第二章 喫茶店ではお静かに

 前回の講義から1週間後、つまり翌週の火曜日、僕は学校の側の喫茶店でモーニングセットを食べていた。1限の講義に備えて、朝の7時である。

 「あ〜!!」

 突然女性の大きな声が入口の方から聞こえた。多少びっくりしたが、僕はそちらを見向きもせずにトーストを囓った。

 「消しゴムありがとう。」

 さっきの声の人が喋っている、誰に言ってるのだろう?僕は構わずトーストを飲み込んだ。

 「あの〜、すいません…。」

 相変わらずさっきの声の人が喋っている…なんだか僕の後ろから声がする気がする…なんとなく声も近づいてきている気もする…。

 もしかして僕に話しかけてるのか…?

 僕が振り返ると、そこにはショートカットの女性が少し困った顔をして立っていた。

 「先週、中国語の授業で消しゴム貸してくれましたよね?」

 少し自信無さげに僕に聞いてきた、僕も消しゴムを持ってかれたのは覚えてたが、彼女の声も、顔も覚えてなかった。

 「ええ、貸しましたね。」

 すごく間抜けな会話だったが、それが僕と彼女の初めての会話だった。彼女は僕の正面に座って、鞄から消しゴムを取り出して、僕に返してくれた。

 「あのとき返すの忘れちゃって、今週の授業で会えたら返そうと思ってたの。」

 あの講義は席指定だったから、今週の講義でなら絶対に会えると踏んでいたんだな…、でも、よくここで僕がわかったな…、僕なんか顔すら覚えてなくて、本当にこの人か?って思ってたのに…。

 彼女は僕に消しゴムを返すと、そのまま、ミルクティーを注文した。

 「授業の前にリラックスしようと思って喫茶店に来たら、キミがいてびっくりしたよ。」

 彼女はそう言って笑った。

 「1限目だからね、朝飯は家で食べるよりこうやって、外で食べた方が楽だから。」

 僕はゆで卵を剥きながら答えた。ゆで卵は好物なので最後に食べるのだ。

「ふーん。」

 明らかに興味のない返事だったが、彼女が頼んだのはミルクティー、朝食は食べてきたか、もしくは、もともと食べない派なのだろう。

 運ばれてきたミルクティーを一口飲んだ彼女は、

 「やっぱり、朝はミルクティーだね。」

 満足そうに微笑んだ。

 「まぁ、お昼も夕方も寝る前も美味しいんだけど。」

 1日中飲んでるんじゃないか、僕は言葉にはしなかったが心のなかでツッコんだ。

 そこから彼女はペラペラと喋り始めた、去年落としたフランス語の講師の悪口やはいっているサークルの新歓活動の愚痴、この春始めたバイト先の気に入らないところなど、基本的にネガティブな話だった。そして、腹が立ってきたのか、声のトーンが大きくなってきた。僕はだんだん心配になってきた、周囲の客の視線である。朝の優雅なひと時を醸し出すはずの店内に、彼女の少し大きめの愚痴が流れているのだ。周囲からの黙らせろという無言のプレッシャーを背中に感じ始めたのだ。

 「ごめん、ちょっといいかな?」

 僕は恐る恐る彼女の話を止めた。

 「僕も食べ終わったし、そろそろ出よう。」 

 居心地の悪くなった店から出たい、それが僕の率直な気持ちだった、僕のせいではないかもしれないが、店の空気を悪くする彼女をここから連れ出すべく、僕は伝票とカバンを持ってレジの方に向かった。

 「ちょっと待ってよ。」

 彼女も着いてくるようだ。

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