あたりは真っ暗だったけれど、女のひとの白い肌は、闇に浮かび上がるように輝いていた。きれいなひと。私はぼんやり、そんなことを思った。

 「風邪ひくわよ。」

 彼女のやや低い声が、もう一度路地裏に心地よく響く。私は、疲れ切って感覚がない両脚で、なんとか立ち上がった。

 この女のひとが、見た目にそぐわぬ悪党で、どこかに売り飛ばされるとか、痛い目にあわされるとか、考えなかったわけではない。でも、それより強く、今より不幸にはなりっこないと、そんなふうに思っていた。このきれいなひとに身を任せてめちゃくちゃになったとしても、たった今のこの状況より惨めにはなるまいと。

 きれいなひとは、私に名前すら聞かなかった。黙ったまま私に傘をさしかけ、表通りへ足を進める。私は、またあの軽佻浮薄な雑踏にもまれねばならないのかと身構えたけれど、女のひとの隣で聞く雑踏は、悪くなかった。なんなら楽しげに浮き足立っているようにすら聞こえた。

 不思議だな、と思って、隣を歩く彼女を見上げる。すらりと背の高いその人は、私を見下ろすと、軽く首を傾げて微笑んだ。それは、ずっと昔から彼女とこんなふうに寄り添って歩いて来たんだと、そんな誤解をしそうなくらい肌に馴染んだ表情だった。

 「入って。」

 彼女が観音通りの長屋の一つの前に立ち止まり、がらりと引き戸を開けると私を中に促した。私は、もう疑うのをやめて、素直に彼女に従った。

 「いづみ、それ、客?」

 入ってすぐ右手の小部屋から顔を出した男が、怪訝そうに私を見た。私も多分、似たような顔で男を見返したと思う。それは、これまで見たことがないほど派手な格好をした男だったのである。金に染め上げられた髪に、耳や首にぶら下がる赤い鎖状の飾り。柄物のシャツの上に、柄物の振袖をまとい、更に柄物の帯を緩く絞めている。

 「違うわ。娘。」

 いづみ、と呼ばれたそのひとは、ごく短くそう答えた。明るい所で見た彼女は、せいぜい20代の半ばくらいで、到底私の母親というような年代ではなかったにもかかわらず。

 けれど、派手ないでたちの男も、その言い振りに特に驚いた様子もなく、へえ、あんた、娘いたの、とあっさり納得したので、私は驚いてしまう。その驚きは表情にも出ていたらしく、派手な男は私を見て、にやりと笑った。

 「蝉、悪いけどこの子、朝まで預かっといてもらえる?」

 「構わないよ。」

 「ありがとう。」

 私の頭の上でぽんぽんと会話が交わされ、私はあっという間に、蝉、とかいうらしい男の小部屋に吸い込まれていくことになった。

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