第4話 リュウ

 歩くこと十数分、日本有数の高級ホテルのロビーにいた。

 俺みたいな庶民が足を踏み入れる日が来ようとは……。

 場違いすぎて笑えてくる。

 少女は当然の如くフロントへと声をかけ、鍵を受け取る。


(もしかして、すっごいお嬢様?)


 確かに容姿はどこぞの令嬢と言われても納得がいくし、ちょっとした仕草にも品がある。


「どうしたのよ。行くわよ」


 いかんいかん。ボケっとしていてどうする。

 慌てて少女の後を追い、エレベーターに乗る。


(35階まであるのかよ)


 外観から高いのはわかっていたが、数字を見ると驚いてしまう。

 エレベーターはぐんぐん昇る。


『ーーーー』


 なんとなしに数字の変化を眺めていると、30階を過ぎたところで少女が何かを呟いた。

 日本語には聞こえなかったが……。

 程なくしてエレベーターが止まる。


「ん?」


 異変に気づく、エレベーターの数字表記が消えていたのだ。

 たが、扉は開かれ、そこには通路がある。

 もしや、異界エレベーターなるものなのか?

 混乱する俺を尻目に少女はまたも颯爽と前を歩き、


「行くわよ」


 今度は振り返りもしなかった。

 着いていくしかあるまい。流石に死にはしまい。

 それに、よくよく考えれば今朝の出来事が既に異界のものではないか。


(むしろ、異界と言われた方が納得できるわな)

「ここよ」


 一番奥にある部屋に着く。

 少女の促され、先に入る。


(暗いな)


 電気はついているが薄暗い。仄かな灯りはオシャレと捉えれば良いのだろうか。


(あれ、外が暗い?)


 てっきり遮光されているかと思ったが、窓の外は漆黒に覆われていた。

 仮に夜だとしてもここまで暗くはならないはず。

 まるで世界から切り離された様な有様だ。


「そこのソファーにでも座って」

「あ、ああ」


 腰をかけると少女が飲み物は何が良いかと尋ねてくる。

 高そうなので遠慮するとミネラルウォーターを持ってきてくれた。少女は缶コーヒーにしたようだ。


「まずは自己紹介かしら。私の名前は、円野彩菜(えんのあやな)。彩菜で良いわ」

「俺は柳瀬隆治。隆治って呼んでくれ」

「リュウ、ね……」


 彩菜が呟く。


「ねえ、隆治。本当に朝のこと覚えてるの?」

「鮮明にな」

「……何を見た?」


 トーンは変わっていない。

 けれど、明らかに雰囲気が変わった。

 答え次第では……との圧力にも感じる。


「龍を」

「…………非現実的ね」

「空飛んで炎の剣で戦ってた人に言われるなんてな」

「あら、龍と違って科学技術で何とかなりそうじゃない?」

「それなら龍だってホログラムだとか言えるじゃん」


 軽くジャブの撃ち合い。

 とはいえ、俺に手札らしい手札はない。大事なのは迷わないこと。


「姿は? はっきりと見えたの?」


 彩菜の目が鋭くなる。


「……はっきりとは見えなかった。陽炎みたいに朧げで、ノイズが走っている感じもあった」

「それでも龍と確信を?」


 真っ直ぐ相手の目を見たまま頷く。


「実物を見たことなんてないでしょ」

「ないな。それでも、俺の心はあれが龍だと語っていた。あと、君がカッコいいってことも」

「ふふっ、お世辞でも嬉しいわ。ありがとう」

「本音なんだけどな。生きてきた中で一番美しい光景だったよ」

「美しい、か」


 彩菜は立ち上がり、窓へと歩み寄る。


「私たちが対峙している存在はね。決して美しいものなんかじゃない」


 彩菜の言葉は朝の出来事を本当だと認めていた。

 探り合いは終わり、話は次の段階に進んだみたいだ。


「人の宿敵、知性ある獣」


 言葉に重みがあった。

 彩菜は振り返り、真剣な面持ちで、


「命を懸ける覚悟、貴方にあるかしら」

「ないな」


 即答すると彩菜は頷く。


「そうね。それがきっと普通の反応だわ」


 少し寂しそうなのは俺の気のせいだろうか。


「大人しく日常に帰りなさい。今日のことは世界が気まぐれに見せた夢だと思って」

「え、嫌だけど」

「…………」


 彩菜はこめかみに青筋を立てるも深呼吸し、気持ちを落ち着ける。


「あのね、私は親切心で忠告してあげてるのよ」

「それはわかってる。でも、嫌なものは嫌だ」

「聞き分けのない子供か!」


 防波堤が決壊し、怒声を上げる彩菜。

 怒らせてしまった。素直に気持ちを吐露しただけなのに。


「落ち着いてくれ。俺は龍の話を聞きたいだけなんだ。な、簡単だろ?」

「だ・か・ら! 覚悟もない人には話せないの!」

「えー、機密情報なのか?」

「そうよ! 私たちと同じ立場にならないダメ」

「じゃあ、会いに行くことも?」


 彩菜がわなわなと震え始め、キッと三白眼で俺を睨む。


「あ、あ、あほかー! 言うに事欠いて会いに行くって! 危ないの! 普通に襲ってくるし、強いし、中には無茶苦茶凶暴なのもいるんだから!」

「まあ、龍に会いに行くんだから危険はつきものだよな」

「当たり前でしょ!」

「死んじゃうなら死んじゃうで仕方がない」

「かっるーい!? 命を懸ける覚悟はないんじゃなかったの!!?」


 いよいよ彩菜の様子が、酸欠で倒れるんじゃないかと心配になるレベルに達する。


「そりゃ、平凡な高校生がいきなり覚悟とか言われてもさ」


 出来ないだろ。


「だからって、龍の危険性がわからないわけではない」


 まあ、イメージでしかないが。

 朝の出来事すらも生ぬるいのだろう。


「命を失うかもって言われたら“そりゃね”ってなるよ」

「あ、貴方って人は……それ、覚悟と何が違うのよ」

「全然違うだろ。俺のは納得でしかない。いざ死にかけたら喚くかもしれないし、しないかもしれない」


 命の危険とか一度しか感じたことがない。

 その時だって他人事みたいな気分だったし。


「あーもう面倒くさい! 覚悟出来てるってことにしときなさいよ! その時が来たら事前の覚悟なんて無意味だろうしね!」


 疲れてしまったのか、身もふたもないことを叫ぶ。

 彩菜は乱暴にソファーへと腰を下ろす。


「隆治って見た目は平凡なのに変よね」

「たまに言われる」


 冬馬とかに。


「窓から飛び降りてきた時に気づくべきだったわ」

「あれは彩菜が逃げるかもしれなかったからで」


 見失わない保証があれば階段を使った。

 至極当然の行動だと思うのだが、彩菜の表情を見るに変だったらしい。


「何と言うか躊躇いがないのよ」

「思い切りが良いってことか」

「ポジティブに解釈するな。悪い意味でよ。速攻命落とすタイプね」


 やっぱりやめときなさいよと言われる。

 口調が軽いのは俺が意見を変えないとわかっているからだろうか。


「まあまあ、細かいことは気にするなって。それより話を聞かせてくれよ」

「自分の命を細かい呼ばわり……。はあ、ある意味適任でもあるから良いけど」


 彩菜は缶コーヒーを一気に飲み干し、話し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る