第二十三話 その代償はあまりにも大きく
「ふぅ……………………」
激しく鳴り響く轟音が凪いでしばらく。半分失いかけていた意識を一度取り戻し、俺はゆっくりと目を開けた。
「あっ…………」
正直な感想はたった一つ、驚愕だった。
すぐそこまで迫っていた悪魔の足音はすっかり消失。その代わり、澄み切った視界に映っていたのはなぜか右腕を消失した悪魔の姿と、俺からそこまでの延長線上に広がる、深く抉れた校庭の残骸。まさか、先程の一言がこれを作り上げたのか。日向が攻撃の一つも、当てられなかった第三の悪魔に、致命傷となりうる攻撃を当てたのか。
「はぁ…………はぁ…………何、今の?」
「これは…………」
どうやら、驚愕を覚醒ていないのは俺だけではないらしい。攻撃を受けた張本人である第三の悪魔も、それをすぐ近くで見ていたはずの日向も、抱く感想はほとんど同じだった。
「何で、たかが人間の魔法に…………まさか?!」
何を察したのか、先程までの余裕を一切感じさせない悪魔の声が聞こえてくる。演技である可能性を疑うところではあるが、正直、狼狽え方が演技のそれではない。
「はは…………あはははははははははははははははははははあはっははははははははは!」
第三の悪魔は壊れたような高らかな笑声を上げた。
「まさか、原書のアクセスが出来るなんて…………ははは、終わりだ。終わりだよ、もう」
「原書のアクセス」の意味は分からない。けれど、俺の魔法には第三の悪魔を倒すだけの能力が備わっているらしい。恐らく、さっきみたく悪魔に攻撃することが出来れば、撃破も現実的となるだろう。
「もう一度、魔法を…………」
そこまで言ったところで、俺の頭に再びの衝撃。一度治まったかに思えた激しい眩暈と、頭痛が蘇ってきてしまった。
その場に立っていることも辛くなり、俺は地面に崩れ落ちる。幸い、まだ完全に倒れてはいないが、正直それも時間の問題ではないかと思う。実を言えば、今も目を閉じないようにするのが精いっぱいだ。
「っ…………またかよ」
脳内で、知らない映像が超高速再生されていく。流れる一つ一つは見るだけで船酔いよりもひどい不快感を齎し、終わりが見えないことへの苦痛を増大させていく。
「…………はぁ……………………はぁ」
深い呼吸を意識しつつ、俺は顔を上げる。一瞬、すさまじい鈍重感が身体中を襲ったが、何とか根性で我慢できた。
「はは、まだ原書にアクセスしようとしてる…………こんなの勝てるわけないよ」
恐らく、第三の悪魔は動揺で動けていないのだろう。その証拠に、今なお薄れゆく意識の中で、俺が肉体的な痛みを感じることはなかった。
「…………あっ…………ぐ」
あと一歩で勝てる。何でもいい。とにかく何か魔法を放つことが出来れば、俺は第三の悪魔を倒せる。
思考の領域で、もがくように手を伸ばし、幾千もの糸から無作為に一つを手繰る。意識も集中力も底が見えた今は、一つ一つを調べるだけの余裕などない。
あとちょっと、もう少し、指先一つ分もない距離。
「…………と、ど……け」
俺は確かに、糸を掴んだ。
「――あzwsぇdcrfvtgbyふんじmこ――」
どうか、この一撃で、この戦いが決着しますように。
魔法が紡がれるその時、薄れゆく意識の中で俺はそんなことを願った。
♢
「…………っ、一体…………何が?」
月の光に閉じた瞳を刺激され、私はゆっくりと目を開けた。
確か、侑生先輩が私も知らない魔法詠唱をして。その魔法の衝撃で飛ばされて、気絶してしまったのか。
「っ! 侑生先輩?!」
記憶を手繰ったところで、私はその場に立ち上がり侑生先輩の姿を探す。魔力を解放してからの先輩は、酷く体調が悪そうだった。もしかしたら、どこかで助けを求めているかもしれない。
「あっ…………」
飛ばされた校舎の辺りから、少しだけ重い体を動かして、向かった先は校庭。その中心には、仰向けに倒れている一人の男子生徒の姿があった。
「先輩っ!」
間違いなく、倒れている人は侑生先輩だ。思考を断定し、私は彼の下へ駆け寄る。 幸い、彼は意識を失っているだけのようで、外傷もほとんど見受けられず、呼吸も問題なく出来ていた。
「はぁ……………………良かった」
安堵がいっぱいにこもった独り言を零し、私はその場に腰を下ろす。侑生先輩の無事を確認したところで、気が抜けてしまったようだ。
「全く…………よく、言うよ」
ただ、気を抜いたのは一瞬。この短時間、嫌なほど聞いてきた声が聞こえ、私は後方へ振り返った。
「…………あなたは」
そこにいたのは紛れもなく第三の悪魔。ただ、女子生徒の姿をしたその身体はパリパリと音を立てて剥がれ、その破片は消失していく。もう消滅が近いということは、その姿と漂う空気で何となく理解出来た。
「そっちの彼の固有魔法…………ヤバすぎ」
観念したように覇気のない声で呟く悪魔。確かに、魔力を解放してすぐに使える魔法は固有魔法だけ。しかも固有魔法は、そう簡単に備わるようなものではない。ただ、それを加味しても悪魔の態度は大袈裟な気がする。
「その様子じゃ、分かってないみたいだね」
かすかに抱いた疑問を見透かされたのか、溜め息交じりに第三の悪魔。少しだけイラっとしたが、ここは平常心を保つ。
どうせ、負け惜しみくらいにしか聞こえないだろう。なんて、甘い考えが浮かぶ。まさか、この後、非情な現実を突き付けられることなるなんて、思いもしなかった。
「彼、もしかしたらもう目覚めないかもよ?」
「えっ……………………」
一瞬、悪魔が何を言ったのか分からなかった。きっと何かの聞き間違い、そう思って私は動揺を抑える。
「はは、そんなわけないじゃないですか。だって、侑生先輩は怪我なんてしてませんし、息だってしてます。ほら、体温だってちゃんとありますし」
咄嗟に、私は侑生先輩の手を取る。少しだけ、汗ばんだ手は自分の手に比べて少し硬く、温かい。とてもじゃないけど、もう目覚めないなんて思えなかった。
「そりゃそうさ。彼は死ぬんじゃなくて、目覚めないだけなんだから」
「……………………なんで、ですか?」
きっと、先輩が目を覚ましてくれたら、私は目の前の悪魔を殺していただろう。ただ、先輩が目覚めていない現状、私は万が一の可能性を疑わざるを得なかった。
「彼の固有魔法が、原書へのアクセスだからさ」
「原書への、アクセス?」
原書。それは確か、異世界における全ての概念を記録しているとされる書物だが、そこは確か干渉不可のはず。ということは、悪魔の言葉は嘘。
「うん。原書に記録された魔法。彼はその全てを使うことが出来るのさ。原書の情報を自らの脳内で検索してね」
いや、違う。干渉不可なのは、今までに干渉されたことが一度もないからだ。世界に一つしかない固有魔法で原初への干渉が出来るとしても、違和感はないのではないか。
私の中で、一つ嫌な予感がじんわりと広がる。
「だから、固有魔法を使った瞬間、彼の意識は膨大な情報量に飲み込まれることになるんだよ。もちろん、意識を保てなかったら、もう二度と取り戻すことは出来ないけどね」
納得してしまった。侑生先輩が目覚めない理由も、戦闘中に彼が凄く苦しそうにしていたことも。
「おっと…………そろそろ私は退場の時間だね」
あり得ない。そんな展開あって欲しくない。意識しない内に私の心はそんな気持ちでいっぱいになった。
「せいぜいその辺で願ってたらいいよ。まぁ、キミ一人じゃ、第四の悪魔に殺されて終わりだろうけどね」
どうやら、タイムリミットが来たのだろう。パリパリと剥がれて実体のなくなった悪魔は、光の粒となって夜空に消えていった。
そこから先は酷く静かで寂しい空白。
「先輩、ねぇ先輩。起きてくださいよ」
静寂を破るが如く、私は寝ている侑生先輩に声を掛ける。が、先輩はなかなか寝起きが悪いのか、寝言を呟くこともなくぐっすりと眠っている。
「先輩が、第三の悪魔を倒したんですよ。起きてくれたら、めちゃくちゃに褒めてあげるんですから…………」
力の籠らない両手で先輩の身体を揺らす。が、先輩は指先一つ動かすことなく寝息を立て続ける。
「だから、目を覚ましてくださいよ」
ねぇ、起きて。起きてよ、侑生先輩。もう、二度と目を覚まさないなんて、そんなことしないでくださいよ。
目を開けて、いつもみたいにつまらなさそうな顔してくださいよ。戦いの前みたいに、無邪気な顔を見せてくださいよ。私のこと、ちゃんと見てくださいよ。
「あ、れ?」
おかしいな。雨も降ってないのに、頬が濡れてる。あぁ、そうか私、悲しいんだ。
酷く冷たい夜空の下。私は一人、声を上げて、涙腺が枯れてしまうくらいに泣いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます