足跡

20日L(はつかのえる)

ツイッターむかしばなし

ツイッター春の凍結祭りに巻き込まれた私はある日突然、全自分のアカウントを永久凍結されてしまった。

なんの前触れもなく、朝起きて、さあTLでも覗くかと考えるまでもなく習慣づけられた動きでツイッターアプリを人差し指でつついた。

【ご利用のアカウントは永久凍結されています】

そして私は自分がツイッターから消え去っていたことに気づいた。焦りながらも何とかなるだろうと心を守るために楽観視しながら異議申し立てはしたが、何度もしたのだが、それも見事に跳ね除けられた。

という訳で、私は宇宙に放り出された。

宇宙に放り出された気分だった。


たかがSNSと侮るなかれ、私自身こんなにダメージを受けるとは思っていなかったのだが、現実世界に友人を作っておかなかったツケが回ってきたのもあるのだろうが、それともまた違う辛さがあった。

ツイッターの役割を今になって考える。

ひとつは日記としてのツール、ひとつは愚痴を吐きメンタルを少しでもマシにするためのツール。

そして誰かと繋がりコミュニケーションを取ってニコニコするためのツール。

SNSの中でもツイッターといえば最早世間の可視化と勘違いできるほど人がいる。何かよく知らない政治家の人もいる。流れてくるツイートの中で大臣の肩書きの人もたまに見かける。首相だって、大統領だって。

その、人の奔流の中で知り合ったフォロワー。

友人とも知人とも言えない関係。

フォロワー。

ネット上の隣人ともいえるリアルの隣人より大事にしたい隣人を私は長いSNS生活で作りすぎた。

そして突然そのコミュニティから追い出されたのだからたまったものではない。

事前に連絡先交換しておけばいいだろうと言われるかもしれないが、それでは距離が近すぎて私のようなコミュニケーション下手くそ女は遠からず事故を起こす自覚がある。

何よりロマンがない。

ツイッターで知り合ったフォロワーは一つの虚構であり夢だと思う。フォロワーのアイコンは何であってもいい。嘘であっても真であっても好ましいと思えばそれで良いといういい加減さがある。

立派じゃなくても立派なことを言っていいし、お金持ちじゃなくてもお金持ちぶっていい。優しくなくても優しくしていい。意味がなくていい。へにゃへにゃしてていい。

リアルではブレが許されないアイコンである私は生きる上で社会からの立ち位置や役割から逃れられない。肩書きにして履歴書にしたところで大した経歴ではない。面白くない人間だなと自分でも思う。

そのリアルから逃れたいという気持ちやら、愚痴やら、何より言葉でコミュニケーションを取れるというのがツイッターの魅力だった、ように思う。

しかし一番落ち込んでるのはそこではない。ツイッターで密かに推していた窓辺のユシちゃん(ハンドルネーム)の言葉に二度と会えないのである。

窓辺のユシちゃんも春の凍結祭りに巻き込まれたかどうかは分からない。

何しろツイッターを開くと【ご利用のアカウントは永久凍結されています】の文字しか見れないのだから。

もしかしたら私だけ永久凍結させられているのかもしれない。

それにしても今後、もしくは生涯、窓辺のユシちゃんの言葉に触れることは出来ないのだ。

私は酷く落胆していたし混乱していた。ここまでフォロワーに精神的ライフラインを握られているとは思わなかった。

SNS断ちだってしていた時期もあるというのにここまでダメージが大きいのはツイッターを開けばいつでも会えるという環境が整っていたからで、SNS断ちといいながらツイッターをいつでも開けるという甘えがSNS断ちを支えてくれていたことなど直視したくなかった。

いきなり永久凍結されたら普通にしんどい。

取り敢えず私は別のSNSに移動した。

パウーさんに避難したところ私と同じように春の凍結祭りに巻き込まれた避難民達でごった返していた。パウーさんはいきなりの難民に耐えきれず何度もサーバーを落とした。何度もパウーさんマスコットの像さんが泣いてる絵が表示された。

落ちつくために私は、取り敢えずパウーで第一声の呟きを放つ。

〈宇宙に放り出された〉

それが私の心細さと絶望を表す言葉だった。

取り敢えずツイッター社にアカウント凍結への異議申し立てをした。


さて、何度も異議申し立てをして跳ね除けられ諦めが入った脳みそで私は考える。

多分ツイッターに戻ることはないだろう。

一応他のサイトでメッセージのやりとりは出来るけれど、いきなり自分が消えたからといってユシちゃんにメッセージを入れるのは躊躇われた。

インターネットは現実と同じかそれ以上に一方通行で儚い関係なのである。私がユシちゃんを推しているからといって彼女がそうだとは限らない。その考え自体が自分でも気持ち悪い気がする。

程々の距離があったからこそコミュニケーションが成り立っていたのかもしれないと思うとメッセージを送る行為というのは重すぎる気がした。

そもそもツイッターでフォロワーが何の事情も分からず消えることなんて日常茶飯事なのだから気にかけるということ自体発生しないかもしれない。

儚かった。割と儚い土俵で私たちはじゃれあっていたのだ。

もしユシちゃんが、わざわざ他のサイトから何故私がメッセージまで贈ってくるんだろうとか考えられたりしたら、羞恥のあまり私は腹を切るかもしれない。

完全に一方通行片道切符の特攻みたいなものだ。そんなことをしているからコミュニケーション下手くそ女なのだ。

さっさと新しいコミュニティをパウーで作った方がメンタル的にも健全なような気がした。

早めに思い出にしてしまおう。そもそもメンタルをフォロワーに握られている時点で不健全だった。正すなら今だ。


正せなかった。


パウーは楽しい。ツイッターと同じSNSでも時間の流れがゆっくりしているし、何より人口が少ないお陰で見たくないものを見る確率も低い。慣れてきた。ここで知り合った人と話すのも楽しい。素直に楽しいと思う。長く縁がなかったTRPGのお誘いもあって新しいことをしている感覚も新しく関係を構築する楽しみもあった。

これでツイッターに戻りたいなんていうのも贅沢なのかもしれない。

そもそもなんでユシちゃんにこんなに固執しているのか分からなくなってきた。何故ユシちゃんにメンタルを握られてるんだ。しかもそれを彼女は知る由もないのだから、いい迷惑だろう。勝手にメンタルを明け渡されているとは思うまい。

彼女と出会ったのは多分二年か三年前でそんなに深い話をした訳でもない気がする。流れるようなやり取りだった。

でもそんな理由とか何かが無くても楽しかったような胡乱でくだらないツイートも積み上げると執着になるらしい。

私はいい加減にしてくれと思った。

パウーの真っ暗なデフォルトタイムラインはダークブルーで本当に宇宙の色みたいだ。

そういえばと思ってユシちゃんから薦めて貰ってAmazonで注文した本を手に取った。

元々自分が本とか読む人間じゃなかったことを思い出した。自室の本棚を覗くとツイッターの色んなフォロワーから薦めて貰った本がずらりと並んだり積まれたりしている。

これが有ればフォロワーが消えても本は遺るなと昔は能天気に考えていたけれど、これじゃ本当に遺品じみてきて読む気は起こらなかった。というかツイッター依存の集大成みたいな本棚をよくここまで育てたなと思う。日常にフォロワーが侵食してきている図を自分でやや引きながらげんなりと眺めた。

自分が寂しがり屋であることを唐突に思い出した。

どうしようかなと思った。SNSを続けていればいつか何かの形でユシちゃんとかち合うことはあるかもしれない。

でもツイッターにいるユシちゃんと次に会う中身の同じ誰かは同じだろうか。

私が勝手に夢みた幻想とアイコンを探すことこそ不毛な気がした。

元気ならそれでいっか、と思うことにしようと思って元気かどうかも分からないよなと溜息をついた。どっちでもいいかと思うことにした。

そもそもこのまま広大なインターネット世界でユシちゃんを探すなんて馬鹿みたいな話だ。

だからこっそりユシちゃんを探すことにした。馬鹿だからこっそり探すことにした。

まず自分の執着がキモすぎるという点で誰かに教えるのは無理だしネットストーカーと言われたら自分もそう思うしキモすぎるし、キモすぎる。

誰かに指摘されるまでもなくキモイんだから他人に指摘されたら腹を切ってしまうだろう。

そう思いながら私はパウーを開く。

パウーにユシちゃんはいない。

それならSNSなんてやらなくていいんじゃないかなっていう気もしてきた。


実は、ユシちゃんと初エンカウントしたときの言葉を少し覚えている。

本の好みが一緒でお互い自分と話しているのかと思ったとかいう話とか、当時は推しと呼んでくれたことだとか、動物園より水族館の方がいいだとか、そんな取り留めのないやり取りを覚えている。そしてその年か次の年だかに誕生日プレゼントとしてTS百合小説を頂いたことも覚えている。


だから、今日も宇宙を彷徨い続けることにした。

こんなことは砂漠で落し物を探すようなもので、いつか途中で投げ出す時がくるような気がする。もしその時が来ればその方がいいような気もする。

本当に自分でもどうなのと思う。

そんなことが宇宙を旅する理由になるのかと自分のキモさと自己嫌悪と戦いながら今日も私は宇宙を漂う。

幸い積んでいた本と薦めて貰った本は本棚に納まっている。

ユシちゃんの記憶を私がどれだけ覚えていられるか、いつまで彼女の言葉を思い出していられるか心もとないが、彼女とのやり取りもツイッターから消えてしまった以上、この本と記憶以外に手がかりとなるものは無い。

あとは記憶の中の彼女の言葉を辿るしかない。

もしユシちゃんの言葉に再び出逢えた時、私はそこに彼女を見出すことが出来るだろうか。

不安に思いながらも実はもうネットの宇宙をさ迷っている時点で私は取るに足らない自信を持っていることを白状しなければならない。

あの文字だけの世界の中で彼女の言葉を覚えているのは、きっと彼女の何気ないなんの意味もない言葉が好きだったからだ。

私は彼女の言葉を見出す自信があるから馬鹿みたいなネット宇宙旅行を始めたのだ。

私は広大なネット宇宙に浮かびながら偶然通り過ぎる誰かに手を振った。通りすがった瞬間その誰かも手を振って一言二言言葉を交わした。おはようとか、今日も頑張ろうねとかそういう取り留めのない言葉だった。

あの人も誰かを探しているのだろうか。案外私みたいな諦めの悪い人は多いのかもしれない。

ネットの宇宙の中を私は彷徨う。

私はこの文章をカクヨムに投げる。

これが、ひとまずの私の足跡になるだろう。




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