笑顔の牢屋③

「おめ、七二会なにあいの子しない?」

 後ろから声をかけられて、死ぬほどビクッとした。本当にこわいと人は声も出せない。

 おそるおそる振り向くと、男の子がいた。

 日に焼けた顔にスポーツ刈り、ランニングシャツに足のつけ根くらいの短すぎる半ズボン。なんか昭和の子って感じがする。

 何よりも昭和っぽいのは、その言葉づかいだ。

 おめ、はおまえ。しない? はナニナニじゃないですか? という意味。だから男の子は

『おまえ、七二会の子だろ?』

 そうたずねたことになる。

 今どきこんな方言丸出しの小学生はめったにいないし、私も使ったりはしないけどがよく使うので意味だけはわかる。

 確かに私は七二会の子だ。長野市の西側、北が山、南がダムにかこまれた小さな集落に住んでいる。家族は私、お母さん、

「七二会のおやきは笹でまくんだよな。おやき同士がくっつかないように」

 そう言って男の子はおやきをつかみ、笹の葉を床にすてると大きな口を開けてかじる。まだ一口目を飲みこむ前に二口、三口とつめこむようにしてたいらげた。

「うんめ」

 そう言いながら指までしゃぶる。今どきこんなおいしそうにおやきを食べる子どもがいるんだ。

 私はここに友だちがいない、けどだいたいの子の顔くらいは知ってる。

 こいつの顔は、初めて見る。なのに入ってきたばかりの子みたいなよそよそしさがない。

「おめは食わねんか、キオ」

 こいつ、なんで私の名前を。

「おめに会う前からおめのことは何でも知ってる。おめがここでらちもねぇ思いしてんのもな」

 らちもねえ。つまらない、タイクツ。

「おめだけじゃねえ、ここはだれにとってもらっちもねぇ場所だ」

「なんでそんなことわかるのよ」

「こいつだ」

 男の子の手には、受付にかざられた野球グローブの一つがあった。

「それ、さわっちゃいけないやつ」

「グローブはボールつかむもんだしね?」

 そうだ。本来手に取って遊ぶべきものを、まるで博物館のようにかざったままにしておくのは変だ。なのに大人も子どももそれに気づかないふりをしている。

 やっぱり、ここはタイクツなところなんだ。

「行かず(行くぞ)」

 男の子はグローブを頭に乗せ、階段の手すりにまたがってすべり降りる。

「えー、めんどくさい」

 今の私は、心も体もなまりきっている。たとえ世界がほろぼうと、毛布から出るつもりはなかった。

「ずくねぇな!」

 下の階から男の子のはりのある声。

 ずく、という方言は説明がとてもむずかしい。

 元気とか根気とかそういうのににてるけど、どれもちょっと違う。

 けど、それをなし、で否定すると。

 このへんの人間にとっては最大級のブジョクになる。

「だれがずくなしだ。このごた(悪ガキ)、調子ちょんこづくだねえど」

 自分でもびっくりするような力で、毛布をなげた。

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