24
お母さんが帰ってくるまでの一週間で、私は売り上げの帳面の付け方と、うどんとそばの作りかたと、鉤針編みを覚えた。帳面の付け方とうどんとそばの作り方は蝉が、鉤針編みの仕方は、サチさんというもう若くはない娼婦が教えてくれた。
「サチはあれでうちの稼ぎ頭だからな。」
蝉は、蝉の部屋で鉤針編みをしている私を見て、そう言った。サチさんのその趣味は、長屋の人ならだれでも知っていることのようだった。
「サチさん、もうここに長いの?」
「10年以上いる。借金はもう、返し終わってるんだけどな。」
「なら、なんで……?」
訊いても蝉は、苦笑しながら煙管を咥えただけで、答えを教えてはくれなかった。そのあとの数日で私は、サチさんには、将来を約束した人がいたことも、そのひとがどこかに蒸発してしまってもう何年もたつことも、噂で聞いた。サチさんには悲壮感がなく、いつでも優しくて明るいから、その話は全然ぴんと来なかったけれど、本人に確かめることもできなかった。私はぼんやりと、お母さんはどうするのだろう、と思った。借金を返し終えたら、お母さんは、誰とどこに行くのだろう。
「蝉。」
「ん?」
蝉が私の前に、娼婦たちが書く簡単な伝票を放り出しながら、どうでもよさそうに首を傾げた。この伝票をもとに売り上げの帳面をつけるやり方を、私はここに泊まり込むようになった初日の夜に教えられた。
帳面をつけやすいように伝票を並べ替えながら、蝉に訊いてみる。
「お母さんは、借金返したら、どうするんだろう。」
定位置の座布団に長い脚を組みながら、蝉は異人さんみたいに肩をすくめた。
「本人しか分からないだろ。」
確かにそうだ。そうだけれど、私はお母さんにはそれを訊けないから蝉に訊いている。
お母さんの将来に、私はいるのだろうか。
「ここのひとたちは、借金返したらどうするものなの?」
「いろいろ。遣り手になったり、結婚したり、普通の職に就いたり、娼婦続けたり、野たれ死んだり。」
いつも通り、どこか投げやりな蝉の物言い。私はそれにもう慣れていたから、そう、とだけ言って、帳面を開いた。
帳面を埋め尽くす蝉の文字は、案外きれいだ。誤字脱字もないし、縦に長く形が整っている。私は学校と名のつくものに行ったことがなく、自分でなんとか平仮名と片仮名の読み書きを覚えた程度だから、伝票の文字を帳面に書き写すのも一苦労だった。
前かがみになって、畳に置いた帳面とにらめっこしながら、項のあたりに蝉の視線を感じていた。それは嫌な感じのものではなくて、むしろ安心できる類のものだった。
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