第3話 神隠し

 そんな詐欺グループが入りこもうとしたところを止めたのが、この村の伝統であった。

 それだけ、街の自治であったり、

「自分たちの身は自分で守る」

 ということが行き届いているということになるのだろう。

 それだけに、政府が、

「伝染病のランクを下げる」

 と言った時も、

「ふーん、そうなんだ」

 という程度だったのだ。

 確かに、

「俺たち老人をバカにしてるのか?」

 と言いたくなるところであろうが、この村では、国が何と言おうとも、今まで自給自足でやってきたノウハウがあるから、

「農作物を売って金にしないと」

 という考えはないのだ。

「お金を使わずに、この村で採れたものを食べればいいんだ」

 というわけである。

 そもそも。他の土地の人たちには、

「自給自足」

 などという考えはなかった。

 あったとしても、

「それは、本当に何かがあった時にすればいいんだ」

 ということで、普段は、他のところと一緒で、

「都心部に、行商に行く」

 ということだったのだ。

 今の時代は便利になって、

「ネット販売」

 というものができるので、そこで写真付きで載せておけば、問い合わせもネットで来て、すぐに買い手がつくというものだ。

 それも、販売というものが、いかに効率がいいか?

 ということを考えると、

「一度、楽をすると、なかなか、前には戻れないというっものだ」

 ということで、実際に、

「世界的なパンデミック」

 が起こると、皆、パニックに陥ってしまって、何をしていいのか分からないという状態になったのだ。

 そんな状態になると、

「自給自足をすればいいじゃないか」

 と言っていたことすら記憶にないという感じで、

「若い連中は憶えているのに」

 ということを、都合が悪くなると、忘れてしまい、

「記憶にございません」

 などという、

「政治家の常套句」

 のようになってしまうのだ。

 だから、その手段は分かっているのに、ノウハウがないのだ。

「いざという時に」

 という意識はあるくせに、実際に何かをできるというわけではないのだ。

 それを思うと、

「政治家だけでなく、あっちの村は、首脳陣が、まるで、政治家となって、腐ってしまっているのかも知れないな」

 とばかりに、

「あっちは、どうせ、自業自得」

 ということで、こっちは、一切の情けはかけない。

 かけてしまうと、せっかくのノウハウを得るためにバカにされながらでも頑張ってきた、先人のことを考えると、

「情けなど掛けられるわけはない」

 と、まるで、

「アリとキリギリス」

 の話を思い出させるのである。

 あくまでも、この村の人たちは、いわゆる、

「村人ファースト」

 の状態であった。

 かつての、どこかの大統領のようであり、また、東京都知事が、好んで使っていた言葉であったが、その内容はどうあれ、この村の、

「ファースト」

 というのは、徹底していた。

 実際に、他の村とは隔絶された状態で育ってきたので、彼らの精神状態は、他の村や町の人たちとは一線を画していた。

 特に、政府の方針が交錯し、自分たちがどうしていいのか分からなくなった時、

「お得意」

 ともいえる、

「自治体に丸投げしての逃げ」

 というものを発令した時、その力は発揮される。

 政府はそんなことをしょっちゅうしていたので、他の自治体が混乱している時、この村だけは、確固たる方針があったので、揺らぐことはなかった。

 他の村や町では、混乱が続いている。

「他の村がどうなっているのか?」

 などということを確認できるはずもなく、実際に確認しようとすることさえやっていれば、

「この村を少しでも参考にしよう」

 と考える人もいただろう。

 本当にそんな暇もないくらいに、中途半端なところで、

「やぁめた」

 とばかりに、政府が投げ出したので、本当に自治体は、それぞれに対応しなければいけなくなり、そのために、どの自治体も、混乱を極めているのであった。

 しかし、この村の、

「自給所即システム」

 とでもいえばいいのか、

「最初はマニュアルなどがなくとも、皆、誰もが何をすればいいのか分かっていたので、一致団結という形で、難局を乗り切っていた」

 と言われている。

 しかし、彼らとしては、

「一致団結」

 ではないのだ。

 傍から見れば、一致団結という形なのだろうが、実際にはそうではない。

 一致団結というわけではなく、自分の力を、個々で発揮しながら、その力が、それぞれで発揮されることで、共通部分だけが目立つので、

「一致団結」

 に見えるのだ。

 だから、彼らとすれば、

「まずは、本人の力が最優先し、それが、人と絡んだところで、一足す一は二というような答えではなく、三にも四にもなるというものであった」

 というのが、彼らの基本だったのだ。

 その基本が成り立っているので、

「マニュアルなどいらない」

 ということになる。

 そんなものがない方が、

「それぞれの力を発揮できる」

 というもので、それが、この村の力だったのだ。

 それで、封建制度の時代は、何とか乗り切った。

 あの時代は農民が搾取されていたが、表向きと裏では、かなり違った。ただ、それも徳川幕府全盛時にできるわけもなく、幕末の幕府の権威が失墜した時に、その実力が発揮された。

 明治になり、その混乱や、

「特権階級による新政府」

 だった頃に、彼らは、独自の体制を確立していった。

「大日本帝国」

 というものが、名実ともにできあがった、

「憲法制定」

 の時期には、彼らは、表向きは、

「日本の一農村」

 であったが、実際には、彼らだけでも、設立できる、

「共和国」

 的な存在になっていた。

 実際にそれだけの貯えもあったり、何かがあった時の、マニュアルも、しっかりできていたのだった。

 それが、彼らにとっての、

「大きな武器」

 であった。

 しかし、それを決して表に出すことはしなかった。あくまでも、日本の一部であり、

「国家の中の一つの村」

 であった。

 それは、本当の有事の時に、独立できるだけの力を持って、それを隠していたのだ。

 戦時中になると、国自体が、

「立憲君主」

 ということなので、さすがに、表向きとはいえ、

「一農村」

 に国家に逆らうだけの力はなかった。

 だから、戦時中、つまり、

「大日本帝国」

 の時代までは、

「殻をかぶっておく」

 ということまでしかできないのであった。

 その状態の中で、国からの赤紙がくれば、兵に取られるのも仕方がない。

 あるいは、金属供出ということもしょうがないところであった。

 それでも、彼らの金属はかなりの貯えをもっていたが、他の村と同じくらいの供出でごまかしていたので、金属類にはまtったく困らなかった。

 さらに、食料は、自給自足である。

 近くに、軍の施設や工場もなかったのは、幸運といってもいい。

 何しろ、この土地は、

「自給自足」

 ということには特化していたが、それ以外の土地利用に関しては、まったくダメだったのだ。

 何しろ、

「前は海で、すぐ後ろに、丘だったり、山だったり」

 ということで、

「軍需工場や軍の施設建設には向かない」

 ということであり、しかも、

「港は入り江になっていて、大きな船が入り込むことはできなかった」

 という場所だったのだ。

 国家も失念していたのは、この村が、

「農村」

 ということになっていたので、この港で採れる海産物が豊富であるということであった。

 そんなことを誰も分かっていないことで、国家も、

「ここの村や海産物をまったく、見くびっていた」

 ということであった。

 だから、自給自足は簡単にでき、それを政府に知らせないような工夫をもたらし、

「この村も、戦争で大きな影響を受けた」

 と感じさせることになったのだ。

 国家としては、

「この日本に、そんな村があったなんて」

 と、もしその存在を知れば、かなりの驚愕となったことだろう。

 だから、

「この村には、日本の常識というものが通用しなかった」

 ただ、中にあ、どこから情報が漏れたのか、都会から買い出しに来る人が、若干いた。

 しかし、それは、

「情報が漏れた」

 というわけではなく、

「他の村だけを回っていては、食糧不足を補うことができない」

 という人たちが、

「苦肉の策」

 で、この村にやってくることになったのだ。

 だが、この村の体制には、一切の代わりはない。

「どこの誰が来ようとも、自分たちの考えに変わりはない。売るものなど、どこにもないので、帰ってくれ」

 とばかりに、門前払いであった。

「同じ日本人として」

 と言われるかも知れないが、彼らには彼らの信念と、その信念があったからこそ、ここまで、

「隠れた独立国家」

 という意識をもっていることができたのだ。

 それを思うと、

「我々は、この村で、他の村の人に施しをするということは、村を売ったということになり、厳しい罰則があるからできない

 というものだった。

 その罰則も、戦前まではなかった。

 そんなものができるほど、日本は荒廃してしまい、無差別爆撃の影響は、想像以上だったということであろう。

 それを考えると、

「日本政府は、それだけ、国家が残っていれば、民間はどうなってもいい」

 とでも思っていたのだろう。

 何しろ、

「無条件降伏を受け入れるかどうか?」

 という時点で、問題になったのが、

「国体維持」

 だったのだ。

 日本における、

「国体」

 というのは、

「天皇制」

 ということであり、いわゆる、

「立憲君主制」

 の維持だった。

 そしてもう一つは、

「軍部の解体」

 という問題だったのだろう。

 実際に当時の日本は、何よりも軍部が強かった。

 その理由は、

「天皇の統帥権」

 にあった。

 当時の、

「軍」

 というのは、政府の下に位置していたわけではない。

 天皇を大元帥として、天皇が統括するものが軍であり、つまり、

「天皇直轄」

 というのが、軍だったのだ。

 それを考えると、

「政府ですら、軍に口出しができない」

 というのは当たり前のことだった。

 政府は、政府で行政を行っているが、慣例として、

「天皇は政治に口出しはできない」

 と言われている。

 しかし、政府以外で、軍はとなると、

「大元帥」

 である天皇が統括するのだから、軍に対しては厳しくなるのだ。

 そうなると、有事においては、軍の力が強いのは当たり合えのことであり、天皇制が、

「国体」

 であるということであれば、同じく、

「軍も国体だ」

 といっても過言ではないだろう。

 そうなると、大日本帝国を担っているのは、

「政府ではなく、軍」

 ということになる。

 しかもその時は戦時下、軍のやることに口が出せないばかりか、作戦もまったく知らされていない。

 それどころはか、当時は、軍によって、

「情報統制」

 というものが行われ、

「負けた戦闘でも、いかにも大勝利という形」

 での報道がなされていたのだ。

 それは、あくまでも、

「戦意高揚」

 というものが目的で、

「もし、日本が劣勢だということを知ると、国民の間で反戦ムードが高まってくる」

 というものだ。

 国家ぐるみで、治安維持法を元に、ある意味、

「やりたい放題」

 の国家であったが、実際に反戦運動が起こってくると、どこまで抑えられるというのか分からない。

 まず、戦争への勝ち負けよりも、

「国家の内部から、その体制が崩れていく」

 ということになると、戦争どころではなくなる。

 そうなると、

「敵国が日本の内部に揺さぶりを掛けてくることも考えられる」

 というもので、それはいわゆる、

「諜報活層」

 というものだ。

 もっとも、この、

「諜報活動」

 というのは、日本はある程度得意としてきた。

 中国戦線や、満州などで行われていて、日本における、いわゆる、

「満州事件」

 そしてその後の、

「満州国建国」

 というものが、電光石火のごとく成功したのは、その、

「諜報活動のおかげ」

 と言ってもいいだろう。

 だが、本当の諜報活動は、

「欧米列強」

 の方が得意だっただろう。

 日本という国は、なにしろ、

「国家が狭く、資源に乏しい」

 という国だったのだ。

 それを考えると、

「諜報活動でもしないと、他の国に追いつけない」

 という姿勢としては謙虚であった。

 しかし、その野望は、あくまでも、

「独立先進国」

 ということで、

「大東亜戦争」

 の目的というものは、あくまでも、

「自給自足」

 を行って、世界から孤立してしまった日本を守るには、

「影での諜報活動は、重要だったのだ」

 ということである。

 日本が戦犯として裁かれた、

「極東国際軍事裁判」

 において、処刑されることになった人の中には、

「中国大陸、満州においての数々の諜報活動」

 と行っていた人も含まれていた。

 それは、ある意味、

「当然だったのかも知れない」

 しかし、それは、

「戦勝国による、一種のパフォーマンスだったのかも知れない」

 と言える。

 それは、新たな世界戦争への火種となりかねない、

「共産主義」

 へのけん制もあっただろう。

 共産主義国というのは、諜報活動を得意とし、スパイなどを送り込み、独立しようとする国を指揮し、

「ゲリラ戦」

 を行わせて、そこから、共産圏を拡大していこうというものであった。

 ある意味、主義こそ違えども、

「大東亜共栄圏」

 というものを画策した日本において、できることだったということではないだろうか?

 そんな諜報活動というのは、実はこの村にもあった。

 他の村には気づかれないように、自治体を操作したり、密かにしていたのだ。

 報酬は、

「自給自足」

 の現物支給。

 この時代では一番ありがたいことであった。

 何しろ、都会から、食料を求めて、自分の家の家宝などをもって、

「物々交換」

 にくるくらいである。

 これが、金に困っての、

「質屋の利用」

 であれば、金を借りる担保ということでの、

「質入れ」

 として、保管してもらえるが、

「物々交換」

 となると、戻ってくることはあり得ないのだ。

「お金ができたから、返してくれ」

 といっても、返さないだろうし、そもそも、その返してもらうお金は、

「その後の困った時に使う」

 という貯蓄に回るだろう。

 そのため、

「もう、お金の価値など、どうせまったくないんだ」

 ということである。

 何しろ、お金があっても、物資が絶望的にないのだから、経済としては、いわゆる、

「ハイパーインフレ」

 と呼ばれる時代となり、にっちもさっちもいかなくなる。

 そうなると、強いのは、この村であった。

 村の体制は、これまでの、政府の体制とはまったく違うものであった。

「立憲君主から見れば、民主主義に見え、封建制度から見れば、どこか律令制度にも見える。そして、民主国家から見れば、封建的な世界に見える」

 ということであろうが、それはそれだけ、一般人が、歴史というものを認識していないかということであり、少なくともこの村の人の歴史認識は鋭いものがあり、

「まるで、下手な歴史学者などよりも、よほど詳しい」

 と言われる。

 しかもその考えは理路線善としていて、奇抜に聞こえるが、その内容は、機密に満ちていて、

「誰も意見を言えない」

 というくらいになっているのだった。

 そんな状態において、この村にある鎮守は、いつの時代においても、

「村人の守り神」

 であった。

 そんな鎮守であったが、ある時、この鎮守にいたずらをしたこともがいたという。時代背景においては、いつのことだったのか分からないが、確かに、そんな少年がいたということが、鎮守の社務所に残っているという。

 社務所では、それを公開していて、見たいという人がいれば、見せるというのが、慣例となっていた。

 しかし、もちろん、閲覧できるのは、村人だけである。それを破ると、

「見せた方も、見せられた方も、ひどい目に遭う」

 というのが言い伝えになっていた。

 だから、社務所の人も、

「村人の顔は熟知している。逆に熟知していないと。ここの社務所では働けないのだ」

 という。

 代々この社務所は、世襲で成り立ってきたが、

「どうしても顔を覚えられない」

 という病気の人がいた。

 その時は、助手として記憶力のいい人を社務所の補佐ということで雇い入れていた。

 名目は、

「補佐」

 となっているが、実際には、所長と同じくらいの権利を与えられていて、

「ただ、世襲ではない」

 というだけの立場だったのだ。

 それでも、

「ここの補佐になりたい」

 という人は、それぞれの世代には多いようで、募集が行われると、たくさんの人が、それこそ、

「行列を作る」

 というものであった。

 以前、悪さをしたその内容までは、記載されていないが、漢字としては、

「そうは大したことはない」

 ということのようだ。

 他の村や町では、普通に許されることなのだろうが、この村は、

「他では通用しない」

 ということだったのだ。

 それを思うと、

「この村の特異性と、この鎮守における街の立場は、関係ないように見えて、実際には、密接に結びついている」

 ということになるのであろう。

 それを考えると、

「この鎮守には、本当に信じられないような力があり、それが、この村の運営に、大きく影響しているのではないだろうか?」

 ということであった。

 他の村でも、確かに、鎮守と村の運営とでは大いに影響がある。 それはなぜかというと、

「神社が、五穀豊穣の祈り」

 だからであろう。

 特に、この村では、

「自給自足」

 を基本としているので、

「五穀豊穣」

 というのは、避けては通れないものであろう。

 だから、

「信じられないような力」

 を有していたとしても不思議はなく、その力が、今も村の繁栄を支えているといっても、過言ではないだろう。

 そんな村の繁栄を支えてくれている鎮守に、くら子供だとはいえ、いたずらなどは許されることではない。

 すぐに犯人はその時に見つかったといいう。それも詳しくは書かれていないが、鎮守にての、お祓いによって、その犯人を指摘したというのだ。

 犯人は、その指摘にビビってしまい、家族も一緒で、

「もう、この村にはいられない」

 ということで、夜逃げ同然に村を離れたという。

 そして、その逃避行の途中で、事故に遭ったようで、海に死体が上がったという。それから、村人は、

「祟りじゃ」

 ということで、改めて、鎮守様の力の恐ろしさを思い知り、さらなる崇め奉ることになった。

 そして、現在に至るわけだが、神社には、

「村を守る」

 ということと、

「その怨霊を鎮める」

 という意味とで、

「鎮」

 と、

「守」

 とで、ここを誰も神社とは呼ばず、

「鎮守」

 と呼ぶようになったのだった。

 鎮守というものが、いかに村を見つめているかを考えると、

「平等をスローガンとしている村において、唯一、村の上にある立場としての鎮守様の存在は、誰もが、必要不可欠なものだ」

 と感じているのだった。

 鎮守というものが、

「村に君臨し、そして、主となる立場」

 が鎮守であるとするならば、

「君主的立場」

 といってもいいだろう。

 そういう意味で、この村は、

「鎮守様による、絶対君主の村だ」

 といってもいいのかも知れない。

 そんな村を襲った事件が最近あった。

 というのは、

「神隠し事件」

 これも

「少年が、忽然と消えた」

 という事件で、少年は、

「別に何か悪いことをしたわけではない」

 というのが分かったからである。

 この村は、

「閉鎖的な村」

 ということであるが、科学的なことに関しては、結構、取り入れたりしている、

 結構早くから、村の至るところに、防犯カメラを設置していた。特に、鎮守に関しては、かなり前から防犯カメラの設置は行き届いていて、今回の少年が行方不明となった前後の防犯カメラは、入念に調べられた。

 もちろん、警察にも届けられ、捜索願も出された。

 さすがに、

「少年の行方不明事件」

 ということで、普段なら、

「少々のことでは、捜査員が動かない」

 と言われる警察だったが、今回は、初動捜査から、素早い対応だった。

 非常線も張られ、交番には、写真付きの、

「行方不明者捜索」

 ということで、大々的に、県内全体に、張られていた。

 もちろん、交番だけではなく、役所や駅などの、公共公共施設などには、張られていることだろう。

 ここまで警察が動くのは、以前から、治安に関して、村の長から、寄付があったのだ。

 村は閉鎖的ではあるが、まわりの村で治安が悪いということは、自分たちの閉鎖的な環境を、壊される可能性があるからだ。

 当然、これくらいのことがなければ、そもそも、シビアな村なので、金を出したりなどするわけはないのだった。


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