過ぎではないか〟という思いから、今ではS家の〝失敗談〟と成り落ち着いて居た。

S「いや、ンーとね…ンー、何か美味しい物(もん)!久しぶりに大阪の美味しい物が食べたくなったから、何か大阪名物の美味しい物買って来て!」

と咄嗟に良いものが思い付かなかった為か、Sは少々空気を読んだ上で遠慮して頼んだ。遠慮した故か父は直ぐ様答えて、

父「おう、んならたこ焼きかお好み買うて来たるわ。あ、そのままで持って帰れんから素(もと)な」

と言って、「ンじゃ行って来るで」をもう一度言い、「いってらっしゃい!」と母親とSが言った後、家のドアはゆっくりバタン、と閉まった。いつも家のドアに鍵を掛ける癖がある母親は、その時もドアに鍵を掛け、いつもの生活に浸って行った。

      *

(ここで一度目が覚めて墜落した後の母とSとの展開ははっきりと覚えて居ない。墜落放送が流れた後、丁度TVを見て居た母とSは急いで近所のおじさんの車に乗せて貰い羽田空港まで行き、そこから出るシャトルバスの様な直行便に乗り山腹まで走った様だったが、Sは途中、その山腹で違う妄想が過去から災いして思い出され、父が居る現場を後回しにして、先に自分の用事があるどこかの茶屋の様な店に行き、母はSが帰って来るのを暫く待ってSが戻って来てから、今度は母の用事があった別の人の家まで足を運ぶ事と成り、なかなか同行してくれたおじさん共々、父親の居る所まで辿り着けなかった。)

      *

 父はあの時、もう一度家(ここ)へ帰って来る、という様な言葉を残して家を去った。お土産を買って帰る約束までして昨日昨夜そして今朝迄、あんなに楽しく忙しく家族と団欒をし自分の事をきちきちとしながら動き回って居たのに……。そんな父を見て居たのに!楽しかったのに、又帰って来ると言われて信じて待って居たのに!

      *

 やがてSは成長して大きく成り、母も余り父の惨事を話さなくなった頃、ズタボロに成ったゴルフバッグとそれでも銀色で、曲がって居てもう使えない様だが、しっかりと形見として残って居る壁に立てられた三番アイアンを目前にして、母とSは父親があの後どこへ行ったのかわからなかった。



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~光の中に消えた日航一二三便と父の顔~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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