第32話 暗躍するモノ
タワーマンションを後にした『黒ずくめの男』は、昼下がりのショッピングモールのフードコートで『泥水のような』まずい紅茶を飲みながら、カバンからもう一つの『漆黒の石』を取り出し、額に近づけた。
「…やれることはやった…奴ももう少しで目覚める……」
見るからに怪しい格好で、意味の分からいことをぶつぶつ独り言ちる姿は異様だ。
結果彼の周りには自然と空白が出来上がっていく。
少し離れた席の親子は訝しげにこちらに視線を向けてくる始末だ。
「ちっ…落ち着けやしねえ」
残った紅茶を乱暴に胃に流し込み、石をカバンにしまうと、男は席を立ち、人の視線を避けるようにしながら屋上へ向かう階段の踊り場へと移動した。
そして人の気配がないことを確認すると『見えそうで見えないように見える』もやの中に消えていくのであった。
※※※※※
およそ100年前、ノズドワール地方のキャルールトルンという片田舎の村で、太古の石板が発掘された。
石板には古代文字が刻まれており、数多くの学者や神官が数年の時をかけ解読した。
曰く
大いなる災い
聖なる清らかなる森の賢者
献はあまねく異形の贄
神器を持ちて祈りを捧げよ
復活せし暗黒の盟主
永遠は不変
変化は絶望なり
極帝の魔王が戒律を刻み、6柱の神々が人々を導く。
安定した世界に生きる人々のほとんどはこの石板には興味がなかった。
しかし……
※※※※※
立地が悪く、産業もほとんどない。
キャルールトルンはそんな村だった。
人口は200人程度で、寒冷な気候なため農作物の成長も遅く、北部で何とか栽培できる綿花からとれる綿を交易に使い、日々の生活を送っていた。
そんな貧しい寒村では生きるために小さな諍いが絶えなかった。
いつでも緊張感が漂い、他人に心を許せず、生きるために必死で心の余裕のない村。
貧しいエルフ族のもとに生まれたエルロ・リッテルはこの村が大嫌いだった。
もっと言えばこの世界が憎かった。
※※※※※
両親は、村にあるオンボロの教会で司教を務めるエルフ族の父、レリニール・リッテルと、以前は煌びやかな王都で生まれ、紆余曲折ありレリニールに『押し付けられた』やはりエルフ族の母、ローラリア・リッテルだ。
父レリニールは土の神をまつる『土神教』の熱心な信者で、この村唯一の司教だ。
その責務から村に骨を埋める覚悟を持っていた。
そのため息子であるエルロに事あるごとに説いていた。
教会はいつ崩れてもおかしくないほど老朽化していたが、神を象った銅像の後ろには、あまりにも不釣り合いな『過剰に装飾の施された杖』が飾られていた。
一度父に問うたとき「あれは神器だ。この村をお守りくださる。人では触れない。神罰が下る」と言われていた。
エルロはこの時、まだ父を信じており、静かにうなずいていた。
一方母ローラリアはいつでも無気力で、普段は全くエルロに興味がない。
まだ幼子のころ母が恋しくて甘えようとしても、憎むような目を向けられ怖くなり大泣きした。
それでも母は自分に手を差し伸べてはくれなかった。
エルロが少し大きくなってくると、夫婦は限界を迎えたかのように喧嘩が絶えず、エウロは恐ろしくて悲しくて、布団をかぶって震えていた。
そしてそのころから父に隠れ安酒を飲む母からの暴力、暴言が始まった。
父の真っ直ぐすぎる、いわば『融通の利かない』信仰心と、親の不仲、さらには母親から注がれない愛情と、逆に浴びせられる虐待にエルロの心が蝕まれていくのは必然だった。
ある時エルロは、村の他の子どもたちから酷い暴力を受け、意識が混濁してふらついていたことがあった。
200人しかいない村だ。
しかも父親は唯一の司教。
皆顔見知りだ。
困った事があると殆どの人が司教である父に助けられていた。
しかし誰もエルロに手を貸すことはしなかった。
レリニールが発見した時には瀕死の状態で、3日ほど生と死の狭間をさまよった。
意識を取り戻したあと、レリニールはエルロに言った。
「エルロは信仰心が足りない。だからこんな目に合うのだ。愚かな息子だ。我が息子ながら恥ずかしい。」
一言も紡がれなかった、彼をいたわる言葉。
彼の心は砕け散った。
彼はそのまま教会へ行くと神器を奪い取り、村を飛び出した。
それから100年。
ほうぼう手を尽くし、ついに手に入った『石板の知識』
そして奪い、100年隠し持っていた『神器』
森の賢者たる純粋なエルフである自分。
さらには偶然手に入れた漆黒の魔石。
エルロは世界を壊すため、深淵にたどり着いた。
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