お母さんが私のためにしてくれた最初のことは、部屋を借りることだった。観音通りの裏路地に立つ、小さなバラック小屋。ごく狭いし、お風呂はついていない。台所とトイレは共用だ。でも、私にとっては、お母さんと二人で住めるというだけで、どんな豪邸より素敵な部屋に感じられた。

 部屋を借りるまでの数日間、私は蝉の厚意で長屋の一室を借りてそこにいた。大きなお風呂が付いていたし、隣はお母さんの部屋だったけれど、全然落ち着くことはできなかった。

 私が眠る夜の時間は、観音通りにとっては真昼間だ。外からは女たちの嬌声と男たちのヤジが、中からは女たちの喘ぎ声が常に聞こえてくる。お母さんはそのことが私にとって悪影響になると思って、できる限り早く部屋を借りてくれた。

 「このままじゃ、香織が不眠症になるわね。」

 と言って。蝉も冗談交じりではあるものの、ここは娼婦の育成場だからなぁ、と言ってはいた。

 バラック小屋に移ってすぐは、私はその静けさと、お母さんと二人きりという環境に喜んだのだけれど、すぐに心配が頭をもたげるようになった。

 ここにいると、お母さんがどこでなにをしているかが分からない。

 長屋にいる間は、お母さんは隣の部屋にいるか、表で客を引いているかだった。そのどちらにいても、声や足音、気配でそれと分かった。でも、バラックにいると、お母さんの気配はもちろん感じられない。

 はじめの一週間、私は堪えた。夜になるとお母さんを玄関まで見送り、一人で布団に入り、目を閉じてなんとか眠った。翌週からは、眠るのを諦めた。どうせ眠れないんだから、部屋の掃除をしたり、お母さんの持っている数冊の本を読んだりして時間をつぶして、お母さんを出迎えた。お母さんは、私が眠っていないのを見ると、最初は困った顔をした。けれど、私がどうしても眠れないのだと訴えると、渋々頷き、朝、お母さんが床に就くときに、一緒に眠ることを許してくれた。その翌週から、私は家にいることすら苦痛に感じるようになった。だって、お母さんは観音通りでどんな危ない目に遭っているかも分からないのだ。だから、夜明けの頃、私はお母さんを迎えに長屋へ行った。蝉は、驚きもせずに私を見て、母さんならあと10分で上がりだよ、と言って、自分の部屋へ上げてくれた。

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