第九章◆ただいま【side 霊弥】
「ん……」
眩み、チカチカとする目を開く。
まだ外壁塗装に、剝げも汚れもない、十階建ての白いマンション。後ろには緑色のフェンスがあって、数メートル下には平屋が続く。
ここは……千葉県君津市北子安──……。
俺の
「おーい!!」
向こうから、聞き馴染みのある声がして、ふっと振り向く。
俊たちが群がっていた。学校帰りだろうか、制服を着ている。半開きの学生鞄。真ん中には、松葉杖をついた蒼汰がいた。
何の違和感もなく自分の袖を見る。漆黒の羽織。下には白い着物。灰色の袴──古風な新郎の衣装によく似ている。腰には日本刀を差していた。
令和時代に、なんと風変わりで違和感しか感じないいでたちだ。
「蒼汰……」
「あれ、霊弥!? 早弥も、寳來も……」
振り向くと、早弥と寳來も、突っ立っていた。正直、早弥が突っ立っているのを見るのは人生で初めてかもしれない。
書生風の早弥も、大正女学生に見える寳來も、今の時代には似つかわしくない姿だ(寳來はこの姿が一番納得が行く)。
見慣れたいつメンたちの顔が、懐かしくてたまらない。
「本当、どこ行ってたんだよ!!」
「心配したんだからな、俺たち!!」
「一週間も消えて……」
そうか……まだ一週間だけだったのか。
まるで数年、馴染みの土地を離れて暮らしていた感覚がした。それくらい色んなことがあった。
「ただいま。……」
頬を、一縷の冷たい線が流れた。
西の海に沈みかける陽の光は、ひどく冷たくて──流れた熱い滴も、すぐに温度を奪われる。
俺はそう、自分には似つかわしくないぐらいに涙を流して、しばらくそこで立ち尽くしていた。
◇ ◇ ◇
「蒼汰君、退院おめでとう〜!!」
蒼汰の退院祝いをしたのは、もちろん、蒼汰の家だ。
大学生の蒼汰の兄、蓮司がしばらく帰って来ないので、広い彼の部屋を勝手に使わしてもらっている。
あの腐り手との戦いから数週間。蒼汰は、まだ歩行に後遺症が残りつつも、普通の生活を送る上で差し支えないところまで回復した。
さっきの松葉杖は、万一のことを考えてのことだったらしい。取り敢えずリハビリでは、まともに歩けていたそうだ。
「ありがと、まさかこんなことになるとは思わなくて。寳來さん、あのときはありがとうございました」
「いや……別に『さん付け』じゃなくて良いよ、同級生だし」
気さくに笑う寳來が、遠い人に見える。
昔から表情の変化に乏しく、作り笑いも下手だった。言葉を話すことも少なくて、前は「声帯に異常があり、言葉を話すことができない」と勘違いされていた。
笑顔が綺麗で、人当たりが良く、好感度の高い態度が人を惹き寄せる。
一方の自分は……と思うと、もう、全部がどうでもよくなる。
面倒になってくる。自分を嫌うことも、憎むことも、他人を羨むことも、恨むことも。何もかも。
「蒼汰の命が助かったことが何よりだよ。……短期入院で済んだとはいえ、見つかったときはひどい怪我だったから」
俺は……寳來には敵わない。
人当たりの良さやコミュニケーション能力の面では、多分この中で一番ダメだと確信している。
人間嫌いだし、喋るのは面倒だと思っている。誰かを相手にしている暇があるなら、自分の内面を見ていたい。
もちろん、そんな自分の悪癖を直したいとは何度も何度も思ってきた。今の時代、そんな
今でも、個別の障害支援教室に通っているし、早弥と同じぐらい話してみようと試したこともある。
けれども、ダメだった。怖かった。人の話を信じきれなかったし、どうやって話題を切り出すのか、その仕方がわからない。
一軍に属するクラスメイトたちは、毎日笑って、話して、笑い転げて、舌が疲れるまで喋る。
一方俺は、常に教室の隅で物思いに耽り、空虚な眼差しでどこかを見、どこかしらの騒ぎも聞かない。
常に魂が抜けたように虚ろだった気がする。
教師に指名されるまで、声など発しない。誰かに話しかけられても、指文字や首の動きで、全て用件を伝えた。
あるときは、
『小鳥遊霊弥、ここの答え教えて』
『……』ペラッ
『あ、これ模範解答のプリント? ありがと』
『……』
またあるときは、
『小鳥遊霊弥、②の(1)の答え、書きに来い』
『……』トクトク、カキカキ
『ん。正解。ただもうちょっと、字を綺麗に書いてくれるか?』
『……』コクリッ、トクトク
『寡黙なやつだなぁ、小鳥遊霊弥は』
『……』ギロリッ
またあるときは、
『小鳥遊霊弥! ちょっと来い』
『……』コクリッ、トクトク
『雪里祭のテーマ決め、おまえ、何が良いと思う?』
『……』カキカキ、ジャーン
『お、良いじゃん。……って、おんまえ、喋れよ!!』
『……』ギロリッ、ブンブン
自分はいつ、光に行けるのか、わからなくなる。
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