第6話 戻ってくる行方不明者

「この村で、行方不明になった人が戻ってくる」

 ということを、この村では、さほど大きなことだとは思っていなかったが、近隣の村の人は、

「何か、気持ち悪い」

 という発想になっていた。

 しかし、それ以上に近隣ではない市町村の方が、この村に興味をもったようだ。

 しかも、それは、

「霊界スポット的」

 な発想であり、言い方は悪いが、

「興味本位でしかない」

 ということなのだ。

 少し前に流行った、

「パワースポット」

 と似ているところがあるのだが、そのスポットというのは、

「半分、その霊界スポットとは、背中合わせ」

 ともいわれていた。

 確かに妖怪が出たり、幽霊のウワサもあるが、それは、あくまでも、ウワサであり、逆に、

「パワースポットだ」

 と言われれば、妖怪が出たとしても、

「そこはパワースポットとして、言われるようになる」

 というのが、この村だったのだ。

 そんな中で、この村において、最近、いろいろなところから観光に来る連中が結構いたりする、それを、

「何とかしないといけない」

 ということを、村でも真剣に対策を考えようとしていた。

 時々会議を開いて、その対策本部のようなものが立ち上がっていたのだ。

 まさか、村を閉鎖するわけにもいかない。

 しかも、

「もし、やったとしても、効果はないかもですよ」

 という人がいた。

「どうしてですか?」

 と議長が聞くと、

「今の時代の若者を、いや、若者だけではなく、いい歳の大人でさえも、ネットのSNSというものに掛かると、とんでもないことをやらかしてしまうことが多い」

 という。

「例えば、映像がバズるとか言って、何か悪いこと、スピード違反などをわざと警察の前でやらかして、警察に追われているところを他の人が動画に納めて、それをネットで公開したりしているんですよ」

 という。

 それを聞いて、

「それの何が楽しいというのですか?」

 と、どうやらこの議長には、ネットというものを、よくわかっていないようだ。

 この人は、あくまでも、

「法律や規範が絶対であり、その中で合法的に行うのが、最低限のルールだと思っているのだ」

 そう、これは当たり前のことなのだが、他の人は、その当たり前のことが分かっていない。

 だから、こんなおかしなことをしたとしても、それは、本当は

「犯罪だ」

 ということで、誰もが、犯罪者を見るような感覚になるだろうと思うのだろうが、実際には。

「楽しければそれでいい」

 ということであり、それがどういうことなのかというと、

「どうせ、他人事だ」

 ということなのである。

 警察が捕まえようが、犯人が逃げせようが、自分たちに関係ない。

「楽しければそれでいい」

 というだけのことなのである。

 それを思うと、

「なんと理不尽な世界なんだ」

 と、議長は、それが、

「同じ時代のこの村以外のことだからなのか?」

 あるいは、

「別の時代だから受け継いでいることなので、それが、常識のように思うのか?」

 ということなのか分からない。

 後者であれば、それは、昔からのことであるから、自分たちの伝統は、

「間違っていなかった」

 という証明になるのだろう。

 そんな考えの中で、基本的に村全体が、

「鎖国というものを、皆が承認している」

 と考えられている。

 だが、実際には、

「基本的に」

 というよりも、もっと激しく、

「鎖国こそが正義だ」

 と思っている人が多い。

 そもそも、この村では、あまり、

「妥協」

 というものをいいことだとは思っていない。

 他の土地にいけば、

「人と調和をすることでしか、自分たちは生きられない」

 と思っている。

 だから、会社にしても学校にしても、

「階級」

 であったり、

「年功除雪」

 というものが、絶対について回るのだ。

「学校という子供の世界には、そんなものはないだろう」

 という人もいるかも知れないが、そんなことはない。

 何といっても、

「上級生には逆らえない」

 というのは、今でも当たり前ではないか。

 先生にだって同じことで、新入生というのは、

「何があろうとも、下級でしかない」

 というのだ。

 ただ、それも例外というものが出てきた。

 それが、

「特待生制度」

 というものである。

 特にスポーツ推薦などということで、

「学費は掛からない」

 ということで、学校から、

「来てほしい」

 ということでの、特退扱いなのだ。

 他の生徒は、試験というものに合格しないと、入学はできない。一種の一発勝負となるのだ。

 その日、体調を崩したり、何かのアクシデントがあって、試験が受けられなければ、一年間を棒に振り、

「浪人」

 ということになるのだ。

 本来であれば、

「絶対に合格する」

 と言われていた人でも、たったその日一日の問題で、365倍の日数を棒に振ることになり、また、気持ちをリセットして、最初からの受験勉強になるのだ。

 本来なら、

「楽しい大学生活が暮れているはずなのに」

 ということになるのだ。

 それができないという、こんな理不尽なことは、

「特待生の連中」

 を恨んでも仕方はないが、恨みたくもなるというものだ。

 しかし、この

「特待生」

 というものであっても、

「本当に、幸せになれるのか?」

 ということを考えると、

「こんな理不尽なことはない」

 と言えるのではないだろうか?

 それはあくまでも、

「学校側の思惑通りにいけば」

 ということである。

 なぜ、特待生制度などを作ったかというと、基本は。

「うちの学校は、スポーツでいい成績を出している」

 ということで、学校の名誉を高めること。

 そして、それによって、

「入学させたい」

 という親が増え、生徒も、

「あの高校や大学で、名前をあげたい」

 というお互いの利益が結びつくわけだ。

 しかし、特にスポーツというのは、

「けがが付き物だ」

 ということである。

 プロ野球などでも、同じことが言えるが、ケガをしても、1、2年くらいは、

「治療に専念」

 ということで、

「給料は減らすが、解雇というところまではいかない」

 という選手もいる。

 もっとも、すぐに解雇になる選手もいるのだが、それも、働いているわけだから、ある程度は仕方がないことであろう。

 しかし、これが学生ということになるとどうだろう?

 学生というと、高校だったら三年間しかない。

 1,2年目は、基礎体力をつけるということになるのだろうが、特待生であれば、

「すぐにレギュラー」

 ということになるだろう。

 いくら特待といっても、まわりからは妬まれるだろうし、ある意味、基礎体力もできていないのに、いきなり一年目からレギュラーとなり、ある意味、無理をさせられるということになりかねない。

 何といっても、一年生が一人だけレギュラーとかいうことになると、

「同級生からの妬み」

 さらには、

「上級生からの、いろいろな押しつけと、上から、横からと、プレシャーで、神経がすり減らされることであろう」

 それを思うと、

「けがをしても、それは仕方がない」

 ということになる。

 神経もかなり病んでいる状態であれば、普通なら、病院の治療で、半年くらいでの完治と言われていても、神経的なことから、

「治りが遅くなる」

 ということだってあるだろう。

 それを、果たして、

「学校側は考えてくれるだろうか?」

 ということである。

「特待にしてやるということで、やつらは学校の商品だ」

 としてしか考えていないのではないだろうか?

 活躍すれば、口では。

「君は学校の誇りだ」

 などと言ってはいるが、本心からそう思っているのだろうか?

「お前たちのような青二才が、ちょっと運動ができるというだけで、調子に乗るんじゃない」

 と思っているかも知れない。

 プロのように、厳しい世界でも、選手のことをスカウトであったり、人事は考えているだろう。

 それが、企業というものであるからだ。

 しかし、学校はそうではない。

「生徒はあくまでも金ずる」

 としてしか見ていない学校がさぞや多いことだろう。

 だから、

「部活中であっても、ケガをして、運動ができなくなると、即座に特待を外し、授業料も次からは納めなければいけなくなる」

 ということになるのだ。

 そこには、

「血も涙もない」

 つまり。

「それができないのであれば、退学だ」

 ということだ。

 学校が、

「生徒の人間としての育成のために、学校がある」

 などというのは、ただの詭弁でしかない。

 会社などよりも、数倍もシビアな、そして、経営ということを知らない連中が、しかも、肝心の教育というものを知らない連中が、先生であったり、学校の運営だというのだから、

「こんなに理不尽な世界もない」

 というものである。

 そんな世界において、生徒は、可愛そうなものである。

 苛めがあっても、そして、そのことを学校側は分かっていても、

「無視」

 を決め込んでいる。

 もし、それが発覚すれば、

「その時に対応するしかない」

 という、マニュアルがあるのかも知れない。

 そうでもなければ、

「無視して分かった時の方が、何倍も大変だ」

 ということを分かっているのに、結局、事なかれ主義ということなのか、目先のことだけしか考えられないのだ。

 それが、教育者なのである。

「どんな大人が生まれるか?」

 などというのは、分かり切ったことである。

「学校は、本当に自分たちのことだけしか考えていない」

 特待生で、ケガをした生徒に、

「今度から、学費が払えないと退学ということになるし、勉強についていけないと、成績がそのまま影響して、間違いなく留年ということになる」

 と、平気で告げるのだ。

 それは、まるで、

「死刑宣告」

 のようではないか。

 教師としての本人たちに、その意識があるのかないのか分からないが、

「人間の心が通っているのか?」

 ということである。

 そんな生徒は、昔なら、退学をして、ハングレ集団に入って、警察の世話になることなど頻繁になってしまうか、あるいは、精神を病んでしまって、引きこもりになったり、学校にもいけず、

「精神科に入院」

 ということになるだろう。

 今でこそ、そんな人が多く、精神疾患など、結構な人が患っているという時代になってきたが、ちょっと前だったら、精神病院というと、

「昔のサナトリウム」

 のような、コンクリートに囲まれた、それこそ、

「プリズン」

 と呼ばれるような、鉄格子が嵌ったところに押し込められるというのを想像してしまう人もいるだろう。

 実際に、暴れたり、奇声を挙げる患者がいれば、そういうところもあるだろうが、そうなると、社会的には、

「抹殺された」

 といっても過言ではないだろう。

 そんな時代になると、

「一体、どうすればいいんだ」

 ということになってしまうことであろう。

 そういう意味では。この村の治安は、学校も安全安心であった。

 他の村や町の学校のように、

「完全に乱れた」

 というところではない。

 昭和の頃などは、

「窓ガラスが割れてしまい、一枚も、づ通ではない」

 というそんな、

「不良」

 が蔓延ることで、

「学校ではどうすることもできず、警察に出動要請を掛ける」

 ということも、日常茶飯事であった。

 その時は恨みの矛先は、先生であったり、学校側だった。

「お礼参り」

 などという、卒業式の後に、先生をボコボコにするという儀式も平気で行われていたのだった。

 さらに、今度は、昭和から、平成になると、

「家庭でのいざこざによるストレス解消が、同級生に及ぶ」

 ということになる。

 それが、いじめ問題というもので、

「苛めといっても、昔からあったのだが、その苛めのレベルが、段違いなのだ」

 苛めがあっても、途中で苛めっ子が、

「あの時は悪かったな」

 といって、謝罪したりすることもあり、そこで、謝られた方も、その気持ちを汲んで、

「何事もなかったかのように仲良くなる」

 というのが、当たり前だったのだ。

 しかし、平成以降の苛めは、

「自殺をしないと苛めが止むことはない」

 ということで、苛めを苦に、自殺をする生徒が一気に増えたのだった。

 そんな時、学校の先生は、何もしようとしない。

 苛めがあっているということが分かっているくせに、それを自分たちが下手に動けば、そのターゲットが自分に来るということを恐れているのだろう。

 やはり、昭和の時代の、

「お礼参り」

 というのが怖いのであろう。

「気持ちは分からないわけはないが、だとすれば、苛めにあった生徒はどうなるのだろうか?」

 ということになると、

「俺がどうすればいいのか?」

 ということを考えると、

「俺一人がかぶってしまって、生徒全員に今度は迷惑をかける」

 ということを考えるのであればまだいいが、

「俺が何かあっても、学校は何もしてくれない」

 という、学校というものをわかっている先生だから、自分から事を荒立てようとはしないのだ。

 つまり、

「苛められている生徒を人身御供にして、自分を守るしかない」

 という状況になるのだ。

 正義感の強い先生は、そこで病んでしまうかも知れない。

 苛めている生徒から、少しでも攻撃らしいことを受けてしまうと、

「もう俺には、やっていけない」

 ということで、耐えられなくなるだろう。

 だから、今の時代には、

「先生の精神疾患」

 というのもたくさんいて、それが、

「社会問題になっている」

 といっても過言ではないだろう。

 そんな問題が多い中で、今回の

「行方不明者」

 の中に、若干の精神疾患者と呼ばれる人が数名いたということが判明したのは、それから少ししてのことだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る