第30話 メイドが気になるボーロそして公爵夫人がやってきた

 程なくしてファロンは回復し、ボーロとの格闘術の訓練に熱中するようにった。


「神官様、本当に俺でいいんですか?」

 ほぼ本気モードのマリルと闘って、彼女の強さというものを骨の髄まで思い知らされたボーロは不安げに言った。

 だがマリルいわく、

「違う者との戦闘を経験するのはこの子の為になる」

 とのことで、思いのほかあっさりと決まった。


 一方俺とテシリアは通常通りダンジョン研修の付き添いを始めた。

「ノッシュ、紹介するわ」

 そう言ってテシリアが一人の女性を連れてきた。

(あ、この前の……)

 ボーロが声をかけた女性だ。

「イリーナよ、私のメイドをしてくれてるの」

「イリーナです、よろしくお願いします、ノッシュ様」

「あ、よ、よろしくお願いします」

 毎度のことだが若い女性と話をすると緊張してしまう。


 イリーナは長い黒髪に濃い茶色の瞳の寡黙な印象の女性だ。

 話し方も低めの落ちたついた声で、やや事務的な印象を受けた。

「イリーナは魔術が得意なのよね」

「奥様はそうおっしゃってくださいます」

「そうなの、娘の私よりもイリーナのほうが魔術の才能があるのよ」

「そんなことは……」


 そんなふうに話しながら俺達はダンジョンに入った。

 ニルは既にイリーナとは既知の仲で、すっかり彼女に馴染んでいるようだ。

 戦闘の合間や休憩ポイントで聞いたところでは、イリーナはテシリアや俺と同じ十八歳で、家柄的にはベントール家という男爵家の令嬢とのことだった。


 ベントール男爵領はアルヴァ公爵領に囲まれた小さな領地で、魔王国と国境を接する位置にある。

 そのせいで魔王国戦争の時には領地は魔物に蹂躙され、領民は領外の各地に避難せざるを得なかった。

 現在も男爵領は誰も住まない無人の地のままらしい。

 ベントール男爵夫妻とイリーナはアルヴァ公爵家に住まうこととなったが、元から病弱だった男爵は数年前に亡くなり、イリーナの母である男爵夫人は現在公爵家の離れに住んでいるとのことだ。


「男爵領のことはお父様とお母様も心を痛めているの」

 休憩ポイントの岩に座りながらテシリアが言った。

「私達はとても良くしていただいていて、幸せです」

 静かな声でイリーナが言った。


 イリーナの印象は、俺が母から聞いた話から想像していた人柄と大きくは違わなかった。

(今でもボーロを恨んでるのかな……)

 と、いう思いが俺の頭に浮かんだ。

 この前の様子だと、ボーロはイリーナに謝りたそうな素振りをしていたように見えた。


 ダンジョンを出るとボーロが待っていたように近づいてきた。

「よう、お疲れ」

「お疲れ様です」

 ボーロの後ろにはファロンがついてきている。

 ボーロはテシリアと一緒にいるイリーナに気がついたようで、俺を通り越して近づいていった。


「よ、よう……」

 ボーロが声をかけたが、

「……」

 イリーナは無言で後ずさった。

「この子に近寄らないでって言ったでしょ!」

 すかさずテシリアが間に入った。

「いや、ちょっと話すだけでも……」

「だめよ!」

 テシリアの説得は難しそうだ。


 ボーロは諦めたように小さくため息をついた。

 そんなボーロを冷ややかな目で見ながらテシリアが言った

「それはそうと、今日お母様が来るの」

「アリナ様が、ここにですか?」

 これには俺も結構驚いた。

(まあ、領内の施設なんだから視察に来て当然か)

「ええ、詳しいことは聞いてないんだけど、王宮で用事を済ませた後で立寄るって言ってたわ」

 そう言ってテシリアが確認するようにイリーナを見ると、彼女も小さく頷いた。


「公爵夫人が……」

 そういう声に俺が振り返ると、ボーロが青い顔をしている。

(かなり怖がってるな、アリナ様を)

 だったらなんでテシリアにちょっかいを出したりしたんだという気もするのだが。

(あの決闘の後で親父さんに散々さんざん説教されたからなのかもな、ぶん殴られたって言ってたし)


 夕方近くなって、アルヴァ公爵夫人アリナがダンジョンに到着し、テシリアとイリーナが出迎えた。

「今日は何事もなかったようね」

 広場を見回してアリナが言った。

 やはりこの前のならず者事件は大きな懸念事項のようだ。

「はい、お母様」

 そう言いながら歩み寄ってきたテシリアに微笑みかけながらアリナは、

「ボーロ=グッシーノは来ているかしら?」

 と聞いた。


「さっきまではこの辺にいたんですけど」

 テシリアが周囲を見回しながら言った。

「俺が探してきます」

 そう言って俺は施設の方に向かった。

 まだ夕方だったが食堂で一杯やってるのではと思って見てみたが、食堂にボーロはいなかった。


 もしやと思って厩を見たが、ボーロの乗馬は繋がれたままだった。

(てことは、部屋か?)

 先日の事件以降ボーロは実家に帰ることもあったが、施設にも寝泊まりしていた。

 俺は、最近彼がよく使っている部屋に行きノックした。

 返事はなかったが数秒してからドアが開いて、ボーロが顔を出した。


「ノッシュか」

 そう言うボーロの顔はどこか不安げな様子だ。

「はい」

「何かあったのか?」

「アルヴァ公爵夫人がお見えです」

「そうか、で、すぐに帰りそうか?」

「いえ、ボーロさんに用事があるみたいです」

「え?俺に!?」

「はい」

「まじか……」

 ボーロはがっくりと肩を落とした。

(もしかして隠れてやり過ごそうとしてたのか?)


「俺は帰ったって言っておいてくれないか?なんなら行方不明でもいいが……」

「そんなことできないですよ」

 俺はため息をつきながら言った。

「そうか……そうだよな……もし逃げたら実家を吹き飛ばされちまうかもしれねえしな……そんなことになったら俺は親父に殺されちまう」

 と早口でブツブツ言うボーロを促して、アリナ達が待つ広場へとボーロを連れて行った。


(それにしてもアリナ様がボーロに用事ってなんだろう?)


「来たわね」

 戻ってきた俺とボーロにアリナが言った。

「「はい」」

 答える俺たちにアリナは歩み寄り、ボーロを真正面から見据えた。

「ボーロ=グッシーノ」

「はい」

 アリナの呼びかけに、直立不動の姿勢で答えるボーロ。


「あなたには言いたいことが山ほどあるの、分かってるわよね?」

「はい」

「とてもこの場では言い尽くせないほどよ」

「はい」

「でも、とりあえずそのことは置いておくことにするわ、不本意ではあるけれど」

「はい……」

 雲行きが思っていたのとは微妙に違ってきたようで、ボーロの反応も畏怖から困惑に変わったようだ。


「今日、モリスに会って話をしてきたの」

「親父とですか……?」

 モリス=グッシーノ、グッシーノ公爵家の当主でボーロの父親だ。

「細かい説明はあとにするけれど、あなたにこのダンジョン施設の警備をやってもらいたいのよ」

「ダンジョン施設の警備を?」

「そうよ」

「あ、あの、俺に……ですか?」

 完全に想定外のことで、ボーロは呆気にとられているようだ。

「ええ、マルクとも相談した結果だし、モリスの了解も得ているわ」


 そう言いながらアリナは懐から書状を取り出して読み上げた。

「『我が愚息ぐそくボーロ=グッシーノがアルヴァ公爵家のお役に立つのであればこれにまさる喜びはありません。どうぞ存分にこき使ってやってください。できれば死なない程度に。モリス=グッシーノ』」


(うわっ、エグい内容だな)


 アリナはボーロに手紙を手渡した。

 彼は信じられないという表情で手紙を読んでいる。

 そんなボーロを見ながら、

「モリスの書状よ。非公式なものだけれど、内容は宰相を通して国王陛下にも伝えてあるわ」

 淡々とした口調でアリナが言った。


「あの……その……」

 未だ衝撃から立ち直れないボーロは目を丸くして口をパクパクさせている。

「これからあなたには存分に働いてもらいますからね、覚悟をしておきなさい」

 アリナがピシリと言うと、

「はい!」

 と、ボーロは気をつけの姿勢で答えた。


「それじゃ、そろそろ夕食の時間かしらね」

 打って変わって優しい表情で言うアリナに、

「ええ、お母様」

「はい、奥様」

 テシリアとイリーナが答えて、三人は揃って食堂へと歩いていった。


「ボーロ様がいてくだされば何も心配ないですね!」

 ファロンが嬉しそうに言った。

 一方ボーロは、この状況を喜んでいいのかどうか判断しかねるといった表情だ。

そんなボーロに、

「俺達も行きますか?」

 と、俺は声をかけてファロンと共に食堂へと向かった。

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