第8話

 一時間後。

 シルヴァン・クロウ号からは宇宙ボートで進入する。

 宇宙港からはガイドビーコンがいくつか設置されていたのでそのままスムーズにコントロールルームの近くまでたどり着くことはできた。

 

「入ってきなよ。いるのはわかってわかっているんだ」


 扉の応答用のスピーカーから音がした。一定の気密が保たれているらしい。ぼくは気を取り直して入室する。


 コントロールルームは明らかに全盛期の機能を喪失しているように見えた。素人目にもあちらこちらにある機材の大半が壊れている。電気系統がそもそも繋がっていないのか、アポロ型宇宙服の人物がいるあたりにしか明かりが灯っていない。


「こんにちは、年若い船長さん。思っていた以上にお若いのね」


 宇宙服のヘルメット部分の色味が変化して、先ほどの通信で会話を交わした女性の横顔が見えた。


「最低限の機能は維持しているんだけれど、万が一があったらことだから。あなたもバイザーは外さない方がいいよ」


 こちらも偏光度合を操作してバイザーを上げずに素顔を晒す。


「ご丁寧にどうも」

「ここに来てくれてありがとう。正直なところ、誰も来ないかと思っていたところなんだ」


 心底うれしそうに彼女は笑う。


「その割には信号の出力がとても微弱でしたが」

 

 ぼくはいつでも部屋を離脱できるよう、背後の扉のすぐそばにおいたドローンポッドとの通信が断絶しないことを意識しつつ、会話を続ける。


「別に誰にでも会いたかったわけではないもの」


事前の想定通り、彼女は気さくに会話を交わしてくれるタイプらしい。ぼくたちにとっては行幸だった。


「魔女の家系に御用ですか」

「あら、意外。すぐに本題に入るのね。もう少し駆け引きを楽しんでもよいのに」

「んー、正直。駆け引きしてても、余計な情報を引き出されるばかりと思うんですよね。それで、こちらの判断も情報引き出された分、シビアになっていくと思いますよ。まあ、であれば、最初からコールしておいた方がいいかなって」


 ナインズは、暴力・謀略を伴う宇宙開拓における紳士・淑女のお作法に特に詳しくはないが、それでも御家のOTJでそこそこ薄暗いところは歩いたこともある。そんなちょっと汚れてしまった大人のナインズと僕たちで協議した結果、最悪は宇宙船を奪われることだと想定した。


「あなたのお目付け役の助言?」

「さあ、どうでしょう」


 否定してもしょうがないけれど、この話し方は確かにナインズの指示だった。


「なかなか、ふてぶてしいこというのね。あなた」

「これでも結構内心は緊張していますよ。でも、懐に入り込まないと五分五分にすらなりそうにないなって。お姉さん、いろいろと事情通っぽい所作がありましたし。見せ球だけでもちらほらありますし」


 これは半ば本音だった。通信の最後に残された言葉にせよ、そのほかのことにせよ、明らかに眼前の女性は意図的に情報を提示している。

 友好的かは少し疑念がもたれるものの、初回が平和的な接触だったこともあり、多少は安全だろうと判断したのだ。


「あなたは何かをしようとしている。ただそれがぼくたちにとってどういう影響があるかはみえない。それにぼくたちの状況を多少なりと理解している」


 淡々とぼくはわかっている事実を言う。


「饗庭家の産土は、秘中の秘ではあるけれど、それを補佐する私の家はそれを補佐してきた家だから」


 産土。祖母の魔法の伝承名だ。髪の結び目を幾重にも重ねることで、時間移動が可能になるネイティブ・ギフト。

 重ね方、結び目の作り方はその時々によって異なり、長年の時間をかけて誂えたアエバ家の専用儀式場で行うことで、成功確率は七割程度になっている。

 残りの三割はうまく潜れないか、あるいは神隠しにあうかだ。姉のひとりは神隠しにあって、十年後に年齢が変化せずに戻ってきた。

 ぼくは、祖母の魔法との相性がよくその成功確率を百まで高めることができる。ほかの家族の魔法にも触れることはあるけれど、祖母と姉のひとりの手触り感だけはどこか異質だ。

 目の前の彼女が何かを欲していることがわかった。努めて、表情には表すまいとしているものの、それでも何かしら伝わってしまうものはある。


「あなたは何が欲しいんですか」


 だから、当初建てた作戦を打ち捨てて、つい聞いてしまった。これは多分相手への憐憫ではなく、興味なのだと思う。

 この場を整えて、ぼくたちと遭遇し、正体を看破した上で何を目的とするのか。それが気になるのだ。


「アエバ家の守護AIが保持している宇宙工学・宇宙起動制御関連のライブラリデータを」


 守護AIはこの場合、シルヴィのことだ。ライブラリデータには、相手との相対距離の測定・補足プロトコルなどを含め、様々な環境下に置かれた際のシルヴィの経験データと、対応プロトコルの進化の歴史が刻まれている。

 ありていにいえば、この時代から百年先まで進化する情報を求めているということだった。


「なぜ、と聞いて教えていただけるのでしょうか。それなり以上に機密度の高いものです」


 どういう答えが返ってくるのか、期待して待つぼくにたいして、彼女は迷った風もなく応じた。


「ただ、宇宙を泳ぐくじらをみたかったんだ」

「くじら、ですか?」

「虹の橋をみたら、その根本へ行ってみたくなる。流れ星をみたら、願わずにはいられない。丘の向こう、その先はどんなところなのかこえていこう」


 朗読劇のように一文一文の声音を変えて彼女は朗々と謳うように続けた。


「これがヒトだ。かくあれかしと、世界という海に漕ぎ出でて、先へもっと先へと進んでいく」


「エスター・オーファンの言葉ですね」

 

 それが誰の言葉であったかを認識し、ぼくは彼女の側面の一端を知った。

 エスター・オーファンという人物は歴史の中で存在した偉人の名だ。特殊な出自で両性具有であったその人は、人類の宇宙空間への進出を生理学・栄養学の面で力強く後押ししたことで知られる。

 晩年は、人は人らしく生きるという人間讃歌を行動で示し、人とアンドロイドと高度知性AIによる恒星間移民船の構想プロジェクトの立ち上げに尽力した。


「ええ。私は希望の孤児のひとり」

 

 梧葉さんは、どこか懐かしむような表情を浮かべながら頷く。


 俗に、エスター・オーファンに影響を受けた人々を希望の子たちと呼ぶ。

 そして、希望の子たちは彼あるいは彼女の思想を拡張する。この時代の少し前、人類の最前線が続々と拡張される予感による素朴な人間賛歌が合わさったことで、思想が変化することになる。

 夜明け前の夢が語られていた一方で、人とは何かという問いもまた見直される時期に来ていた。

 要するに人の定義が揺れていた時期だった。

 曰く、高度知性AIが演算し連携し編み上げる世界が独自に生まれ、ほんのひとかけらすらもタダビトはおろか専門家すら把握できなくなっていた。

 九九%を機械に置換された人間がパラリンピックで優勝を繰り返す。割合が問題なのか、あるいは機械ではなく有機工学の素材であればよいのかという問い。

 遺伝子操作で特定疾病に侵されない人間がいる。彼、あるいは彼女は人工子宮で育まれ、産まれいずる。そして、時に誰かのクローンでもある。

 多くの未解決の問いがあった。それは元来、さる歴史学派に起源を求めることができるという。

 オーバン・トフラー。

 ヒトにとっての富はどこでも生み出され、同時にどこにも存在せず、外にあると主張するその男が現れた時、焼き直した帝国主義運動だと世間では受け止めた。

 けれど、学理を以て未来を演算し続ける男は、淡々とまだ見ぬ新しい概念へ命名をしていった。十年もすると、十年前にこの男が命名した用語が状況にぴたりとあてはまることが分かり、いつのまにかその用語を使ってしまう状況がいくつも発生した。

 どこか奇妙な男だった。

 思想は伝播する。燎原の火の如く。

 トフラーとエスター・オーファンの思想は組み合わさり、汎人類圏旅人憲章という形で実を結んだ。多くの人の在り方を認め、高度知性AIはパートナー、あるいは良き隣人であるとされたほか、宇宙探索に関する条約も憲章をきっかけに結ばれることになる。

 ヒトと呼ぶとき、高度知性AIを含めるようになったのもトフラーが始めたことだった。

 そしてこの時代、両名は惜しまれつつもいない。あるいはトフラーであれば、ぎりぎり生きているかもしれない。彼の没年は不詳なのだ。

 希望の孤児たちというのは二人の思想的な親を失った支援者たちのある種の自虐的な自己表現だった。

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