蝉は、私になにも訊かなかった。名前も、今の状況も、お母さんとの関係も、なにも。だからといって、私を子ども扱いしているのかと思えば、そういうわけでもなさそうだった。ただ、蝉は私を、単純にお母さんからの預かりものとして扱った。私がいくつであろうが、蝉にそんなことは関係なかったのだろうと思う。私に座布団と熱い茶をあてがった蝉は、それ以上なにを言うでもなく、私の向かいに腰を下すと、赤い煙管をふかした。私には、蝉に訊きたいことがいくらでもあった。この街の性質だったり、いづみとかいうらしいあの女の人のことだったり。でも、蝉にただの預かりもの扱いされてしまうと、つまらない質問を口に出すことはできなくなってしまった。

 「緑茶でよかった?」

 「……はい。」

 「お茶請けがないんだけど……、」

 「平気です。」

 「あんたの母さんなら、夜明けには帰ってくるよ。」

 夜明け。それまでは、まだ数時間はありそうだな、と、私は真っ暗な窓の外を見て思った。夜明け。その言葉が、耳に妙に新鮮で、ちょっと戸惑った。私は常に、それを怖れていた。夜が明ければ、また明日が始まってしまう、と。それなのに今夜は、夜明けが待ち遠しいのが不思議だった。

 蝉は目を細めて私を見た。私を子ども扱いするわけでもなければ、無理に大人と同じように扱うわけでもない、ただ私を私として扱う、そんな目をしていた。

 観音通りでお母さんに養われていた間、私は蝉にだけ懐いた。通りに無数に立つ売春婦たちや、他の店の遣り手たちには懐かず、蝉にだけ。それは、蝉がこんなふうに私に接してくれたからかもしれない。それに蝉は、蝉だけは、いづみさんを、私の母親だと呼んだ。他の誰もが、ねぇさんと呼ぶ中で、蝉だけが。

 名前、なんていうの。

 蝉にそんなふうに問われるのがなんとなく嫌で、私は自分から名乗った。香織と言います、と。それでも蝉は、どうでもよさそうに軽く頷いただけだった。蝉は私のことを、お母さんの娘としてしか認識していなかったのだろう。そのことは、私にとってはとても心強いことだった。

 「眠かったら、寝てていいよ。布団が無くて、悪いけど。」

 蝉が細く紫色の煙を吐き出しながら言う。私は、頷いただけで一睡もしないでお母さんを待っていた。蝉は、目を細めて私のそんな忠誠を見ていた。見ていてくれる人がいるというだけで、心丈夫になった。

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