28
私はずっと狂ってたよ。今に始まったことじゃない。
それを、サチさんに言う気にはなれなかった。ただ、父親に犯されたあの夜、私がおかしいのか、私以外の全てがおかしいのか、そのどちらなのか知りたいと思っていた、そのことを思い出した。
「……蝉に、訊くわ。」
蝉になにを訊くというのか、自分の中でもはっきりとしてはいなかった。それはサチさんにも分かっていたと思う。それでも彼女は微笑み、頷いてくれた。
「そうね。それがいいわ。」
さて、仕事に戻りますか、と、軽く伸びをした彼女は、化粧を直しに自室へ引っ込んでいった。私はしばらく、台所で棒立ちになっていた。なにを考えていたわけでもない。なにを考えていいのかすら分からなかった。
とにかく、蝉の部屋に戻ろう。ここにいては、娼婦たちの商売の邪魔になる。
そう思い到って、私は長い廊下を足早に抜け、蝉の部屋に入った。中には蝉がいて、ちょうど部屋から出ていこうとしていたようで、襖を開けたところでばったりと顔を合わせた。
「どこ行ってたんだ、お前。」
「……お皿、洗ってた。」
「いづみ、迎えに行くぞ。」
「え?」
「いづみ。」
急すぎて、頭がついて行かなかった。お母さんが、戻ってくる。この二週間待ち続けたことだった。でも、本当は分かりかけていたし、さっきのサチさんの言葉ではっきりしてきてもいた。お母さんも、私がここにいることを望んではいない。
二人で川の近くにある旅館に行った時のことが頭に甦った。
離れるしか、ないのかもしれないわ、私たち。
頭の中がぐるぐるしていた。そんな私をひょいと見おろした蝉は、とにかく行くぞ、と、私の背中を軽く押し、部屋を出た。
長屋の前には、お母さんが刺された日と同じように、黒い車が停まっていた。びくりと身をすくませる私を、蝉は平然と促して助手席に乗せた。ここから病院までは、近い。蝉と話せるのは、ほんの少しの時間だ。
「……蝉。」
「ん?」
「……孤児院の院長に、知り合いがいるって本当?」
問うと、蝉は淡々とハンドルを切りながら、いつもの調子で答えた。
「ほんと。」
「……なんで、言わなかったの?」
「なにを。」
「だから、孤児院の院長に、知り合いがいるって。」
私の声は、明らかに苛立っていた。蝉は、やっぱりいつもと同じように飄々としていた。
「知りたかったのか?」
逆に訊き返され、私は言葉をなくした。
知りたかったのか? お母さん以外の居場所があるかも知れないことを? そんなことを、私は知りたかったのか?
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