第4話 丑三つ時
一日のうちで、お化けや幽霊が出るタイミングというのは、ある程度言われている時間がある。
それを、
「逢魔が時」
と言われる時間と、
「丑三つ時」
だと言われている。
「逢魔が時」
というのは、時間的にいえば、
「夕方の、夕凪と呼ばれる時間近く」
だというのだ。
この時間には、
「風が止んでいる時間というのがあり、いわゆる、凪と言われている時間だ。その時間は、日が沈む寸前の時間帯であり、その時間、見えているものが、光の角度と目のレンズとによるものの関係なのか、モノクロに見える瞬間がある」
と言われるのだ。
今でも、この時間に交通事故が多発することから、この
「逢魔が時」
と呼ばれる時間とに引っ掛けて、
「この時間は、本当に、魔物に遭う時間ということで、ただの迷信や、都市伝説ではない」
と言われているのだった。
そして、もう一が、
「丑三つ時」
と言われる時間帯で、これは、
「時間を昔から干支で時間をあらわす」
と言われていた時のことで、
「丑の刻」
というのが、午前1時から3時までを指すという。
そこで、それをまた、4つに分けると、30分ごとに分けられるのだが、その
「三番目」
ということで、
「午前2時から、2時半まで」
というのが、丑三つ時ということになるのだ。
この丑三つ時というのは、
「干支は方角も表している」
ということから、丑の方角が、北東ということになり、この方角は、実は、鬼門と呼ばれ、
「鬼が出入りする不吉な方角」
ということになると言われている。
だからこそ、
「丑三つ時が鬼門、そして、逢魔が時が、裏鬼門」
に当たるということで、この二つを、
「魔物にもっとお遭いやすい時間帯」
ということになったのだ。
しかも、今でこそ、深夜といっても、テレビは放送しているし、コンビニなども開いているので、昔から言われるような、
「草木も眠る」
などという、まるで、幽霊講釈を聞いているような言葉も今では、当て嵌まらないのかも知れない。
それでも、
「草木も眠る丑三つ時」
というと、その後に続く、
「怖い話」
というものに、十分な効果があるだろう。
特に、神社などで、誰かを恨んだりして、怨念を込めて、
「呪いの藁人形」
などと言われ、
「藁人形を五寸釘で、神社の柱などに打ち付ける」
という儀式を、
「丑三つ時に行う」
ということになるのだろう。
しかも、それを、
「誰かに見られてはいけない」
などということまで言われれば、いかにも、恐怖心を煽られるというものである。
そんな話が実際に、実しやかに囁かれることがなくなったのは、やはり、
「眠らない街」
というものが増えて、丑三つ時であろうが、いつであろうが、
「草木も眠る時間などない」
と言われるようになったのだろう。
草木だけでなく、人間も住みにくい時代になったものだ。
ある意味、昔は、いろいろな村や町の、
「しがらみ」
というものがあり、縛られることが厳しいと言われていたが、今を考えると、
「しがらみがないだけに、犯罪などに巻き込まれたり、変質者や、猟奇殺人などが起こる」
ということになるのであろう。
そんな中において、この村も、昔から、
「逢魔が時」
そして、
「丑三つ時」
というものの伝説はあったのだ。
その伝説が言われるようになってからというもの、その時間帯を皆恐れているのは、他の村と同じだった。
しかし、この村では、これまでに、
「神隠し」
などというのは、ほとんど起きなかった。
そのかわり、近隣の村では、毎年のように起こっていただけに、信心深い近隣の村の人は、この村の鎮守にお参りに来たものだった。
そして、時代は進み、これまでに、まったく何事もなく、平和だったこの村だったが、最近、不穏な空気に包まれるようになった。
それが、最近頻発している、
「神隠し事件」
というものであった。
「子供が、この鎮守の近くで、行方不明になることが頻発している」
ということであった。
最初は、
「誘拐か?」
とも思われたが、
「被害者を誘拐しても、犯人に何のメリットがあるというのか?」
ということ、
そして、これだけ村が閉鎖的なので、
「恨みを買うこともないはずだ」
ということである。
しかし、実際に、
「行方不明事件」
は起こった。
しかも、頻発するようにである。
毎年どころの話ではない、1カ月に一度の割合というくらいであったが、ここにきて、
「五人になった」
という時点で、その子たちが、戻ってきたのだった。
子供たちが消えたのは、皆、
「逢魔が時」
だったので、警察も、
「逢魔が時」
には、十分な体制でのパトロールをしていた。
しかし、これが次第に収まってくると、今度は、
「丑三つ時」
に、女性が消える事件が発生した。
女性が一人消えた時は、大人だということと、さすがに、それまで後ろめたさがあったのか、最近の女の子の夜遊びを、
「自ら自粛する」
という人が増えてきたので、それ以上の事件は起こらなかった。
だが、今回の女性が行方不明になってからというもの、それまで消えていた子供たちが、戻ってくるようになったのだ。
皆一緒というわけではなく、少しずつ帰ってくるわけだが、
「どこにいたの?」
と聴いても、何も答えない。
何やら、術にでも罹っているのではないか?
と思えるほど、この話を聞かれると、上の空になるのだ。
しかし、他の時は、普段のように、子供たちと一緒に遊んだりしている。それを見る限りでは、
「とても、数か月行方不明だった」
とは思えない。
しかし、警察は、このままでは済ませるわけにはいかない。何とか子供たちに、事情を聴こうとして必死になるのだが、大人とすれば、
「子供たちが帰ってくればそれでいい」
という具合に、昔からの、
「閉鎖的な村」
という感じになったのだ。
しかし、女性がいなくんあったのは事実であり、村人とすれば、
「彼女もすぐに帰ってくる」
という、楽天的な考え方ではないだろうか?
と思えるのだった。
警察も、必死の捜索に関わらず、女性を探すことができなかった。
同時に少年たちのことも調べられたが、一向に、要領を得られることはないのであった。
そんな状況において、
「捜査は八方ふさがり」
となり、一度、警察の方でも、
「捜査本部を閉める」
ということになったのだ。
行方不明者多発事件」
ということであったが、分からないことはたくさんあっても、これが、事件として、どこまで成立するのか?
ということであり、肝心の村人は、すっかり、協力体制がなくなっているのだから、警察も動きようがないというわけであった。
それでも、刑事も-の中には諦めきれない人がいて、
「独自の捜査」
を続けていたのだ。
「パトロールを、逢魔が時に、神社近くで絞ってみよう」
と考え、そのあたりに張り込んでいると、一つ、気になることを発見した。
「まったく同じ時間に、毎日。判で押したように、男の子が現れる」
ということであった。
しかし、それは、同じ男の子ではなかったのだ。
毎日日替わりで、入れ替わるようにやってくる。見ている光景は、まるで。
「デジャブ」
のようで、しかも、
「同じ日を繰り返しているのではないか?」
と感じるのだが、そうではないということを、
「男の子が違う」
ということで分かるのだった。
それを思うと、
「この街の、神社では、何かが起こっている」
といってもいいような気がした。
「このまま、張り込んでいるよりも、神社を突撃した方がいいような気がする」
と刑事は考え。翌日から、境内にいてみることにした。
しかし、実際に。境内にいてみると、そこに、いつもと同じ時間に誰かが境内までの階段を上ってくるのを見ていたのに、待ち構えていると、一向に現れる気配がない。
「おかしいな」
と思い、翌日も、さらに、その翌日も張り込んでみるのだが、一向に誰も現れないのだ。
「これは一体どういうことか?」
と考えたので、
「一人では無理だ」
ということで、さすがに刑事課の人には、単独でやっていることなので頼めない。
そこで、近くの交番の人に声を掛けてみたが、そこに一人いる人が、
「私もあの村で起こっていることが、不思議で仕方がなかったんですよ。いいですよ、私も協力しましょう」
ということをいってくれて、強力な味方が現れたのだった。
「ありがとう。そういってくれると、心強いよ」
ということで、翌日から二人で見張ることになった。
問題の時間、下から、警官に関ししてもらって、境内では、刑事が待ち構えるという方法だ。
これであれば、見逃すということはないだろう。何といっても、階段は、一つだけなのだからである。
この境内までの階段は、結構長いものだ。村の小高い丘、もっといえば、その後ろにある山の中腹と言ったところに建っているのだから、
「村を見下ろす鎮守」
という言葉がぴったりのところであった。
二人は計画通り、それぞれの場所に待機して、時間が来るのを待っていたのだ。
逢魔が時に近づいてくると、生暖かい空気を感じた。
刑事は、
「いかにも、逢魔が時と言われる時間なだけのことはある」
と思って、ゾッとした気分になっていると、次第に、風がなくなってきていることを意識していた。
「これが夕凪か」
と感じていると、さっきまでゆっくりだった時間が、胸の鼓動と同じく、早鐘のように、あっという間に過ぎていくような気がするのだった。
「夕凪って、こういう時間をいうんだ」
と、捜査の時には、
「逢魔が時」
だけは意識したが、
「夕凪の時間」
というものを意識するまでには至らなかったのだった。
それを思うと、
「丑三つ時にも、同じような段階的な時間があるのかも知れないな」
と思った。
夜は夜で、行方不明の女性を捜索は打ち切られたが、ただ、警らの警官は、それなりに意識することを、いつも言われていた。
「女性が一人でいるのを見つけると、すぐに通報」
ということを言われていたのだった。
しかし、一向に女性が現れることはなく、そろそろ、子供たちが戻ってきた、
「3カ月」
くらいになるのであった。
実際に、行方不明の女性がいるにも関わらず、警察が捜査本部を閉じたのは、
「村人も、そのうちに帰ってくるから」
という状況で、誰も心配しなくなったからというのが理由であった。
何と最初にあれだけ、半狂乱になっていた両親が、
「そのうちに帰ってくるから」
といって、安心しきっていることが不思議だったのだ。
「まるで誰かに洗脳でもされているのかな?」
と思えるほどで、その気持ちがどういうことになるのか、刑事にもさっぱり分からなかった。
一つ言えることは、
「あの村は、閉鎖的な村」
ということで有名だということを知っているので、
「だからといって、娘が行方不明なものを、ここまで安心しきれるものか?
というのが不思議だった。
本当に、洗脳という言葉がリアルに感じられるくらいだったのだ。
そういえば、昔の特撮番組を、有料放送で見たことがあった。
それは、ちょうど、父親が子供時代に見ていたであろう特撮番組で、
「やっと、カラーテレビが普及し始めた頃」
といってもいいくらいの頃だった。
その番組は、三十分番組の、一種の、
「第一期特撮ブーム」
と呼べる頃であっただろう。
巨大宇宙人ヒーロー」
が、地球の平和のために、
「地球防衛軍とともに、戦う」
という設定であった。
その中に、
「宇宙からの侵略者」
というのをテーマにしたものがあり、中には、
「これって、本当に侵略なのか?」
と思える話もいくつかあったりした。
そして、その中で、あった話として、
「人々が、急に消失する」
という、行方不明事件があった。
最初は、
「誘拐ではないか?」
ということで警察が捜査していたが、そうではないということが分かってくると、今度は、地球防衛軍に助けを求めてくるのだった。
地球防衛軍が捜査を続けていると、
「行方不明になった人が、途中で倒れていて、仮死状態だと分かる」
宇宙人とその後話をすることになるのだが、宇宙人の話としては、
「我々の星では、星人の老朽化が進み、若い人がいなくなった。そこで、若い肉体を求めて地球にやってきて、それらを誘拐し、自分の星で、奴隷として、こき使う」
という計画だったという。
それを、
「正義のヒーロー」
と、
「地球防衛軍で、宇宙人と、宇宙人に操られる怪獣をやっつけることで、何とか、誘拐された人が救われる」
という話だった。
実は、似たような話は、それから数年前にも同じ会社が製作した
「特撮番組」
でも取り上げられていた。
要するに、
「若い肉体を求めて、誘拐しに来た」
というところが同じだった。
今回の事件を考えている時、警官は、その昔のテレビを有料チャンネルで見たのを思い出した。
彼は、昔の特撮が好きだったからだ。
ただ、彼がその話を思い出したのには、もう一つ理由があった。
というのは、
「この話は、今の時代にもい言えることなのではないか?」
ということであった。
「老朽化して、若い肉体という、労働人口が足りない」
ということである。
今、リアルに直面している国家レベルの問題で何かを思い出さないだろうか?
ということであるが、賢明な読者であれば、作者が何を言いたいのかということくらい分かるであろう。
「そう、少子高齢化」
である。
「働き盛りが、老後の人間を支える。少子化であり、長寿が進んでいるので、老人が減らずに、若者がどんどん、いなくなり、老人になっていく」
という問題である。
「前は、5人で1人を支えていたのに、今では、2人で1人を支えている」
という時代である。
まったく無視できない問題ではないだろうか?
そんな話を思い出していると、
「まさかな?」
と、今回の誘拐というべきか、
「神隠し」
のような事件では、子供たちは、
「自分たちが誘拐された」
という意識はない。
「どこにいたのか?」
と聞かれても、子供たちは、決して言おうとはしない。
だからといって、洗脳されているわけではなく、子供たちの意思から、言わないようであった。
しかも、犯人(ここでは、親に黙って連れて行ったという意味で犯人ということにしておく)からは、身代金などの要求なども一切なかったことから、
「営利誘拐ではない」
というのは確かだった。
しかし、
「だったら、なぜ、子供たちを定期的に攫ったりしたのだろうか?」
ということである。
後になって返すということであれば、歴史の好きな人であれば、
「竹中半兵衛みたいじゃないか」
ということだろう。
竹中半兵衛というと、
「秀吉の家来」
ということで有名だったが、元々は、美濃の国の、
「斎藤道三の家来」
だったのだ。
斎藤道三は、
「戦国大名の代表」
ともいえる人で、
「下克上」
によって、美濃を統一した
「蝮」
と呼ばれた武将だった。
諸説はあるが、
「油売りから戦国大名に登りつけた」
ということで有名である。
しかし、彼は、それまで息子として育ててきた斎藤龍興が、誰かにそそのかされたのか、
「父親である道三が実は、父親の仇に当たる」
ということを信じ込んでしまい(実際には分からないが)、謀反を起こし、父親の道三を討ち取るということになった。
それなのに、龍興が、政治もせずに、だらけた生活をしていることに業を煮やした竹中半兵衛は、数名の兵で、策を弄して、本拠地である
「稲葉山城(今の岐阜城)を占領し、半年ほど立てこもった」
というんだ。
織田信長からの再三の誘いを断って、居座り続け、最後には、何と奪い取った相手である龍興に城を返すことになった。
それは、
「だらけ切っている主君に、目を覚まさせるため」
ということで、こんなクーデターまがいのことをしたというのだから、ある意味、呆れるといってもいい。
それを見込んだ信長が秀吉を使いに出して説得をさせた。
「三度の誘い」
でやっと、秀吉の家来になることを承知したということであった。
これが、竹中半兵衛の心意気ということで、彼の名前を、決定的なものにして、
「黒田官兵衛」
と並んで、
「秀吉の、両兵衛」
と称されるようになったのだ。
それが、竹中半兵衛という武将の話であった。
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