第9話
考え事をしているのを見抜かれたのか、梧葉さんは呼びかけるようにぼくに言葉をかけた。
「未来がさ、現在の延長にあるなんてつまらないじゃない」
ぼくが反応できずに怪訝な顔をしているのを見て取られたのか。笑いながら、言葉が継がれる。
「さっきのくじらを見たい理由」
ぼくは、彼女の言葉の続きを待った。
「私たちの世界は、過去の歩みの果てにあることは事実だよ。けれど、現在からの歩みが現在の延長線上にあるとは限らない」
ぼくは一枚また手札を晒すことにする。
「その踏み外す手段が、ダイソン・スウォームですか」
手札一枚晒した結果。梧葉さんからは、やるものだねと軽口でお褒めの言葉をいただいた。
「ああ、気づいていたんだ。でも、その反応を見ると年若いキャプテンの生きた未来では、華開かなかったみたいね」
「機械を生産する機械によるよくある生産方式の側か、あるいはそこに資源を運ぶ仕組みの側か、どちらに問題が生じたのかはわかりませんが、少なくともまだ成功してはいないようです」
シルヴィの保持していたデータベースにアクセスして辺境区域などのローカルニュース等も確認済みだ。
シルヴィは元の時間軸においては時間遡行時に利用する為に、各種百科事典やニュース媒体、論文などを日々大規模にクロールしている。今も、元の時間軸においては派遣元のシルヴィが屋敷の管理などをしつつ、情報取得に精を出している頃だろう。
もちろん数日前に同期して以降、時間遡行していることもあってアップデートもされていないけれど。ナインズはそれは誤差の範囲だと述べた。
「そういうこともあるかしらね。けれど、この時間枝では違うかもしれない」
失敗したのかもしれないと遠回しに伝えても、だからどうしたという風に豪放磊落に笑う。
一方でぼくは時間枝という言葉が出て、少しだけ反応してしまう。その反応を見て、梧葉さんはだらしないなぁと笑う。
「そのあたりのロジックもご存知でしたか」
「ええ。これでもそれなりに御家の中枢にはいましたから。産土の魔女の時間遡行は単純な過去への遡行ではないって。変数が少しだけ異なるパラレルワールドへの遡行が大半なのでしょう」
「ええ」
魔法の異能について、否定することはできたかもしれない。けれど、内心であまり否定する必要を感じなかったのだ。
たぶん、この場で否定してもそこに意味はないからだ。
それよりも、御家の中枢という言葉を使った際のどこか自虐的な表情が印象に残った。
「黴びた問いかもしれないけれどさ、歴史は完成するのかな」
ぼくの思考を置き去りに、どこか悲しそうな顔で、梧葉さんは問いかけてくる。
ぼくは問いかけられていることをしばしの思考の果てに理解した。
アローン・エイジに生きた人々――ヘーゲルやマルクスの思想のようだ。前者はナポレオンという過去の英雄の戴冠によって、後者は共産主義という思想を基盤にした国家の樹立によって、歴史が完成したと。そう、定義づけた。
一方で同じくアローン・エイジに生きた人である思想家のひとりであるカントは歴史は終わらないのだとそう残している。
だからぼくは、少しだけ考えてから言葉を発した。
「しないと思います」
自分でも驚くくらい、つよい言葉だと発してから思う。
それから、最近エイプリルに語ったことを思い出す。金枝篇の話だ。王と司祭と民衆とが、あの物語にはでてくる。
物語中で民衆は王を廃し、民衆の中から新たなる王が生まれいずる。ある種の革命というやつだ。
『歴史は終わらない』というテーマは、少し掘り下げると、観客がいてこそ革命が成功した。あるいは観客である民衆こそがそれを成功した革命だと意味付けしたという話につながる。
時代を動かすのは、王や司祭ではなく民衆だとこれ以上ないくらいに述べている。
「私も同じ考え。歴史は永遠に未完成の地層。積み重ねたものを、未来の誰かが見て表するようなもの」
ぼくは気になっていたことを聞いた。
「あなたは、さきほど宇宙を泳ぐくじらを見たいといいましたが・・・・・・」
「ええ。言ったわね」
「あなたの行動原理、それは復讐なのでしょうか」
「そうでもないよ。歴史的に魔女は封印されてきた側なことは事実だけど、魔女側が距離を置いてきたのも事実。世界への順応かな、ヒトの世の司祭として大それたことはせず、仲間内でよろしくやっている状態。特に復讐の種、ないよね」
「そう、だと思います」
「私たちは遠くへも行く。とても遠い星の光の下でいまも一部が活動中。でもヒトなのよね。もっといえば、地球という惑星のネイティブ。外があるから内をより明確に意識できる」
「それほどまでに、世の中を突き動かしたいと」
世界の観客として生きていく。ヒト種には終着点やユートピアが存在しない。終わってしまったあとの世界はあるかもしれないけど、『おわり』ではない。
「人類に共通の原体験。それについて、老若男女問わずコミュニケーションし続けるようなそういう事象を現出させたいの。そうね、最終目標はユネスコが主管する『世界への記憶』への登録かな」
僕には梧葉さんがどこまで本気の発言かを判じることはできなかった。ぼくの感覚はすべてが本気だと伝えてきていたからだ。
それにしては、今日のシチューのレシピに必要なものを近所のホールセールクラブに買いに行かなくちゃとでも言っているかのような気軽さだった。
「んー、わっからないんですよね。梧葉さんの本音」
「これでも全部本音なのだけど。それに、これだけいろいろとおしゃべりしたんだもの。ウィアベルでいいよ。ウィル」
どこまでもリラックスした彼女の雰囲気に流されてぼくは、少しだけ肩の力を緩める。
「ウィアベルさん達が、やりたいことをシンプルにするとヒトの世を変えたいんですか?」
「そんなたいそうな類のものじゃないよ。世の中には隠された宝箱があるべきだと私は思う。そして、冒険には報酬を。希望の孤児たちの望みはいまやそれだけ。そのためのダイソン」
淡々とけれど、自身を以て語る言葉は強いなとぼくは他人事のように思う。心の内で、どうもこのヒトの語る構想に興味が出てしまったらしい。
ひとまず、心を冷静に、落ち着かせるために。当たり障りのない言葉を返す。
「遠大な構想ですね」
「そうかしら」
「データは限定的にですが、お渡しできるかと思います」
ナインズやエイプリルと会話した三つの方針がある。積極策、持久策、そしていまぼくがとろうとしている交渉策。
当初は積極策として、限定的なリワードを先方に提供。そのかわりに相手の情報を収集するタイプの方針だった。けれど、どうにもウィアベルさんの話は面白そうな方向に転がりそうなのだ。
もちろんお目付け役のナインズからは、ぼくの判断で交渉策に変更してもよいという合意は得ている。
「あれ、意外ね。渋られるかと」
「その代わりに、出資させてください」
「私たちの計画に?」
「ええ。出資させてください」
ぼくはにこやかに笑う。
「未来に生きるあなたが? 過去に生きる私に?」
驚きのあまり、動転しているのか、ウィアベルさんの言葉はどこか自虐を含んでいるように聞こえた。
「はい」
「それって、素敵なインサイダー取引ね」
「そうともいえるかもしれません。少なくともこのままだと失敗する公算が高いということですから」
ウィアベルさんはぼくの言葉に虚を突かれたように少しだけ首を傾げた後、笑っていう。
「血もあり肉もある人生で、変わらぬものを追い求めることほど滑稽なものもないでしょう」
ここまでの会話の中でも感じたことだけれど、希望の孤児たちは理想主義者ではないのだろうなと。そう感じていたことはぼくのなかで確かな手ごたえへと変わりつつあった。
「理想は遠くで鑑賞するものじゃなし。共に食べ、共に歩き、共に寝て。だから少しずつ形が変わるの」
そう言って、ウィアベルさんはフロアの中央へ歩きだす。中央には、鑑賞花を置くスペースがあり、紫・藤・白の色とりどりの花が咲き誇っていた。
ぼくも中央に少しだけ近づく。どこかで見たことのある花だと思う。
「イエスタデイ-トゥデイ-トゥモロー。キレイでしょ」
ウィアベルさんの捕捉で、実家の庭園に咲く花だと気づいた。
「理想の美しさを探しても、空虚だわ。だから、美しい理想を抱いて、私達は歩み続ける」
――人は己がうちにうみを持つ。
ウィアベルさんの言葉は、手触りは異なるものの祖母の言葉を思い出させた。
ヒトの抱く思いは水のように、海のように絶えず変化する。幾重もの波紋が十重二十重と折り重なる。けれど、きっとその本質は変わらない。
「まあでも、理想に必要なのは値付けね」
そう言って、ウィアベルさんは蠱惑的な笑みを浮かべる。
「民衆の支持はどちらでも。あってもなくても。あってくれないと困るのは、目利きたちの出資。金銭的な裏書きを失った理想なんて塵芥のようなものだもの。
あなたは私達の理想にいくらの値をつけるのかしら」
そこまで言い切ってから、ウィアベルさんはああそうそうと付け加える。
「そもそも、いま即金で出資できるほどの何かがあるのかしら。お金代わりに情報をというのなら、要望したもの以外は今時点、特段欲していないけれど」
「情報ではなく、資金援助をさせていただきます。あなたたちの描く社会は少し面白そうだから。御家の裏金を使います」
時知らず会計という裏帳簿が御家にはある。いつ頃からあるのかは不明で、けれど産土の伝承者が能力を活用し、過去にヒトを遣った際に当座の資金として必要なものを取り揃えたり、未来の相場が本当にはわからないもののそれなりには分かっている状態での先物取引やら、投資を張る為の資金だ。
独立した会計になっていて、相当額の資産価値を持つ。
「それは知らなかったわ。まあでもありそうな話ね」
「ええ。なんにせよ、ウィアベルさんとの会話は面白かった。実りの多い旅路になりました。夢か、あるいは理想か。楽しみにしています」
歴史を変化させるのは、王でも司祭でもない。けれど、民衆でもない。
だから仕組むのだ。変化の種を。
最後に一つだけ聞かせて、とウィアベルさんは去り際のぼくに声をかけた。
ぼくはその場で振り返る。
「光陰逝水、けれどあなたたちはその因果の理を少しだけかもしれないけれど、逆にできる。ねぇ、どうしてそれを利用して、もっとほしがらないの?」
「うちの家訓なんです。曰く、『新しいヒト』の神話を探し求めるのではなく、『新しい文明』の物語を探し求める。きっと、あなたたちのやろうとしていることは近いと思ったので」
そう言い残して、ぼくは去った。
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