蝉は部屋に入ると、私の身体をぽんと畳の上に落とした。あっさりした動作だった。私はしりもちをついたみたいな恰好で畳に転がった。その恰好を客観的に考えると少しおかしくて、胸がぎゅっと痛くもなった。自分の、滑稽さに。

 「どうした。」

 蝉が定位置の私の向かい側に腰を下し、どうでもよさそうに訊いてきた。どうだっていいんだけど、礼儀として一応訊いておくか、くらいの態度は、私にはむしろ心地よかった。でも、男の蝉に、生理がきた、と口にすることにはためらいがあって、黙り込んでしまう。すると蝉は、傍らの煙草盆の上から赤い煙管をとりあげ、口にくわえた。

 「……お母さんは、」

 どこにいるの。と訊きかけた。お母さんに会いたくて。生理がきた、と泣きついて、あの胸の中に抱きこんで宥めてほしかった。でも、問いが途中で止まったのは、分かっていたからだ。お母さんは、外で客を引いているか、部屋の中で客の相手をしている。そのどちらかだ。それ以外はない。

 蝉は、私の頭の中を覗き込んででもいるみたいに、黙ったまま煙管をふかした。私は、お母さんには知られたくない、と思った。どうしてだか分からない。でも、どうしても。どうしても、知られたくなかった。

 「…生理が、きたの。」

 ぽつん、と口にすると、蝉は特に表情も変えず、そう、とだけ言った。そして立ち上がると、手真似で、ついてこい、と促して部屋を出た。私は蝉の痩せた背中にくっついて歩いた。この長屋に間借りしていたことがあると言っても、私はここの雰囲気に慣れなかった。男と女の、染みついた匂い。

 蝉は、長屋の奥、客は入れない台所を抜け、娼婦たちの専用トイレまで私を連れて行った。トイレの前には白い籠が置いてあった。大きな籠で、私の腰くらいまでの高さがあった。その上にかけられた白い布をめくった蝉は、中から生理用品をつまんで取り出した。

 「使い方、分かる?」

 「……分からない。」

 「ここ、はがして、パンツに貼り付ける。こっちが前。汚れたら取り替える。取り換えた方は畳んで捨てる。」

 蝉は妙に清潔な感じのする真っ白い生理用品の使い方を端的に説明すると、ひとつ私の手に握らせて、トイレのドアを開けた。

 「あの水色の箱の中に捨てればいいから。」

 「……うん。」

 トイレの中で、蝉に教わった通りに生理用品を使いながら、私は声を殺して少し泣いた。悲しかった。自分の身体が大人になったことが。それはひどい悲劇の始まりのように思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る