第五章◆思い出せない【side 霊弥】

「……寳來様、を?」


 俺が突飛な申し出をしたからか、環吉の顔がキョトンとしている


 そりゃそうか。たまたま保護した旅人が突然、自分たちの主人を探すのに協力して欲しい、なんて言われたら、まず理解が追いつかない。


 あやかしだからって、おそらくそこは人間と変わらないだろう。


「……霊弥殿も、寳來様を、ご存知で?」


 多分──寳來は、ここでは〝相当な権力者〟として知られていることだろう。見るからに絢爛けんらんとした屋敷を持っている──。


 一度、眞姫瓏を、傍の座布団に寝かしつけ、ふと障子の外を見る


 碁盤ごばんの目で綺麗に通った道。所狭しと建ち並んだ、茅葺かやぶき屋根の家々。


 もし、どこもかしこもこんな家が並んでいるとすれば、この屋敷のように何層にも階があり、藍の瓦屋根が陽の光を反射し、派手な装飾をところどころにつけた家は少ないのではないだろうか。


 そう考えれば、寳來は〈権力者〉なのかもしれない。


 そのとき──。


「ふにゃあ……う〜ん……ん? 環吉しゃん、また来てたのぉ? ふみゃ……れーやしゃんおはょぉ……ふわぁ〜……」


 間延びした寝ぼけ声が聞こえたと思ったら、座布団を枕に横たわっていたはずの眞姫瓏が、半身を起こして大きく伸びをしていた。


 まだ目覚めきっていないのか、うつろで焦点の定まらない瞳で、ぼんやりどこかを見ている。


「おはよう。起こして悪かったな」


 ドンッ! という鈍い音が、廊下の方から聞こえた。


 環吉が、そっと襖を少し開け、暗がりの廊下の奥の方を確認する。何度か頷くと、立ち上がって部屋を出ていった。


 盗み聴きは悪いと知りつつも、聞き耳を立てる。


「よ、洋子さん」

「さ……さっき、綺麗な男性の声が聞こえて……あ、あまりに綺麗だったので、その……ああっ」

「洋子さんが取り乱すほどなのか……」


 さっきの俺の声か? と一瞬疑ったが、いや、そんなわけはないと首を振る。


 別に、綺麗な声はしていないと思う。ありふれていて、何の変哲もないと思う。誰かに、そのことを言われたこともない……。


 しかしさっきの鈍い物音は、どうやら、洋子という〈女〉が立てたもの……らしい。


 女、と想像するだけで、拳を握り締め、ギュッと固く目をつむらなければ、いられない。


「っ……」


 早く、去ってくれ──。


 だが、足音は、徐々に近づいてきた。……やめてくれ、本当に。女は大嫌いなんだ。眞姫瓏は平気だが。


 そっと襖を閉めて、廊下からは見えない壁の柱のところで、体育座りをする。顔を、膝にうずめる。


 やがて、洋子が部屋の前を通り過ぎた。


 それを確認し終え、眞姫瓏の傍へと寄る。


「……眠い、ですね」

「お前だけじゃないのか、眠いのは?」


 そっと眞姫瓏の頭を撫でて、曲がった髪飾りを直してやる。


「……優しい人ですね」


 ……はっ?


〈優しい〉と言われて、驚いたわけではない。確かに〈優しい〉という自覚はないが……。


 いつかの昔に、同じことを、言われた気がした。


『霊弥さんは本当に優しすぎる……だからって、ここまです──……』


 輪郭のはっきりしない記憶だった。いつなのか、どこなのか、言ったのは誰なのか……一つとして思い出せない。


 ただ、かすかにその記憶が、根を生やしていることだけはわかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る