忘却日記

讃岐うどん

第1話 言霊屋


(東京からわざわざ新幹線に乗って5時間弱)


 ここ博多に、彼は居た。

 黒いスーツを着こなし、似合わぬリュックを柄っている。オカルト系雑誌のライターとしての取材だ。

 

 上からの命令だ。


「全く……本当にここであってるんですかね?」


 男、新名にいな 俊平しゅんぺいは愚痴を漏らした。

 彼の目に映るは、小さな家。

 コンクリートや鉄筋ではなく、細部まで木材で作られていた。

 大きなかけ看板には、『言霊屋ことだまや』と書いてある。

 今にも崩れそうな屋根。ギシギシと奇怪音の響く扉。戦前に作られたと言われても納得の行くぼろ家だ。

 けれども、車が入っているであろうガレージだけはしっかりと手入れされていた。

 福岡……筑紫野の方面ならさしとて珍しくも無い光景。だが、余りにも場所が異様だった。

 ここは博多。

 関東圏には劣るとはいえ、かなり発展している方だ。

 高層ビルが並び立つ中、ポツン、と立っていた。

 まるで、タイムスリップでもしたかのよう。


「うわ……幾ら何でも、酷く無いですか?」


 壁を埋め尽くす何かの蔓。

 窓と言う窓は無く、外から内側の様子を見ることはできない。

 地面には小さな生態系。

 見たことのないアリ。

 そのアリを捕食する蜘蛛。

 それを喰らうヘビ。

 10数平方メートルの自然は、巨大な影に気づいたのか、新名が歩く度に姿を引っ込めている。


 気味が悪いと、少し駆け足で彼は庭へと踏み込んだ。だが、そこで彼は気づく。

 ぷるぷる、とポケットに入れていたスマホが鳴っていたのだ。

 電話の相手は蔵前くらま みつる

 新名の上司だ。

 50を過ぎ、初老に入りかけている男。

 正直、新名は彼が苦手……いや、嫌いだった。


(出ないといけないよなぁ……)


 パワハラセクハラ当たり前。

 やったハラスメントだけで本が作れそうだ。

 新名は少し悩んだ後、電話に応えた。

 電話から、野太い声が鳴り響く。


「はい。こちら新名です」

「俺だ。着いたか?」

「はい。……本当にここであってるのです?廃墟みたいな場所ですけど……」

「『言霊屋』の看板があっただろう?」

「まぁ……そうですけど」

「ならそこだ」


 確かに、蔵前が言っていた通り、看板はあった。

 だが、それもかなり古臭く、廃業していると言われた方がしっくり来る程ぼろぼろだ。

 張り巡らされた蜘蛛の巣が、良い味を出していた。


「インターホンすら無いのですが」

「扉叩け。反応が無いのなら蹴破れ」

「えぇ……」

「あと、お土産買ってこい。なんでも良いぞ」


 ぷつり、と電話が切れた。

 上司からの指示に困惑を隠せない。

 だが、反論すれば出張帰りが無くなる可能性すらある。1日2日程度なら良いものの、1週間以上は勘弁だ。


(んなめちゃくちゃな)


 内心そう思いつつ、玄関戸と思わしき扉をノックした。だが、


(反応……無し?)


 1分たっても扉はピクリとも動くことはなかった。それどころか足音すらしない。

 ──本当にいるのか?

 そう、疑いそうになったが、まだ断定はできない。

 アポイントは取った。

 取材の為に、と相手から送られた場所が此処。

 時間も相手に合わせている。


(居ないとなると、ぇぇ?)


 困った。

 相手は固定電話だ。

 スマートフォンなんて持っていないらしい。

 家に居ないとなると、未開の地でたった1人を探すのは無理だ。

 多分、彼が迷子になるだろう。

 ミイラ取りがミイラになってどうする。


「どうしましょうかね」


 悩んでいると、


「!」


 ふと、足音が鳴った。

 音源の方を咄嗟に向く。

 そこは、家の中だった。

 ドタドタと家中を駆け巡る音に、冷や汗をかいた新名だが、彼は気づいた。


「扉が、開いている?」


 それもひとりでに。

 自動ドアとは違う。機械は絡んでいなかった。異様な雰囲気を醸し出した扉は、まるで待っていたかのように開く。

 ギィィと、軋む音が耳に来た。


「慣れませんね、この音だけは」


 場数を踏んだとはいえ、慣れないものは慣れない。中は薄暗く、僅かに差し込む太陽の光。

 古めかしいラジオに、アンティークなゴルフバック。時代に取り残されたような空間。

 どれもこれもが年季の入った代物。

 けれど、埃は一切無く、適度に掃除されていたのが伝わってくる。

 そこだけ、かつての彩を残していた。

 靴を脱ぎ、左に続く道を進もうとする。

 だが、彼は立ち止まった。


「なんです? これ」


 壁に掛けてあった一枚の紙と、懐中電灯。

 紙には『この先に進む時にご利用下さい』、と丁寧な字で書かれていた。

 きっと、家主の親切心だろう。


(懐中電灯貸し出すぐらいなら、電気直した方が良いと思いますけどね)


 思っていても口には出さず。

 有り難く、使わせてもらおう。

 懐中電灯を右手に持ち、ライトをつけた。

 今度こそ、廊下へと進み出す。


(にしても、暗いですね)


 数歩、歩いて気づいた。

 洞窟の方がまだ明るいだろう。

 真昼だと言うのに、懐中電灯が必須なのはこれ如何に。

 家自体が小さく、廊下が短いのが唯一の救いか。

 廊下には昔ながらのポスターがかけている。

 大正に、昭和に、平成に、令和に。

 見境が無かった。

 乱雑に貼り付けられたポスターも、新品みたいな綺麗さを残している。


 廊下を突き抜けた先に、彼は座っていた。

 蝋燭に照らされたリビング。


「アンタが、今回の依頼主か?」


 男がこちらに気づいたのか、振り向き様に問う。新名は足を止めて、リックサックからあるものを取り出した。

 それは、名刺。

 問いの答えと同時に、彼は自身の名刺を渡した。


「ええ。私、愛染社あいぜんしゃの新名です」

「こりゃ名刺までご丁寧に」


 じろじろと受け取った名刺を見る男。

 見にくいのか、彼は左手を差し出した。

 意図が分からない。


「なんですか?」

「貸してくれ、懐中電灯」


 言われて、新名は男に懐中電灯を渡した。

 ライトの光を名刺に当て、目を凝らしている。

 すると、彼はぶつぶつと何かを呟き始めた。


「にいな……にい……新な……

「?」


 困惑する新名を尻目に、彼は自己紹介を始めた。


「オーケー覚えたぞ、新名。俺の名前は根暗ねくろ 真佐まさ。根暗でいい」

「根暗さん」

「そうだ。根暗さんだ」


 根暗と名乗った男。

 光に照らされて見えた顔は、新名が思ってた以上に幼かった。

 10代とも取れる顔つきをした少年。

 だが、その目はどこか達観したような、冷酷な瞳だった。


「それで、取材だっけ」

「そうです」


 新名の目的、それは取材だ。

 オカルト。新名の専門、それは、降霊術などだ。


「噂は聞いています。何やら、が使えるだとか」


 根暗が経営する『言霊屋』。

 

 それが、新名の聴いた噂だった。

 今回の彼の仕事は、その真相を確かめること。

 根暗は『降霊術』という言葉に引っかかったのか、眉間に皺を寄せている。


「……そうだな。でも、降霊術、何て言い方はやめて欲しい」

「不快にさせてしまったのなら謝罪します」

「違う。そう言う訳じゃない」


 訂正しつつ、彼は徐に立ち上がった。

 彼の目線の先には時計。


「っと、時間だ。悪いけど、荷物入れるの手伝ってくんね?」

「わかりました」


 新名も共に立ち上がり、根暗について行く。




「ここからも出れたのですね」


 裏口だろうか。

 玄関よりも整備されていない扉を開け、外に出た。裏庭には巨大な倉庫があり、彼はそれの鍵を開け、何かを奥底から引っ張り出す。


「ああ。普段あまり使わないんだけどな。あ、そこのダンボール運んで」

「はい……重ッ!」


 余の重さに声が溢れてしまう。

 デスクトップパソコンほどの大きさの筈だが、その重量は想像の20倍はあった。


「な……何が入っているのですか?」

。それも、10キロ分」

「??」


 意味がわからなかった。

 何故輸血パックが必要なのか。

 疑問はあるものの、急足で車のトランクに乗せた。


「よっしゃ。全部直したな?」

「はい。全部ぶち込みました」


 車に乗り込み、彼がエンジンをかける。

 そして、アクセルを踏み込んだ。






 真昼の高速道路を駆ける。

 目的地は久留米だ。


「依頼者の資料はそこに置いてある。今のうちに目を通しておいて」

「了解です」


 彼に言われ、新名は助手席で資料に目を通し始めた。資料は全部で3枚。

 1枚目には依頼者の情報。

 2枚目には死者の情報。

 3枚目には■■の情報。


「あれ? 3枚目だけ文字が潰れて……」

「あー。3枚目は見なくて良い。多分、見たところで意味分からないだろうし」


 どういう意味だ、と問いたくなったが、口には出せなかった。とりあえず、一枚目の情報を確認しよう。


「今回の依頼者は、紗江島さえじま 八重子やえこ、69歳。子供は3人。全員成人済みの結婚済み。孫が10人もいる」

「1週間前、


 付け加えるように加えられる事実。

 根暗はいつになく真剣な表情でハンドルを握っている。


「夫の名前は紗江島さえじま 龍之介りゅうのすけ、享年74歳。死因は、


 資料2枚目に目を通した。

 そこには紗江島 龍之介に関する情報がずらりと載っている。


「初孫の3歳の誕生日の前日のことだ。プレゼントを買う為に天神まで向かった。年々大きくなる孫の顔を浮かべ、高揚していたんだろ」

「……」


 新名は何も言わず、ただ資料を見ていた。

 そんな彼を見てか見らずか、付け加えるように言葉を紡ぐ。


「新名、1週間前の交通事故覚えているか?」

ですよね」

「そうだ。それの被害者だ」


『天神大暴走車事件』。

 それは、1週間前に起きた大事故。

 ある高齢者の運転によって引き起こされた最悪の出来事だ。

 天神駅の前の巨大な交差点、休日だと言うこともあり、その日は人がとても多かった。

 交通量の多い中、信号は忙しく切り替わる。

 そんな中、事故は起こった。


 ある一台の車が、信号無視をし、交差点を曲がる車と、激突した。

 ぶつかった車は押される形でそのまま他の車を巻き込み、歩道に突っ込んだ。

 そこからは、ドミノ倒しのよう。

 犠牲者が犠牲者を呼ぶ地獄だった。

 無論、人間の足が車の速度に勝てるわけがない。逃げなきゃ、と思った時には、既に手遅れだった。


 事故車は30台以上。

 死者は400人以上。

 負傷者は1000人以上。


 本当の犠牲数は誰にもわからない。

 もしかしたら、これよりも何倍も多いのかもしれない。

 事故を起こした当の本人は事故によって死亡した。被害者遺族は怒りを露わにした。

 けれども、裁かれるべき相手は既にこの世を去っている。


 被害者遺族がただ泣き叫ぶ姿が、全国のテレビに生中継されていたのが新名の印象に強く残っていた。


「あの胸糞悪い事故の被害者……」

「そうだ」


 新名は黙ることしかできなかった。

 あの事件の事は忘れたかったのだ。

 その静寂を彼は打ち破ってくれた。


「そういや、新名」

「どうしました?」


 いつのまにか、コンビニの駐車場に止まっていた。カーナビの設定を弄りつつ、彼は純粋な疑問を口にする。


「左の薬指に指輪してるけど、既婚者なのか?」

「……」


 新名は答えなかった。

 答えたくなかった。

 銀色の指輪は、彩を失っている。

 まるで、思い出の中に取り残されているような。


「……あまり、話したくありません」

「そうか。ならいい」


 きっと、何かあったのだろう。

 目線を逸らし、外を見ている。


「天神の事件は、俺にとっても、大きな傷が生まれた」

「……」


 ペットボトルの水を飲みきり、キャップを閉めた。扉を開け、立ち上がる。


「もし、仕事が終わったら、話してくれないか?」

「……考えておきます」


 彼は空のペットボトルを回しつつ、コンビニへと消えていった。

 車の中、1人残された新名は、小さく呟いた。


時雨しぐれ


 誰にも見せぬ、小さな雫を溢して。

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