14
「香織。川は旅館の裏手で、歩いてすぐだって。」
お母さんが、フロントから離れ、私に歩み寄りながらそう言った。私は頷いて、お母さんと並んで旅館を出た。お母さんと二人きりだ、と思うと、安堵感があった。中居さんから、お母さんをとりもどせた、なんて言うと大げさだろうけど、そんな気持ちだった。
サイダーを飲みながら、私たちは並んで歩いた。途中から、指を絡ませた。お母さんの指は、細くて白い。日影で咲いた花みたいにきれいだ。
川は、旅館の裏手に回ってすぐのところに流れていた。川岸は、白い小さな石で砂浜みたいになっている。ぼうぼうと茂る草がその外側一面に生えていて、外界と岸辺とを区切っているみたいだった。私とお母さんは、草むらを通り抜け、白い岸辺に並んで座った。
しばらくは、私たちは無言だった。お母さんは静かにサイダーを飲み干し、私は石を拾っては川に投げ込んで遊んでいた。なにか、お母さんは私に話たいことがあるのかもしれない。そう思ったのは、盗み見したお母さんの白い横顔が強張って見えたせいだ。なにか、話しずらいことをお母さんは話そうとしている。そのために、この旅館まで私をつれて来たのかもしれない。
「……お母さん?」
黙っているのが辛くなって、私はお母さんを呼んだ。お母さんは、優しく首を傾げ、私の顔を覗きこんだ。
「なあに?」
続く言葉がどこにも探せなくて、私はぐっと口をつぐんだ。するとお母さんは、小さく微笑み、私の手の中でちゃりちゃりと遊ばれていた小石を一つとると、川に投げ込んだ。滑らかな布地みたいに静かに流れていた川面に、ぽちゃん、と、波が立つ。
「あれ、香織よ。」
お母さんはそう言って、くすくす笑った。長い黒髪が、ふわふわと揺れて私の二の腕をくすぐる。私はお母さんの言う意味が分からなくて、首をひねった。
「私?」
「ええ。」
なにが?、と、更に首をひねる私を見て、お母さんはにこにこしていた。
「ずっとね、平坦だったの。生活がね。観音通りに立つようになって、何年たつのかな。ずっと、平坦だった。それに、香織が波を立ててくれた。」
平坦、と、私は口の中で呟いた。お母さんの言うことは、抽象的すぎて私にはよく分からなかった。それでも、お母さんはなにか大切なことを伝えようとしてくれているのだと、それは分かったから、じっとしてお母さんの言うことに耳を傾けていた。
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