不死身が死んだ日

ぴのこ

親愛なる読者へ

「心中をしようと、ちょいと川にザブンとね」


 そう言って、あいつはずぶ濡れの姿で私の家に来た。まだ夜風の冷たい、春の日のことだった。まさに水も滴るいい男、といった具合だが、玄関先を水浸しにされている側からすればたまったものではない。


「一緒に死んでくださいましと言われたら断れないだろう。ぼくは優しいんだ。いいかい先生、女性のお願いというのは叶えてあげるものだよ」


 あいつが女と心中を試みたのは一度や二度ではない。私が知っているだけでも、一年間に二十六回。川に飛び込んだり、手首を切ったり、薬物を大量に飲み込んだりと実に多様な手段で心中未遂を繰り返していた。その相手も一人ではなく、何人もの女をとっかえひっかえしていたと言うのだから信じられない。趣味の悪い女というのは想像以上に多いらしい。いや、そういう私もあいつが嫌いではなかったのだから、人のことは言えないだろう。


 それより、信じられないのはあいつの強運か。それだけの数の心中を全て未遂に終わらせ、生還してきたのだから。相手の女はちらほらと死んでいるらしいが、あいつは何故か毎回生き延びてきた。そして、心中相手の女を置きざりにして私の家に来ては、私の酒を勝手に開けてくだを巻くのが習慣だった。


 私としてもあいつと酒を酌み交わすのは嫌いではなかった。小説の話をしたり、身の上話をしたり、今日会ったのがいかに素晴らしい女性だったかと力説されたりする。そんな緩い時間が私は好きだった。


「ぼくだって好きで女性を巻き込んでるわけじゃないさ。みんな大好きだからね。ただ日頃からああ死にたい死にたいと呟いてるもんだからね、知り合った女性の前でもついポロっと出てしまうわけさ。それで心配をかけてしまうんだけど、いくら慰めてもぼくが元気を出さないもんだから、なら一緒に死にましょうと。毎回そんな流れかなあ」


 本当にタチが悪い。働きもしないで女に金をたかり、飯も酒も思う存分に楽しむ。そのくせ一丁前にそんな自分を嫌悪して死にたがるのだが、一人で死ぬ勇気などは無いから女と心中を図る。あいつは女のほうから心中を誘ってくるのだと話していたが、本当はあいつのほうから「僕と一緒に死んではくれないだろうか」などと懇願されたから心中騒動になったのではないか。


 「うう…なぜこの世はこうも生きにくいくせに死ぬのにさえ難儀するのだろう。ああ、でもね先生。こうして君の家に来て話をしている時は楽しいよ。死ななくてよかったと思える」


 …本当に、タチが悪い。


 私とあいつの出会いは四年前に遡る。私はその日、飲み屋で小説を書いていた。執筆に行き詰まると酒を入れ、頭を活性化させて文章を絞り出す。これが私の習慣だった。当然、酔っぱらって書いた文章が面白いはずがないのだが、そこは後で修正を入れれば済むこと。とにかく執筆を進めることが重要なのだ。趣味の小説であるし、誰にも読ませないものだが書き終わった時の達成感が私は好きだった。


 私が二杯目の酒を飲み干し、自分でもわけがわからぬままに筆が進んできた頃。何者かが一枚目の原稿をひったくった。


「フウン、何かと思えば小説かい。どれどれ…」


 私は声を荒げ、原稿を取り返そうとした。だが、原稿を読む男の顔を見た瞬間に手が固まった。端正な顔立ちのその男は、真剣な目つきで私の書いた文字を追っていた。その目は冷やかしの酔っぱらいの目ではなく、紛うことなき読者の目だった。


「ん…ん…!?面白いじゃないか!!続きは!?これか!って、なんだ?未完成じゃないか!」


 男は私が今書いている原稿を手に取ると大げさに声を出した。何をしても絵になる男だと思った。


「さあさあ君、いや先生。家はどこだい。さっさと帰って続きを書くんだ」


 男はそう言って私の手を取り、店から連れ出した。私は妙に人を魅きつける男の声と、全身を回る酒のおかげでぼんやりとしたまま、男の言に従って帰路についた。男の連れと思しき女が何か叫んでいた気がするが、覚えていない。私は作家ではなく趣味でやっているのだから先生はやめてくれ、といったことを言った気がする。


 さて、そういう縁であいつは定期的に私の家にやってきては、私の小説を読んでいくようになった。私としても感想を貰えることは嬉しいし、刺激的な人間の話を聞くことで小説のネタになるので悪い気はしなかった。もっとも、しばらくの間は自作にあいつを出すことはしなかった。本人に読まれるという気恥ずかしさのせいだ。


「いやあ面白かった。早く続きを書いてくれ。彼が救われるのかどうか…しかしだねえ先生、毎度思うが女性の描写が薄いよ。この話に出てくる女、ぼくが話した子だろう?それはいいんだがね、女性の心情だの私生活だの、知らないからってぼかしすぎだ」


 ここはぼくと女遊びに付き合ってだね、との言葉を遮ってきっぱりと断った。こいつの爛れた生活がうつっては人生が台無しになると思った。


「まあいいや、また来るよ。続き楽しみにしてるよ、先生」




「先生、今作も良作ですね!では原稿をお預かりします。ありがとうございます!」


 懐古に浸っていた私は、その言葉で現実へと戻る。私は曖昧に笑って手を振った。




 あいつが死んだのはちょうど三年前か。


 その夜、私は執筆に行き詰まり、いつものように飲み屋で原稿を書いていた。ようやく書き終わり、家へと戻る道中、耳をつんざくような絶叫が聞こえた。人だかりが見えた。その隙間から、錯乱した女が男たちに取り押さえられているのが見えた。女は包丁を取り落とした。赤い鮮血がべっとりとついた包丁だ。

 よせばいいものを、私は人だかりをかき分けて現場の様子を見ようとした。本当に、よせばよかったものを。


 よく見知った男が、穴だらけになって死んでいた。


 いかに強運の持ち主でも、全身を何度も刺されれば奇跡は起こらなかったらしい。あのような男はいつか無惨な死を迎える。そんなことは当然だったのだが、それでも私は心のどこかで、あいつを不死身だと思っていたのだろう。死なない人間など、いるはずがないのに。

 ついさっき書き終わった原稿が、ひどく無価値なものに感じられた。




「先生っていっつもボク不幸ですってツラしてますよね。小説が人気出たくせに」


「君ねえ、せめて寂しそうとかいう表現をしてくれないか」


「寂しいんですか?」


 彼女に問われて言葉に詰まる。寂しいか。そうだな、私は寂しいのだろう。寂しくて、あいつの姿を文章にした。もう会いに来ない友人に、小説の中で会おうとした。次々に心中を図る男の話は、ありがたいことに世間には受けた。けれども、本当に欲しかった感想は、たった一人の友人の絶賛はもう聞くことはできない。


「私は好きですけどね、先生の不幸そうな顔」


 そんなに言うなら…と私は彼女に出かかった言葉を喉の奥に飲み込んだ。

 僕と一緒に死んではくれないだろうか。

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