第44話 我妻 莉子 (あがつま りこ) 5 (& 浅見 綾夏)

 軽い音とともに、綾夏が母屋から姿を現した。


「はい。これ。」


 綾夏が莉子に差し出したのは、手のひらぐらいの大きさのゼリー。


「朝、調子が悪くて、何も食べてないんでしょ。これなら、妙に刺激が強いなんてないから、食べても大丈夫だと思うから、食べて。」


 刺激の強いもの、、、。


 刺激の強いものに思い当たった三下が、頭をかき、同じく、思い当たった莉子が、また赤くなって俯いた。


「?。どうかした?」


 二人の妙な反応に、綾夏が疑問符を浮かべる。


「いぇ。なんでも。ありがとうございます。」


 また、お腹から音が出た莉子は、誤魔化すように、綾夏からゼリーを受け取った。


「急いで食べたら駄目よ。ゆっくりね。」


 恥ずかしさからか、焦って蓋を開けようとする莉子に、柔らかく綾夏が声を掛けると、莉子は、少し止まってから、ゆっくりと蓋を開けた。

 カチャカチャと、プラスチックがあたる音が続き、ゼリーを食べ終わった莉子が、顔を上げた。


「ごちそうさまです。」


「ん。ゴミはもらおっか。」


「あっ。はい。すいません。」


 綾夏は、莉子からゼリーの入っていたケースを受け取ると、レジの横に置いた。


「調子はどう?」


「今のところは、何とか。」


「痛みは?」


「大丈夫です。あの、、、。」


「待って。」


 綾夏は、言葉を続けようとする莉子を止めると、彼女にの目を、しっかりと見た。


「まず。注意事項だけど、あなたに飲んでもらった薬は、結構強い薬で、何度も飲んでいい薬じゃないの、その上、効果もあまり長くないわ。だから、この後、いろいろ予定があると思うけど、全て止めて、大人しく帰ること。」


「はっ。はい。」


 莉子は、綾夏のはっきりした物言いに、素直に頷く。

 確認して、綾夏も頷く。


「それで、多分、昼前ぐらいまで効果があると思うけど、その後、どうしても調子がよくなかったら。これを飲んで。」


 綾夏は、スカートのポケットを探って、薬を取り出すと、莉子に差し出した。


「正直、薬に頼るのはあまり賛成しない方だけど、どうしても、って時は、仕方がないから、上手く使って。」


「はい。」


 渡された薬を、莉子は自分のポケットにしまう。


「で、駄目なら、素直に医者に行くこと。いいわね。」


「わかりました。」


「よし。」


 頷く莉子に、微笑んだ綾夏は、立ち上がり、三下に目を向ける。


「ちゃんと、安全に送らないと駄目よ。」


 後ろで、先ほどの紙袋を持って待っていた三下は、頷いた。


「あぁ。大丈夫だ、ちゃんと送るよ。」


 綾夏も頷く。


「あのう、お金を、、、、。」


 莉子が、立ち上がって、言葉を挟んだ。


「あっ。大丈夫よ。困った時はお互い様だしね。」


「でも、、、、。」


「大丈夫よ。それに、後ろの誰かさんから巻き上げといたから。」


 はっ、と、後ろを向く莉子が、三下の手に持っている紙袋に気が付く。


「そう言うことだから、大丈夫。」


 納得のいかない顔をしながら、綾夏に向く莉子の後ろで、三下は、複雑な顔をしていた。


 どう見ても、原価ギリギリだよな。これ。


 手元の紙袋を確認する。


「それより、薬の効果が切れる前に帰った方がいいから、急いで。」


 何か言おうとしている莉子を促して、歩かせる綾夏。

 莉子は、小さく肩を落とすと、促されるままに歩き出し、入口近くで振り向いた。


 ストンと、頭を下げる。


「本当に、助かりました。ありがとうございます。服、なるべく早く返しに来ますので。」


「あっ。そっちも気にしないで、全く使ってないし、安物だから、処分しちゃって大丈夫よ。」


 また、何か言おうとしている莉子に、綾夏が、片目を瞑った。


「大丈夫。」


 莉子は、少し赤くなりながら、もう一度、頭を下げ、扉を開けて待っている三下の前を通り抜けた。


「ちゃんと送るのよ。」


 三下は、綾夏の声に片手を上げると、扉を閉めた。



 前を歩く莉子が、助手席に座るのを見ながら、三下も、運転席に座った。

 二人が最初に目線を向けた先には、食べかけの、激辛チキンサンドイッチBIG、があった。


「なんで、こんなの買ったのよ。」


 莉子の声は、かなりむすっとしている。


「おいおい、これは、目覚ましついでに、朝飯として、俺が食べるために買ったんだけどな。」


 流石に、そこまでは、と、三下が強めに言うと、莉子は、多少詰まって、外に目を向けた。


「それは、そうだけどさ。」


 すっ、と、押しが弱くなった言い方をする彼女に、強く言い過ぎたことに気が付いた三下は、とにかく、フォローを入れた。


「あっと、ちょっときつかったか。ごめん。ごめん。それと、そっちの朝飯までは気が付かなくって、悪かったよ。」


「いいけどさー。」


 ため息をつくように答える莉子。

 そして、多少の空白の後に、莉子が口を開いた。


「かなり綺麗で、美人な人だね。」


 誰かは、言わなくてもわかる。

 三下は、頷いた。


「そうだな。」


「、、、。ねぇ。」


 助手席の窓から、外を眺めていた莉子が、ゆっくりと、三下を見る。


「付き合ってるの?彼女と。」




「、、、。」




「は?」


 三下は、目をまん丸にして、莉子に向く。


「なっ。なんで、、、。」


「なんでって、なんとなく。だって、あの人、結婚してないでしょ。母屋にも、そんな感じのものは、何にもなかったし。」


 目を逸らし、ブツブツ、口を尖らせる彼女に、三下は、ため息をついた。


「いや。確かに、結婚はしてないよ。出戻りだ、って、自分で言ってるしね。でも、それだけで、、、。」


「凄い、いい雰囲気で、くっついてたけど。」


 彼女の鋭い横眼が、三下に、突き刺さる。


「みっ、見てた。」


 特にやましいことをしていたわけではないが、鼻の下が伸びていたのは間違いないため、見られたかと、焦る三下。


「一瞬だけね。後は、楽しそうにしてたから、向こうで邪魔しないように待ってたんですけど。」


 彼女の答えに、どうやら見られた様子は無いな、と、三下は、胸をなでおろす。


「そっ、そう。気を使わせて、悪かったね。」


「で?付き合ってるんでしょ。」


「いゃ。付き合ってないって。」


「本当?どう見ても、、、。」


「彼女は、誰に対してもあんな感じだよ。彼女にとっての分類は、知り合いか、知り合いでないか、で、知り合いが男か女かは、あんまり関係ないんだよ。」


 莉子は、腑に落ちない様子で、外を見ている。

 少しの間、横目に彼女を見た三下は、ため息をついた。


「そうだなーー。お前さんだって、俺のことを、男じゃなく、客として見てるだろ。そんな感じだと思えばいいんじゃない?」


「私は、、、。」


 バン、と、両手をシートの座面に押し当てた莉子が、怒ったように三下を見て、急に、力がなくなり、また、外を見た。


「わかったわよ。」


 莉子は、そのまま、口をつぐんでしまい、三下も、黙って車を走らせた。



 

「真っ直ぐ行って、最初の脇道に入ってよ。」


 通りから、店に向って曲がる少し手前だった。


「どこに行くんだ?」


「私の家までちゃんと送るように言われたでしょ。」


「おぉ。確かに、最初の脇道だな。」


 三下は、言われたように、店の前を通り抜け、最初の脇道へ入った。


「前にある、古いマンションがそれだから、二本目を曲がって。」


「はいよ。」


 二本目を曲がると、マンションの入り口が建物の中央にあり、三下が、その前に車を止めようとすると、


「通り抜けて裏に回って。裏の駐車場に来客用のスペースがあるから。」


 向こうを見ながら言う彼女に、へいへい、と、言いつつ、三下は従い、裏に回った。

 裏の駐車場の一番手前に、来客用と書かれたスペースがあり、三下は、そこに車を止めた。


「着いたぞ。」


 降りようとしない彼女に、不思議そうに三下が声を掛ける。


 と。


「お腹痛い。」


 突然、お腹を押さえてうずくまる莉子。


「おっ。おい、大丈夫か?」


 焦って三下が声を掛けると、パッと、彼女が顔を上げた。


「部屋に行く途中でこうなったら不味いでしょ。部屋までついてきてよ。」


 三下が、何か言おうと口を開くが、諦めて、車を降りた。

 莉子も、続いて車を降りると、車の前で待っている三下の前を通り抜け、マンションに向った。


 コンクリート打ちっぱなしのマンションは、中央にエレベーターがあり、両側の中央より少し外側に階段が設置されていて、出入りは自由になっていた。


 莉子は、丁度、車の正面辺りにある階段を上り、三階のフロアーに出ると、近い隅の方へ歩いた。


「今日はありがと。」


 三下が、彼女を見ると、前を向いたままだ。

 三下は、肩を窄めて答えた。


「なに。大事もなかったし。」


 莉子は、持っていた袋から部屋の鍵を取り出すと、ノブに差し込んだ。


「あっ。あのさぁ、、、。お礼に、コーヒーでも入れるから、その、部屋に、、、。」


 俯いた状態で、鍵をガチャガチャしながら、呟くように言う彼女に、三下は、ため息を添えて答えた。


「こらこら、薬が切れる前に準備しないと駄目だろ、そんな事、気にする必要ないぞ。」


 止まり、鍵を勢いよく引き抜く莉子。


「電話するから。」


「は?」


 急に、顔を上げた彼女は、かなり機嫌が悪く、三下を睨むように見てくる。

 三下は、意味がわからず、間の抜けた顔をした。


「電話するから。服、返さないと駄目でしょ。」


「えっ。処分しても、、、。」


「そんなこと、できるわけないでしょ。電話するから。」


 三下が、目を白黒している間に、扉を開け、部屋に入った莉子は、すぐに扉を閉め、

 

 ガチャン。


 鍵をかけるその音が、フロアーに木霊した。

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