5
朝の通学。
心地のよい風が私の頬をかすめる。
そこにまじっていたのは高校生活二度目の春のにおいだった。
視界には、街を貫通するように雄大な川と、そのわきにはえている裸になった木々がうつっていた。
桜はもうちってしまったけれど、まだ春のようなあたたかさが私にまとわりついている。
ガサガサッ……。
うしろから気配をかんじ、ふりかえる。
「……誰もいない」
最近、なんだか、誰かからおわれているような感覚がするのだ。通学途中や下校途中、ふとした瞬間に、視線や気配をかんじていた。
ストーカー……? なんだか、いやだな。
むかしはマスコミにチヤホヤされていた身だからな。その名残か……。
まぁ、剣道をやめてからはマスコミからも相手にされなくなったけど。
「はぁ……家にかえったら、姉にいおう」
いっそう警戒感をつよめて、あるくことにした。
そのあいだも、あやしげな視線や気配がおさまることはなかったが。
◇
中心街のすぐちかくに、私がかよっている母子里(もしり)大学付属高校があった。
福祉を中心に医療や介護、はてには経済学など、はばひろい分野をまなべる有名大学の付属高校。卒業後は内部進学をするつもりだ。
「おぉ、まっていたよー!」
教室の扉をあけると同時に、元気な声がきこえてきた。
「はるっち〜今日も宿題うつさせて」
かけよってきた彼女はテヘッという顔をうかべ、手をあわせた。
私の友人のひとり、阿戸井(あとい)だ。
アザラシのようにまるい瞳が特徴的で、よくもわるくも純粋な心をもっている。
あだ名は『ゴマ』。
「こらゴマ。いっつもはるっちにたよらないの。 ……ごめん、私もうつしていい?」
もはや恥もなにもない彼女は、私のもうひとりの友人、木村(きむら)だ。
いつも熊柄のヘッドホンを首にかけていて、ヒマさえあれば音楽をきいている。たとえそれが、授業中でも……。
あだ名はヘッドホンから『クマ』。
ふたりとも友人……というよりは悪友というカテゴリーにはいるかもしれない。
「んもぅゴマもクマも……」
朝からふたりの顔を見るのも、うんざりする。
「あっそうだ!」
ゴマがなにかをおもいついたようで、自分の鞄から出したモノを私の机においていく。
「おいしそうなゼリーがあったから、爆買いしちゃった」
机のうえをうめつくしているのは、あきらかにゼリータイプの洗濯洗剤だった。
表面にある注意書きから、だんじて食用ではないことがわかる。
「あらぁ、こんなの私たちにたべさせて殺すつもり?」
クマがほほえみながら、洗剤をゴマの口におしつける。
容赦ねぇなおい!
「そんなにいうなら……クマちゃんは私よりいいものだせるんでしょう?」
「うん、もちのろん!」
ゴマにあおられるまま、クマが洗濯洗剤のうえにベチャッとなにかをのせる。
それはカビのはえた、赤黒いゼリー状の物質だった。ドロドロと私の机にながれていく。
「中学校の理科の授業でつくったスライムよ!」
おまえもたいがいだよッ!
「ねぇ、あのさぁ……」
もうガマンの限界になり、口をひらく。
「ふたりとも、宿題うつさせてっていったよね……?」
ゴマとクマは顔を見あわせたあと、私にむかってニッコリとほほえんだ。
「「おねがいしますッ!」」
ふたり同時に頭をさげた。はぁ、まったく調子がいいんだから。
「じゃあ、カフェのケーキおごってくれたらいいよ」
「け、ケーキぃ!」
ゴマが目をひからせる。
「やったー! 今日もカフェにいくんだぁ!」
「あそこのケーキおいしいからねぇ」
ふたりでもりあがりはじめた。
「おいおい、キミたちがおごるがわなんだぞ……」
「もちのろん! わかっているさ!」
クマは意気揚々とひとさし指をたて、ウインクをする。
「おこづかいいっぱいあるから、いっぱいおごるよ!」
ゴマもノリノリだ。
まったく、んもぅ……「しかたがないなぁ」
まぁ、いいか。最近、師匠の夢やへんな気配のせいで心がくらくなっていたからな。
たまには息抜きだ。エンジョイ、エンジョイ!
そうケーキにおもいをはせた時だった――
「わぁ!」教室中で黄色い声があがる。
みんな、目をうっとりさせて廊下をむいていた。
それにつられて、私たちもおなじ行動をとった。
「……ッ!」
ひらいた扉のさき、宙にまう黄金色がよこぎる。
脳の錯覚なのか、時空がゆがんだのか――その瞬間、スローモーションのようにゆっくりと時間がながれた。
腰のさきまでのびているスーパーロングのブロンド。幼女とみまちがうぐらいの低身長。豊満にみのったバスト。猫耳のヘアバンド。
そして、その童顔は人間ばなれしたうつくしさだった。
彼女はブリッツ・ホーホゴット。転校生だ。なんでも親の都合でここにきたらしい。
「キレイ……」
ゴマからつぶやきがきこえてくる。
「うん……」
クマもうっとりとした目で、ブリッツをみつめている。
私たちをふくめ教室中が彼女にみとれていた。
そうなるのもしかたがない。彼女は本当にキレイなのだから。
しかし、そのなかで私だけ、ちがう想いをこめて、その姿を瞳にやきつけていた。
師匠にたたかれた、あの日。
意識がなくなる寸前にあらわれたあの金髪の人影。それとブリッツの顔がなにからなにまったくおなじだったのだ。
その端正な眉から目、鼻、くちびる、あごまでも、すべてが記憶と一致する。
救急隊員たちは金髪の少女なんていないといっていた。私もただの幻覚か夢の類だとおもっていた。
しかし、ブリッツをみてからその認識をあらためざるをえなかった。
彼女は完全に、記憶のなかででてきた彼女なのだから。
「……!」
ブリッツの視線と、私の視線がぶつかってしまう。
心臓を素手でにぎられた気分だった。
炯々と蒼色にもえる瞳が、私の脳裏にやきつく。
彼女はスッとまえをむき、そのままいってしまった。
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