戻したろ
結婚式前夜、風呂から上がると由美子が神妙な顔でソファに座っていた。
いつもは天真爛漫な彼女は、どこか表情が固い。
「どうした?」
声に応じるように、由美子はゆっくりと俺を見る。
「私、貴方に黙っていたことがあるの。」
心臓が跳ね上がる。
ドラマではよく聞く陳腐なセリフが、こんなにも恐ろしいとは思わなかった。
ただ、もう3年も付き合った仲で、由美子の性格はよく知っているつもりだ。
(嘘が嫌いな由美子のことだ。
浮気とかそういうのじゃない、別の事情があるんだな。)
「どうしたの?病気とか、体調悪いとか?」
「ううん。違うの。…ゆう君。少し、昔話をしても良いかな。」
俯きながら、由美子は話し始めた。
「今から10年前の9月6日、
18歳の誕生日だった。
家族みんなにお祝いしてもらって、
とても幸せだった。
その日の夜。私は暗闇の中で目覚めたの。
自分の部屋で寝ていたはずの私は
ボロボロの和室の布団の中で目が覚めたの。
古い畳の臭いがして、思わず顔を歪めて
鼻を抑えようとしたけれど、
体が動かないの。
そしたら、ゆらっと影が動いて、
そっちを見ると、顔が真っ黒に
塗りつぶされた白髪頭の女性が
私を見て立ってた。」
(な、なんの話なんだ?)
困惑する俺をよそに由美子は続ける。
「…。
その女の人は、
戻そう、これを、戻そう
そう言って私の両目を覆ったら…。」
由美子が顔を覆う。
(大丈夫か!?)
「由美子?どうした?」
肩に手を置くと、由美子の両腕が動いていることが分かった。
彼女は、右目を抑え、そして、左目を抑え、
手のひらが上になるように両手を握った状態で膝の上に置いた。
(何をして…)
震える指がゆっくりと開いていく。
両手の平には、いつも僕が見ている、由美子の眼の色が光っている。
(茶色の光彩…カラコン…?)
「その日から…その夢を見てから、
私!」
由美子が僕を見上げた。
その顔を見て、僕は言葉を失った。
「こんな、こんな眼に…なっちゃったの…。」
冬の朝の空のような、白に近い水色の瞳孔が、水を含んで潤んでいる。
「ここまで言えなくてごめんなさい...。
でも、私、ゆうくんじゃなきゃだめなの!
ゆうくんがいいの。」
突然のことで混乱する頭。
ずっと抱えていた悩みを打ち明けた妻に、かける言葉が浮かばない。
今にも泣き出しそうな由美子を慰めなきゃいけないのに、言葉が喉につまって出てこない。
こんな大事な時なのに、僕は、ある感情で胸がいっぱいになっていた。
こんな時に、僕は何を考えているんだろう。
そんな言葉、口に出したら、馬鹿にするなと言われるに決まってる。
でも、でも、なんて、
なんて…
(なんて綺麗な眼なんだ)
「!嬉しい!」
由美子は何も言葉に出せなかった僕に抱きついて、胸に顔を埋めて涙を流した。
由美子は、きっと、眼の色のほかに秘密にしていることがある。
ただ、胸の中で泣く由美子を、僕はただ抱きしめた。
ただただ、何も思わず、抱きしめた。
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