「蝉って、冷たいのね。」

 座布団を胸に抱えてうつぶせに突っ伏しながら、私は言った。冷たい、なんて言ってみても、半分以上は甘えだった。蝉はいつでも親切だったし、大人に親切にされるという経験が、これまでの私の人生にはほとんどなかった。

 蝉は横顔で笑いながら、あんたの母さんもでしょ、と応じた。

 「あんたの母さんも、冷たい。心のどっかが、いつでも冷たい。誰に対してもだ。」

 お母さんが、冷たい?

 私は首を傾げ、蝉の膝先まで這って行った。納得できなかった。だってお母さんは、私にとって誰よりも暖かい。

 蝉はちょっと笑って、私の髪をふざけて引っ張った。

 「分からないなら、いいよ。それが一番、いい。」

 「なあに、それ。」

 私は大層不満で、頬を膨らませて蝉を見上げた。蝉はやっぱり笑っていた。いつもの、優しくて冷たい笑顔だった。私は、ここの娼婦の何人かが蝉に懸想して、この微笑で拒絶されていることを知っていた。蝉は、誰に対しても平等に優しくて、冷たい。

 「ねえ、それって私にも? お母さん、私にも冷たいの?」

 「さあ、どうだろうね。」

 俺には分からないよ、と、蝉は私の乱れた髪を撫でつけてくれた。ここに来るまで、美容室なんかに行ったこともなく、ぼさぼさに伸ばしっぱなしだった髪は、お母さんが行くのと同じ美容室で切ってもらって、顎の線で整えられていた。お母さんみたいにパーマをかけて伸ばしたい、とせがむと、お母さんは、大きくなったらね、と私の頬を撫でた。その手は、やっぱり暖かかった。私が知っている温度の中で、一番。

 本当は、蝉は知っている。なにか、お母さんについて、決定的なことを知っている。

 私はそう睨んで、ぐっと両目に力を入れて蝉を見つめた。蝉は、少しも動揺せずに、色の薄い目で、面白がっているみたいに私を見返した。

 「なにか、私が知らないことがあるのね。」

 「当然だろ。あんた、ここに来てまだ一か月じゃない。」

 それにね、と、蝉は煙管を手のひらで弄びながら続けた。

 「永遠に一緒にいたって、なにもかもが分かるわけじゃない。同じ場所で生まれて、同じように育ったからって、全く同じ人間が出来上がるってわけじゃないのと一緒でね。」

 私は、ぐっと口をつぐんだ。蝉の言うことは、もっともだと分かっていた。人間は完全に分かりあったりできないし、ほんの一か月前にお母さんに拾われたばかりの私はなおさらだ。でも私は、全てを知りたかった。全てを知りたくて、泳げもしないのに海に放り込まれた子どもみたいにもがいていた。

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