独泳
紫鳥コウ
独泳
櫻井の家に集まった、野茂、工藤、大橋の三人は、もうすっかり酔いが回っているらしかった。そうでなければ、ほとんど読まれていない物書きである三人が、ここまで
「たしかに死は悲しい。だけど、小説のなかに死を登場させれば、物語を成立させられるだろうという考えは……」
野茂が両手を畳にぴったりつけて身体を反らせながら弁じると、あぐらをかいてちびちびと酒を
「まあ作者は、しめたもんだと思っているだろうよ。いい演出効果になっただろうってね。こっちからすれば、感動の押し売りのように感じちゃうけどねえ」
そして工藤は、横で眠りかけている大橋に同意を求めた。
「そうだなあ……」
しかしもう喋る力も残っていないらしい。座布団を二つ折りにして枕を作り、毛布をかけて寝かせることにした。
その後も、野茂と工藤は激論を闘わせていた。だがそれは、お互いの傷をたたき合っているのと変わりがなかった。
なぜなら、彼らが批判している対象というのは、彼らの分身でもあったのだから。自分たちだって、死を演出効果として扱う物書きと、大差のないことをしているではないか。
櫻井は、酒も呑まずに、畳に横になり
来年にはもう三十になる。肉親の死もすでに経験している。親類は毎年のように亡くなり、むかしは元気だった近所のご老人の葬式に出向く機会も増えた。もちろん、それらの人々の死は「悲しい」に違いない。
しかし櫻井が打ちのめされるほどの悲痛を覚えたのは、永野夕子の死である。
* * *
「あいつ、一番を叩いてらあ!」
と、最初にはやし立てたのは、だれだったか覚えていない。しかし、一番を叩いているのを、当然のこととして受け入れていた子は、だれもいなかった。
この村の祭りでは、子供たちが太鼓を叩く。一番から六番まで演目がある。もちろん六番が、最も高度な技術が必要になる。
中学生ならば、六番を叩く。一番を叩くのは、小学校の低学年の子だけだ。
永野夕子は、中学一年の春に引っ越してきた。どういう経緯でこの村にやってきたのかは、大人たちは、だれも教えてくれなかった。だから櫻井も、いまでもそこら辺の事情は分からない。
ともかく、いきなり六番を叩くことは、技術的にも慣習的にも認められず、ちゃんと基礎からはじめることになったのだ。
小さい子たちに混じって、一番を叩く練習をしている夕子は、彼の目からみても可哀想に映った。と同時に、愉快というか、安心したというか、とにかく霧が晴れていくような気持ちがしたのも事実だった。
というのも、櫻井は太鼓を叩くのが下手だったからだ。
その下手さ加減へと向けられる
だからこそ、夕子のことを一番嗤わなかったのは、彼だった。
* * *
初夏。水泳の授業がはじまった。
体育は男女別にあるため、女子が水泳をしているときは、男子はマラソンをさせられる。男子が泳いでいるときは、女子が走ることになる。
櫻井たちが通っていた中学には、水泳部がなかった。もし水泳で全国を目指すとしたら、地元の進学校に通うしかない。スイミングスクールなんてないのだから。
部活なんて面倒だ。帰宅部のままでいたい。国立大を受験することに決めていた櫻井は、部活登録の期間にひそかにそう思っていた。
しかし「進学クラス」にいない限り、必ずなにかの部活に入らなければならない。ということで、将来に役に立つかもしれないコンピューター部に決めた。
コンピューター部の部室からは、プールが見えた。怒鳴るようなコーチの指示に、身を貫くようなホイッスルの音……ぜんぶ、窓を閉めていても耳に入ってくる。
当時の櫻井は、紛れもなく思春期の男子だった。プールの方にチラチラと視線を送ってしまう。
すると目に入るのは、トップスピードで泳ぐ永野夕子だった。
知らないうちに、夕子に
もちろん夕子は、様々な大会で結果を出していた。そして、海で
好きなひとが死んだことが悲しかった。
いま思えばそれだけではない。泳ぐのが得意でも、溺れてしまうということに、人生の儚さのようなものを感じて辛かったのだ。
* * *
相変わらず野茂と工藤は、創作論を闘わせている。櫻井もどうやら、眠気が限界に達しようとしているらしい。
〈了〉
独泳 紫鳥コウ @Smilitary
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