第十四話 最速詠唱

 

 月の光の照らされて、空を舞う俺は今までにない浮遊感を味わっていた。不思議で、それでいて不快でない感覚。このまま月に吸い込まれてどこかへ行ってしまいそうにさえ思える。


「クッ、キサマ。ナニヲ!」


 突然の出来事に動揺しつつも、第二の悪魔は俺に攻撃を仕掛けてきた。が、非常に至近距離且つ、現在進行形で落下しているためか、攻撃が俺に当たる気配はない。


 ゆっくり、ゆっくり時間は流れ、確かに俺は落下していく。

 ふと校庭に目をやると、そこには作戦通り日向が立っていた。魔法で錬成した上位武器を構えて。


「ほんと、無茶し過ぎですって…………先輩」


 そう言って、日向は笑っていた。

 俺が、ちゃんと作戦通りに誘き出せたからか、それとも俺が無事だったからか。或いは、作戦そのものが成功したことに安堵しているのか。


 どうなんだろうな。


 近付いてくる彼女の表情をぼんやりと眺める落下の直前。俺が考えていたのはそんなことだった。


 掴んでいた第二の悪魔から手を離し、その身体を踏み台として俺がジャンプした先は日向の後方。対して、第二の悪魔は空中でバランスを崩し、校庭の真ん中辺りに落ちた。


「お待たせ、日向」

「格好つけないでください…………心配する気が失せちゃうじゃないですか」

「ごめんごめん」

「まぁ、無事で何よりですけど」


 口では許可しつつも、やはりリスクがある行動には当たりが厳しいか。まぁ、類友が目の前で死んだら寝覚めが悪いというのも分かるが。やはり日向は優しい。

 もしかすると、俺が彼女に付いていきたいと思ったのは魔法と異世界に通じているからだけではないのかもしれない。


「じゃ、後は頼んだぜ」


 言って、俺は日向の肩を軽くポンと叩いてみた。一瞬、ビクッとしたものの、日向はクスリと笑う。


「任せてください、侑生先輩っ!」


 そして、一つの瞬きを挟んで、彼女の眼の色はガラリと変わった。あれは、ただ俺みたく巻き込まれること、即ち当事者であることを楽しんでいるような眼ではない。 


「魔法式再構築――――紡げ、オープン・マジック・レコード」


 彼女は没頭していた。ただ、眼前に広がる光景に集中していた。気が向いているとか、そう言うレベルの話ではない。捉え方が、もう既に先程までとは別人のようである。


「魔法式構築――略式・極智」


 何かの詠唱を呟き、日向は一度脱力。一見すれば不可解極まりない行動。しかし、考え方を変えればリラックスしているようにも見える。


「ナンノ、ツモリダ?」


 突然の魔法詠唱と脱力の意図を読めなかったのか、第二の悪魔が日向へ訊ねる。それに対し、日向が返したのはたった一言。


「――瞬閃」


 それは再戦のゴングだった。悠長なことを考えていれば、刹那さえも越えて、日向は地を蹴り、悪魔の領域へ踏み込んでいた。

 まさしく一瞬の出来事。

 第二の悪魔が認識するよりも早く、地面に落ちるのは影色の腕。たった一度の踏み込みと攻撃で、悪魔の右腕は断絶した。


「ナッ?!」


 そこから何テンポも置いて、周囲に響くは悪魔の驚声。だが、彼が現状を把握したときには、虚空へ帰した右腕という結果と、日向の追撃しか残っていない。


「――空波――貫針――爆」


 ほんの一単語を連ねた日向の一言に悪魔は吹き飛び、無数の針に貫かれ、そして爆発する。防御は愚か、悲鳴一つ、上げる余裕すらないまま、悪魔は校庭に転げた。


「クッ、クソ!」


 明らか致命傷の攻撃を受けながらも立ち上がれるのは流石悪魔と言ったところか。先程の攻撃で伸びたかに思えた第二の悪魔は、その軽々しいフットワークで日向の前から逃走を図った。当然と言えば当然だが、その手法はさっき日向の油断を誘い、俺に不意打ちを仕掛けた時と限りなく一致している。


「――土針雨」


 普段なら追撃時に多用しそうな、「逃がしません」の台詞も吐かず、日向は一言。

 その言葉に呼応して、背を向け、逃げる第二の悪魔の頭上には瓦礫のように降り注ぐ尖った土の塊。それはさながら針のように尖った土の雨である。 


「ガアアアアアアアアアアアアァ!」


 一連の攻撃の終結を告げるように、寂しげな校庭に響くのは悪魔の断末魔。縁起でもなければ余力もないということは声の調子で何となく分かる。


「ふぅ…………」


 衝撃から成る土煙が止み、日向が見下ろした先は校庭の中央。そこには文字通り土の針に縫われるように地面に張り付けられた第二の悪魔の姿があった。


「クッソ。オレサマがニンゲンにマケタノカ」


「そうです」


 一歩、一歩。慎重ながらも確実に悪魔へと近付いていく様は傍から見れば恐怖に近いだろう。

 もちろん、俺は冗談でもそんなことを思ったりはしない。なぜなら、それ以上に強く思ったことがあったからだ。


「――分解削除――」


 日向は特に表情を変えることなく、魔法を唱える。それは俺が今まで見たことのない魔法であり、攻撃を受けたであろう悪魔の身体は一瞬にして塵となり、土に還ってしまった。


「これで…………終わりですね」


 言って、日向は第一の悪魔を撃破したとき動揺に学校全体に修復魔法を掛け、人払いの魔法を解除した。普段なら先の戦いに圧倒されているところだが、生憎今はそれ以上にやりたいことがある。


 中途半端な作戦と、陽動に付き合ってくれた日向への、激励だ。


「お疲れ、日向。今日はほんと、ありがとな」


「お疲れ様です。侑生先輩。私の方こそありがとうございました。侑生先輩がいなかったら今頃私は…………」


 柄にもなく、しょんぼりとした顔をする日向。こんなことを言っては失礼だが、非常に違和感を抱いてしまう。まぁ、俺の中では悪戯な笑みを浮かべて戦いを楽しむ無邪気な少女のイメージが強いからだろうが。


「まぁ、そう言うな。らしくないぞ?」

「それは…………侑生先輩のこと、危ない目に合わせちゃったから」

「別にいいよ、そんなの」

 今なお表情が曇りっぱなしの日向に向かって、俺は即答した。これはもう、思ったことを言うのが一番良いのではなかろうか。

「えっ?」

「逆に、危ない目にはなるべく遭いたくないなんて甘えた考えで、俺が戦いに首を突っ込んでると思ってるのか? 言っちゃ悪いが、俺には死ぬか異世界に付いていくかの二択しかないぞ?」


 ほとんど事実だが、言葉にしてみればかなりの爆弾発言である。何だその、天国と地獄みたいな二択。案外ハイアンドローも顔負けだったりしそうだ。


「侑生先輩…………」

「ったく、日向は優し過ぎなんだよ。もっと自分の楽しみを優先すればいいのに」


「優し過ぎ…………ですか」


「そうそう…………………っていうか、さっきの高速詠唱は何だ? 初見だったんだが」

 日向を励ますつもりが、我慢できず、俺は聞きたいことをさっさと質問にしてしまった。正直に言えば、今の俺の興味は九割そちらに向けられている。


「あぁ…………あれは詠唱最短化の魔法ですよ。記憶の扉でイメージした魔法を最短の検索情報だけで引き出し、発動させるんです。ちなみに…………私だけのオリジナル魔法です。ふあああああああああ」


 と、自らの興味を含めまくった質問に対して日向は自信満々に答え、そして欠伸をした。まだ高校生が寝るような時間帯ではなさそうだが、今の日向は見るからに眠たそうだった。


「あの、もしかして眠たいのか?」

「はい。詠唱最短化の魔法は、思考器官への負担が大きいですから。頑張り過ぎると頭が休息を取りたくなっちゃうんです。こればかりは、私も抗えないですね」

「なるほど」

「すみま、せん…………………侑、生、せんぱい」


 眠気に苛まれる中、最後に言葉を引き出して日向はゆっくりとその瞳を閉じた。



 後から分かったことだが、悪魔討伐を機に行方不明だった生徒は皆揃って学校に復帰したらしい。

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