第18話 ほうれんそうは大切です
「女神の酒樽亭」でマユミが脚光を浴びた、その翌日・・・
屋敷の一室・・・マユミの為に用意されたその部屋で、マユミは清々しい朝を迎えた。
エレスナーデの部屋程ではないが、さすがは貴族の屋敷だけあって豪華だ。
あのベッドには適わないものの、上質なベッドの寝心地は悪くなく、部屋の広さも充分に広い。
もし東京でこんな部屋を探したら、いくらになるかわかったものではない・・・とても快適だった。
今のマユミはとてもやる気に満ち溢れていた。
枕元には銀貨が一枚・・・異世界に来て初めて稼いだお金だ。
銀貨をぎゅっと握り締めると、マユミは勢いよく部屋を飛び出す・・・向かう先は一つだ。
「おはようナーデ、今日もお願いします!」
今日もエレスナーデの手によって「変身」するマユミ・・・自力でやれる日はまだまだ遠かった。
マユミ達を乗せた馬車が街を駆ける・・・今日は昨日よりも遠出だ。
東門付近で馬車を降りる・・・そのまま門をくぐると目に入ってくるのは大きな橋だ。
この街の東側には川が流れている・・・その河口は遥か南方で海に繋がっているらしい。
橋からは交易の為に行き交う様々な船が見えた、中には材木で組まれた筏のようなものもある。
(海かぁ・・・)
川の流れの先に思いを馳せる・・・マユミの地元は内陸部なので海には行った事がないのだ。
果たしてこの異世界では、海に行く機会があるだろうか・・・
「ナーデは海を見た事あるの?」
「ええ、港町には一度行った事があるわ・・・幼かったから、あまり覚えてはいないのだけど」
「いいなー・・・私も一度行ってみたいな」
川の流れのその先を見つめるマユミ。
そのうち父侯爵に頼んでみよう・・・そう決意するエレスナーデだった。
橋を渡ると東の王都へと街道が伸びている・・・そして川沿いには、広大な農地が広がっていた。
マユミ達は農地の方へと向かった・・・ここに来た目的は農作物の確認だ。
・・・ここ2日の食事から、マユミは一つの疑念を抱いていた。
野菜の種類が少ない・・・貴族の食事も庶民の食事も食べたはずなのだが・・・
もちろん現代日本のように一年中好きな野菜が食べられる方がおかしいのではあるが、単に収穫時期の話なのか、この地で栽培されていないのか、この世界に存在していないのか。
この辺を確認したかったのだ。
その結果・・・
麦、たまねぎ、にんじん、かぼちゃ、とうもろこし、トマト、ピーマン、いくつかの豆類が栽培されていた。
米はともかく、じゃがいもが存在していないのはなかなか衝撃的だ。
そして何より、葉物野菜がひとつもない・・・と思った矢先。
(あれ・・・ほうれんそうに見えるんだけど・・・)
道端にほうれんそうが生えていた・・・触ってみるとやっぱりほうれんそうだ、独自の手触りがした。
よく見るとあちこちに生えている・・・特に栽培されている様子はなく、自生していた。
誰も気に留めていない、家畜の牛がもっしゃもっしゃと食べているのも見えた。
「な・・・なんで・・・」
不思議に思いながらも、とりあえずほうれんそう・・・と思われるものを一株引っこ抜いた。
根っこのあたりが少し赤い・・・マユミのよく知るほうれんそうそのものにしか見えない。
泥を落として持ち帰ろうとするマユミだが・・・
「マユミ?そんな草を拾ってどうするつもりなの?」
「や、これ食べられるんじゃないかなって・・・」
「マユミ、私達は人間なのよ?草を食べることはないわ」
呆れられた・・・どうやらこの世界?では葉っぱを食べる習慣がないようだ。
マユミはもう一株引き抜いて持って帰る事にした。
「もう、そんな草捨ててしまいなさい」
「ダメだよ、栄養が偏るよ」
後でエレスナーデにも食べさせよう・・・そう決めたマユミだった。
その結果、野生のエグみを味わうことになるのだが、この時のマユミには知る由もなかった。
次の目的地は職人街・・・マユミ用の楽器を探すのだ。
楽器の工房はすぐに見つかった・・・あの吟遊詩人ヴィーゲルも持っていたギター風の楽器が、目立つ所に置いてある。
「おや昨日の、デレなんとかのお嬢ちゃんじゃないか、さっそく楽器を探しに来たのかい?」
・・・昨日の「シンデレラ」を見ていたらしい職人がマユミを出迎えた。
(デレなんとかなんだ・・・)
変な覚えられ方に困惑したマユミだが、昨日の客なら話は早い。
小柄で非力なマユミでも扱いやすそうな小さめの楽器を、いくつか見繕ってくれた。
マユミはその中から、かわいらしい装飾が彫られた小さな竪琴を手に取り、弦を弾く・・・
弦は8本・・・馴染みのあるドレミファソラシドの8音に安心感を覚えた。
「これ・・・おいくらですか?」
銀貨1枚を握りしめながら、マユミは値段を尋ねる。
「ああ、そいつは銀貨5枚だな」
・・・非情な金額がマユミの胸に突き刺さった。
一応他の楽器の値段も聞いてみたが、だいたい同じような金額か、もっと高い。
「ですよねー・・・楽器がそんなに安いわけないですよねー」
「お嬢ちゃん、アンタまさか・・・」
明らかな落胆の色を見せるマユミの姿に職人は狼狽えた。
・・・貴族のお嬢様ならそれくらいは余裕で払えるだろう、と思っていたのだ。
涙目になりながらマユミが握り締めた手を開いて見せる・・・銀貨1枚。
そして彼は、マユミの反対側の手に草が握られている事にも気が付いた。
「お嬢ちゃん・・・まさかとは思うが・・・その草、どうする気なんだ?」
「えっ・・・これは後で食べようと思って・・・」
(まさか・・・あの話はこの子の実体験と願望が元に・・・)
やはりこの子は妾の子で、日々虐待を受けているのだろうか・・・
そう思いながらエレスナーデを横目に見る・・・とても気が強そうだった。
「わかった!お嬢ちゃんには特別サービスだ、銀貨1枚で持っていきやがれ!」
「いいんですか?!ありがとうございます!」
満面の笑顔で竪琴を受け取り、何度もお礼を言うマユミ。
・・・大切そうに竪琴を抱えたその後姿が見えなくなるまで、職人は見送っていた。
「強く・・・強く生きるんだよお嬢ちゃん・・・」
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