第16話 ズレた世界

「あら?」


 ノアールが左手を伸ばして先を指さした。指さすのは御屋敷の正門だが、その先が深い霧に包まれている。霧が濃いせいで御屋敷の輪郭すら見えない。


「霧?こんなに天気がいいのに」


 空を仰いだ。少なくとも、わたしの真上には青い空が広がっている。


わたしたちのことを出迎えてくれるみたいです」


 正門を越えた向こうにだけ霧がかかっている不可思議を、ノアールは全く気にしていない。くるくると回りながら、緑のドレスの裾が浮き上がるのを面白がりながら、正門に向かって足を進める。



 正門を越えて、御屋敷の敷地の中へ足を踏み入れた。

 いるはずの門番がいない。霧の向こうに微かに見える御屋敷にも人の気配が感じられない。


「人の気配がないわ」


「大丈夫です。ここに集まったモノが、魔力で世界を少しずらしているんですよ。妾たちは、ズレた方の世界へ入りました。御屋敷の皆さんは、普通の世界で普通にしているはずです」


 いや、待ってよ。ズレた世界って何だ?

 疑問を声にする先に、霧が一定の方向に流れ始めた。流れる先は、ノアール!


「すごいですね。こんなに意思を示せるほど色濃く集まっているなんて。あなたとお友達になって本当に良かったです」


 霧は、白い帯のようになってノアールの身体に巻き付いた。ノアールの胸から腰までが、白い靄に拘束されてしまった。

 ノアールの正面に、もう一つの白い塊が生じる。それは急速に大きく膨れ上がり、人の大きさほどになった。

 オォォォーーーン

 獣の咆哮が響く!


「人狼!」


 白い塊は、人の形を取りながら全身毛むくじゃらで、その頭部は犬か狼のようだ。突き出した口は大きく割れて、鋭い牙が生えている。

 少しくすんだ黄金色の毛並みをした人狼は、頭に突き立った耳をピクピクさせて両腕を白い靄に縛られたノアールを見下ろした。

 人狼が、振り上げた右腕をノアールへ振り下ろした。その爪が、ノアールの顔を掠めた。整った顔に、3本の爪跡が走り赤い血を吹き出した。


「ノアール!」


 思わず、上げてしまった大声。すると人狼は、わたしの方へ向き直り近づいて来る。

「ちィ!」

 右手が勝手に海賊の剣ヴァイキングソードを引き抜く。頭で「やばい」と思っても身体の反応は別らしい。

 しかし、次の瞬間。わたしと人狼の間に、ノアールがいた。


「駄目ですよ、仔犬さん。二股をかける人は嫌われます。ちゃんと、妾だけを見て下さいね」


 わたしに背中向けて、人狼と向かい合っているのでノアールの顔は見えない。しかし、ドレスの肩口は、鮮血で濡れている。


「でも・・・仔犬さんでは、妾が満たされないと思います」

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