第二十六話 無限の可能性



「まさか、適当に取ったのが記憶系の魔法とは…………」



 原書のデータでいっぱいとなった無意識下の世界。俺は一人、驚きを隠せないでいた。



 まぁ、それもそのはず。だって膨大な情報が蔓延るこのエリアで、自らの求めた情報がものの数時間で手に入ったのだから。


「さて…………と」


 取り敢えず、ページを繰りつつ魔本の内容を頭に入れていく。途中、若干の頭痛に襲われたが、大したことはない。

 とにかく今は魔法を発動させることが最優先である。


「…………やるか」


 全てのページを読み終えた俺は一つの言葉を呟く。それは、この無為な空間から意識を剥離させる足掛かり。現実世界に戻るための架け橋である。


「整理整頓・エピソード!」


 瞬間、魔本は強烈な閃光の中に消え、代わりに現れたのは真っ黒な一つの箱だった。

 最初にこの魔法名を見た時は明らかに誤表記だろうと思ったが、そんなことはないのか。いや、もしかするとただ黒い箱を出すだけの魔法という可能性もある。



「開けるしか、ない…………よな?」



 中からグーパンチが出ないように祈りつつ、俺は恐る恐る箱を開ける。幸い、グーパンチどころか、箱の中身は真っ黒なまま。否、黒過ぎて底が見えないともなるとそれはそれで不気味か。

 

 怖いとは思ったが、ここで尻込みしても仕方ないので俺は箱に手を入れてみる。所詮はただの小さな箱。そんな考えが安直であったと気付いたのはほんの数秒後のことだった。


 白から黒へ、暗転。原書の魔法が記された本棚は崩れ、混ざり合い、そして再び真っ黒な世界に積み上げられていく。気付けば、俺の目の前には綺麗に整頓された本棚と、そして一台の操作盤のような物体が置かれていた。


「これは…………」


 奥行きが見えない辺り、本棚は原書の情報だろう。となると、この操作盤は何だ。仮にあの魔法が記憶操作の魔法だったとしたら、制御装置か何かなのか。いや、しかし…………


「そう上手くいくもんかね?」


 半信半疑ながらも、俺は適当に操作盤の画面を左にスワイプしてみる。おっと、目の前にあった本棚が差した方向へと動かされてしまったではないか。



 結論、上手くいきました。



「ははは…………まじですか」


 苦笑を交えながら、俺は操作盤のタッチパネルを動かしていく。どうやら、本棚の移動だけではなく、メニューから情報の消去やカテゴリの分類、フォルダーの作成などが出来るらしい。しかも、ある程度の自動操作は受け付けており情報過多の処理も自動対応に設定できるらしい。


「もしや…………記憶整理ってかなり便利なのでは?」


 指を休めることなくタッチパネルを操作していく。本当に、今日ほどある程度の機械の操作と仕組みを学んでおいて良かったと思ったことはない。数年前の自分に最大限の感謝を伝えようじゃないか。


「お前の努力は確かに生きてるぞ……………………厨二病だった頃の俺」


 何年か経った今でも思い出すと恥ずかしいが、ここは素直に感謝しておこう。こうして魔法の制御に希望を見い出せたのは、痛かった頃に磨いた知識と技能のおかげなのだから。


「よーし、さっさと整理して現実世界に帰るとしますか!」


 その後、俺は時間も休息も忘れて、ひたすら整理整頓に打ち込むこととなった。


 

 ……今頃、日向は何をしてるかな……



 ぼんやりと抱いたその想いは、忘れられるわけもなく記憶の最優先に留まっていた。






♢♢



「――蛇炎剣――」


 蛇のように滑らかな軌道を描いた剣撃は、纏いし豪炎一ミリの空白を挟み悪魔の肩を掠めていく。


「ほぅ、魔力を変質させ軌道を変えたか…………よく考えられている」


 不敵な表情崩さず、第四の悪魔は嗤う。魔力変質で改変された魔法の軌道を、意図も簡単に読み取るとは。戦いの最中とはいえ、気を抜けば自信喪失でその場に崩れ落ちそうだ。


「まさか、この私が回避を余儀なくされるとは…………自らを誇れ、悪魔狩り」


 偉そうな態度と、上から目線な物言いが非常に腹立たしい。が、決して悪魔の誘いには乗らない。


 ここで怒りの感情に任せて力を振るえば、魔力制御を誤りかねない。たかが挑発に乗る程度で敗因を作るなど、まっぴらだ。


「――茨ノ杭畑――」


 悪魔の煽り文句など耳に入れることもなく、私は魔法を紡ぐ。軽く触れた地面に魔力を流し、詠唱すればあっという間に土杭からなる茨の完成だ。


「――局所雷針――」


 当然、魔法の一つで第四の悪魔を葬れるわけもない。間髪入れず、私は更に魔法を重ねる。いくら相手が最後の悪魔とはいえ、使える魔法のバリエーションで言えば、 私に分がある。


「活かせるものは最大限活かします」


 隆起した土の杭を穿つは天からの雷。土の茨が散りゆくその真ん中、雷撃を掻き消すは光の障壁。言うまでもなく、それは魔法の不発を表す。


「土の拘束魔法で足場を狭めつつ、範囲を限定させた高威力の雷属性魔法か。全く、戦術が読めんな」


「それはどうも」


 土煙が漂う校庭、生まれた刹那の空白で息を整えつつ私は悪魔と舌戦を交える。一秒だって気は抜けないが、身体を酷使しない分、幾分か余裕を感じた。


「君が愚かな悪魔狩りでなければ、殺すこともなかっただろうに。残念だ」


「もう勝った気でいるんですね」


「無論、私は勝利を確信している。君の魔法はせいぜい、人の限界の再現に過ぎない。たかが人の魔法に、第四の悪魔は打ち砕けんよ」


 静かに、そして残念そうに告げる悪魔の言葉。相手がただの人間であれば、きっと嘘であることを疑いはしないだろう。



「君は所詮、軽くあしらう程度の相手でしかない」



 この威圧感、先程までの殺気とは濃さが異次元だ。殺される恐怖を感じるよりも早く、身体が動かなくなる。集中してないと、圧だけで意識を刈り取られそうだ。


「くっ!」


 体内の魔力循環を最大限の効率化で早める。活力を得た四肢は、自由を取り戻し、呼吸は安定する。


「もう、終わりにしようと思う」


「まっ、まだです!」


「貪欲な者は嫌いじゃないが…………仕方ない」


 その言葉はまるで死刑宣告のように、静かな結界内に木霊する。張り詰めた空気が揺らぐその一瞬の空白。その間に、私と悪魔の間合いは消えてなくなっていた。


「くっ――瞬」


 駄目だ間に合わない!


 本能がそう叫び、詠唱を中断させる。何が起こっているのか、認識できなかった。ただ、本能のままに防御姿勢と最低限の回避を入れて、致命傷を防ぐ構えを取る。


 気付いた時には、私の全身を激しい衝撃が襲っていた。


「がはっ!」


 攻撃された、その事実だけが感覚として理解できた。背中が、腕が、足が痛い。経った一撃、急所を外してもこの威力。冗談じゃない。


「私の一撃を耐えた人間は何百年ぶりだったか。実に面白い」


 ギリギリのところで呼吸を取り戻し、私はすぐさま身体に治癒の魔法を掛ける。身体中を駆け巡る痛みは、数秒も掛かることなく消えていった。が、一撃でも直で喰らうと死ぬという事実が、場の緊張を天井まで高める。


「くっそ…………」


 意志を無視して現状を考えれば、私はもうすぐ死ぬことになるだろう。死にたくないと思っても、そこは変えられない。


 弱気になる気は更々ないが、今の私にはどうしても悪魔に勝利する未来が見えなかった。


 死にたくない、生きたい。確固たる意志は未だ強く胸に留まる。けれど、身体に刻まれた死の恐怖は、それだけで戦う力を鈍らせてくる。


 勝つ方法ではなく、逃げる方法を考えてしまう自分がいる。その事実に、酷く嫌気が差してきた。


「怖気づくのも無理はない。君が生きている以上、生存本能には抗えないのだから」


 私の内心を読み切ったのか、聞いてもないことを応える第四の悪魔。言っていることが的外れでないのが、また腹立たしい。腹立たしいけど、どうにもならない。



『こんなところで、折れていいの?』


 絶望に呑まれそうになったところ、心の中の私が叫んだ。


『その絶望で、私は先輩を犠牲にしたというのに。今度は誰を犠牲にするの?』


 戦いに目を向けすぎて忘れかけていたことを思い出す。それは出来れば思い出したくない苦い過去。心の折れた私の前で、倒れる侑生先輩。その光景が脳内で思い起こされる。


『今ここで死ぬってことは、侑生先輩の未来を奪うことなんだよ?』


 嘲笑うように、もう一人の私が突き付ける事実。嫌だ、こんな結末。二人とも死んで、終わりなんて。


「そんなの、駄目だ」


 本能的な恐怖を断ち切り、私は言葉を紡いでいた。


「絶対、駄目だ」


 それだけではない。足の震えは消え、身体が思った以上に軽い。緊張からくる強張りは消えて、気持ちにも少しだけ余裕が生まれている。焦燥に集中を乱されることも、今ならなさそうだ。


「こんなところで、死ぬわけにはいかない!」


 声を張り、精一杯叫ぶ。もう、迷わない。怖くない。だって、私は死なないから。こんなにも強い気持ちがあるんだから。


「――錬成・深炎紅鶴ノ剣――」


 錬成の魔法を唱え、私は赤く燃え盛る剣を握る。そして刹那の間を経て、悪魔の懐に飛び込む。


「いっけぇええええええええええええ!」


 振り切った剣は確かな衝撃を受ける。勝った、そう思ったのはほんの一瞬だった。


 身体中に圧し掛かる衝撃の嵐が攻撃の結果を物語っていた。

 

「………………………………っえ?」


 ポタポタと零れ落ちる血。歪む視界。身体中に刻まれた切り傷と脇腹と肩を貫いた剣。



 あぁ、そうか。


 私は、勝てなかったんだ。



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