第四話 あぁ、ヤバイ
強烈な風が、ほとんど真下から俺に吹き付けている。
こんな形で空気抵抗を受けることになるとは。まるで、バンジージャンプでもしているかのようだ。
でもまぁ、そりゃそうか。だって、俺は現在進行形で学校の屋上から落下しているのだから。
「わっ」
時間がゆっくりと流れていく。落ちる時は一瞬だって言うけど、故意的な行動だったからか、案外そんなことはない。
思考だけが時間から切り離されて、冷静になる。が、それでも身体は逆らえず、重力のままに落ちていく。
目線だけを下へと逸らすと、そこに映るのは一人の女子生徒と獣の怪物。
女子生徒は今にも地面に倒れてしまいそうなほど疲弊しており、逆に獣の怪物は今にも女子生徒に襲い掛かろうとしている。
恐らくは両者、落下する俺の存在に気付いていない。
あぁ、ヤバイ。
女子生徒を助けたい、その一心で屋上から飛び降りることが出来れば、どれほど良いだろう。
自分の腑に落ちるように納得することは簡単だ。けれど、俺が飛び降りたのはそれだけの理由じゃない。
純粋に、興味があった。好奇心を惹かれたのだ。
不思議な魔法を扱う少女に、異質異形の怪物、そしてそれらを取り巻く事情の輪。そこに干渉したいと、恐らく、俺はそんなことを思ったのだろう。だから迷うことなく極めて冷静に飛んだのだ。
思考の世界も徐々に崩れ去り、体感時間がだんだん早まっていく。そろそろ、攻撃に入った方が良いと見て、俺は自らの手に力を込めた。
両手に握るのは、激しい電流を刀身に纏った大太刀。これはついさっき女子生徒が魔法で出現させ、戦いの中で屋上まで弾かれてしまった武器である。
超常現象の塊のようなものだからてっきり条件でもあるかと思ったが、案外そういうのはないらしい。だって俺でもあっさり持っていられるのだから。
考えたいこと、言いたいことの八割くらいを思考の海に沈めたところでタイムアップ。止まったように遅かった時間が日常に近く引き戻されていく。
当然、ゆっくりだった落下は急転直下。これがガチの落下というやつか。
丁度、刀身の先を真下へと合わせたところ 時間が完全に戻る。そこが俺の戦いの開幕だった。
「えっ?」
「ぐっ、る?」
両者の動揺が声となったのはほぼ同時。そして、雷を纏った大太刀が獣の怪物を頭から切り裂いたのは瞬きを経て迎えた光景だった。
「おおー」
黄色と白の交じり合った閃光が獣の頭部を駆け抜けていく。激しく唸り、弾けるような雷の轟音は太刀が地面に当たるまで周囲に木霊する。雷撃の残像は所々に飛散し、微かな音を上げては消えていった。
「ぐあぁぁあぁああぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁあああああ!」
確かな手応えの直後、まるで噴水のように頭から腰に掛けて噴き出すは紫の粘着質な液体。恐らく、これが切り裂いた奴の血液だろう。
流石、位置エネルギーを最大限生かした攻撃。弾かれたり無傷だったらどうしようなんて不安はしっかりと杞憂に終わっていた。
まさか、これだけの断末魔を発しておいてまだ戦ってきますはドッキリでもタチが悪いだろう。
「ぐるあああああああああああああああああ!」
これは前言撤回。がっつりフラグを立ててしまったことが原因だろうか。大量の血飛沫を上げていた獣の怪物は何と再び咆哮を上げ、爪向く先を少女から俺へと変えてきた。
「ちょっ、マジかよ!」
慌てて距離を取り、俺は地面に突き刺していた女子生徒の太刀を手に取った。ちなみに、俺は今まで決闘もしたことがなければ武道の心得もない。独学とイメトレを主とするプレイヤーである。当然、実戦はこの瞬間が人生初である。
「行けるかなぁ………………」
一発でも敵の攻撃を喰らったら恐らく死ぬ。そんなことを本能が告げているように思う。まぁ、恐らく事実だろう。あんなに鋭利な凶器が身体に触れてみろ、傷が深ければ大量出血は免れない。
「まぁ、これはやるしかないか」
もし、ここに不幸中の幸いがあるとすれば、それは俺の気持ちだろう。久しく抱いてこなかった好奇心と興味を引き出されたことで一時的に不安が鎮圧されているといったところか。
どちらにしても、迷いなく意思決定と行動が出来るのはかなり大きい。
「あっ、あなたは?」
と、ここで突然の参戦に動揺していた女子生徒が一言。
まぁ、彼女の視点からすれば、突然知らない人間が屋上から落下し、自らの敵に攻撃をしたことになるからな。何とも情報量の多いことだろう。
「説明は後で」
ただ、ここで名乗る台詞を考えられる程、今の俺に余裕はない。俺はゲームの見様見真似に大太刀を構え、獣の怪物へと向けた。
もう、一撃で決めるしかない。
あくまで予想でしかないが、恐らくあの獣の怪物はかなり疲弊していて、体力はほとんどない。つまり、俺みたいな一般人でも一撃を与えれば倒せるということだ。
一度、軽く深呼吸。
そして、自らの仮説を信じ、俺は獣の怪物へと足を走らせた。
「ぐるあぁあああああああああああああああああああああああああ!」
応戦するように、獣の怪物は物凄いスピードで俺に迫る。恐らく、正面衝突すれば、間違いなく肉塊になるのは俺の方だ。
だけど、それでいい。それを想定して、こっちも電流絡みつく刀身を目の前に向けているのだから。
刹那の空白と共に、両手にのしかかるのは、激しい力と衝撃。視界に映るのは、勢いのまま刀身に突撃し、胴体の中心を太刀に貫かれた怪物の姿。噴水のように噴き出す大量の血液を見れば、致命傷を与えたことは明白であった。
「ぐるあああああぁぁあああああああああああああああああああっ、あっ!」
命の最後、獣の怪物は血飛沫と断末魔を上げ、頭からその場に崩れ落ちていった。先ほどまでの、禍々しい空気も、殺気も、というか生気の一つさえも感じない。恐らく、この怪物は死んだのだ。
「やった、のか?」
再確認のため、獣の怪物をもう一度確認。呼吸もなければ、動きもない。そこにあるのは、恐ろしく腐敗が早く、砂のように乾いては消えていく死体。
一秒、また一秒と経つにつれて、その原型は見るまでもなくなっていく。やがて、屍だったそれは、ただの灰粉へと変わり果て、地面へと消えてしまった。
「ははっ、まさか実戦初勝利とは………………」
実際に人ならざる異形の怪物をこの手で仕留めた。初めて、命を掛けて戦った。その結果を前にして、俺は今までにない程の高揚感を抱いていた。
ときめいた心の熱が冷めない。恐ろしいくらいに恐怖感と罪悪感がない。だけど、その一方で、まだ足りない。
ここを最初で最後にしたくない。もし仮に、ここから一歩踏み出して日常の境界線を越えられるなら、迷わずに一歩出したい。
超常現象が飛び交い、一秒一秒が目まぐるしく、同じ景色など、一度だって存在しない。そんな世界に俺は興味を抱いたのだ。今日、女子生徒の戦う姿を見たその瞬間に。
だから、
「ちょっと、話そうぜ」
俺は視線を尖らせたまま、後者の壁に横たわる女子生徒にそんな提案をした。
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