本物
淡々と話すスノーは泣いていなかったが、代わりに酷く震えていて、ギュッと雪太に縋りついたままだった。
あまりに残酷で苦しいスノーの過去。
元々、雪太はスノーが三人も人間を惨殺していると知っていたのだ。
起こした行動が行動だけに、決して軽くも楽しくも無い話を聞くのだと理解していたはずだった。
だが、無惨で非道なだけでなく痛ましいスノーの過去に、感情的な面での理解や現実味を感じ取ることはやはり難しかった。
正直、映画や小説の概要をオチ付きで教えられたような気分だ。
目の前のかわいいロボットの綺麗な手が血にまみれ、人間の頭を砕く瞬間があったのだろうか。
守り抜いた宝に拒絶され、捨てられた苦しみはいかほどだったのだろうか。
自分を好きでいてくれ。
優しいままのスノーが大好きな主でいてくれ。
彼女が悲痛に叫んだ理由を、過去を話したがらなかった理由をようやく理解できた。
半ば茫然としたままでいると、スノーが口を開く。
「私には感情があります。人間と同じ感情を持ち、独自の思考回路を持っています。ですが、倫理はありません。ひとかけらも、無いんです。今でも大切な人を守るために人を殺してはいけない理由が分かりません。ですが、事件後に社員さんや警察の人に『人と一緒にいたいならしてはいけない事なんだ』と教えられましたし、実際、家族が家族じゃなくなっちゃいました。だから、もう絶対にしません」
スノーはギュッと雪太のパーカーを掴んでから、そっと手を離した。
「雪太、私は、雪太に嫌われたくありません。もう、大好きな人に嫌われるのは嫌です。雪太には、私の夫にだけは……」
夫。
せめて段階を踏んで恋人くらいではないのだろうか。
だが、必死に言葉を紡ぐスノーは本気であるし、雪太も特に反論する気は無いようだ。
というか、二人ともその感覚になっているため、特別に違和感は覚えていないようだった。
俯くスノーを雪太が抱き締めなおす。
ポンポンと頭や背中を撫でるようにして叩く。
その仕草はまるで、幼子をあやすかのようだ。
「俺はまだ考えがまとまり切っていないから上手くしゃべれないけど、でも、それでも、俺はスノーのことを好きだよ。裏切らない、受け入れるって約束、ちゃんと守るから」
「本当ですか? 本当に私のことが怖くないですか? 私のことを見ても発狂したり、いなかったことにしたりしないですか?」
雪太が真剣な表情でコクリと頷くとスノーはしばし彼に抱きしめられたまま黙考した。
「本当に信じられるなら、雪太は目をつぶっていてください」
言われるがままに目を瞑るとスノーが雪太から距離をとる。
それからシュルリと目隠しがされて、引き出しがカラカラと開かれる音が聞こえる。
「雪太、その椅子じゃ危ないのでこっちに来てください。服、脱がせますよ」
スノーの指示に従って木の椅子に座り、大人しくパーカーを奪われた。
上裸のまま待っていると、
「雪太、絶対に動かないでください。絶対ですよ」
と、念押しされる。
雪太がピシッと背筋を伸ばして決して動かぬように固まっていると、数分もしない内に首元や耳の方から、ジョキ、ジョキと何かを切る音が聞こえてきた。
『スノー、俺の散髪をしてる?』
パサリパサリと落ちる髪の束に軽くなる頭。
髪が引っ掛かって痒くなる肩。
初めは頭に疑問符ばかりが浮かんでいた雪太だが、すぐにスノーが自分の髪の毛を切っているのだと知ることができた。
『そろそろ切りに行かなきゃなって思ってたけど、スノーが切ってくれるならいいな。俺のひきこもり生活が充実する』
呑気な雪太は非常にホクホクとしている。
前髪の散髪まで終わり、雪太が席で大人しく座り続けているとスノーが一度ハサミを引き出しにしまってから彼の元へと帰って来て、
「雪太! 大好きです! 雪太!!」
と、大歓喜で抱き着いた。
「ん? うん? うん、え? うん。目隠しをとってもいい?」
「いいですよ。スノーちゃんがとってあげますね!」
シュルリと目隠しを外せば、雪太の胸に頬ずりして引っ付いているスノーが見える。
スベスベの頬が少し気持ち良くて、リラックスした彼女の姿が愛らしい。
「どうしたの、スノー? とうとう故障しちゃったの? 大丈夫、俺が腕のいい技師さんの所に連れて行くよ」
どうやらスノーが言うには、彼女は酷いバグ持ちであるものの強いプログラムで上書きすることでしかバグを直せないらしい。
また、製品としたり処刑をしたりするためにバグを直され感情を奪われたスノーだが、彼女のバグは他の機能に干渉しないタイプの物なので、わざわざ直さずとも雪太が危惧していたような故障などは起こらないそうだ。
スノーの感情はできるだけ存在させたままでいたい雪太だ。
彼女から話を聞いて安心していたのだが突然の奇行に心配を募らせ、割と真剣に修理屋の元へ持って行くか考えだした。
しかし、スノーは慌てる雪太にクスクスと笑って首を振る。
「いえ。だって、怖いとか嫌悪とか、そういう感情は理屈じゃないのです。いくら怖くないよ、好きだよということができても、もし本当に雪太がスノーちゃんに恐怖を感じていたら、自分の一部を、髪を切るスノーちゃんを受け入れられません。怖い! 止めて! ってどこかしらに出るんです。ですが、雪太から感じ取れる感情は困惑ばっかりでした。雪太、大好きです! 雪太、大好きです!!」
分かるようで分からない理屈だが、それでもスノーにとっては通さなければならない理屈だった。
グリグリと額を押し付ける姿は少しだけ獣のようだ。
お尻の上で揺れる透明な尻尾やスノーのあまりのはしゃぎように雪太も思わず笑みを溢した。
「スノーは不思議な事を考えるね。でも、俺は本当に怖いと思ってないよ」
「分かってます。えへへ」
屈託のない笑みを浮かべ、モゾモゾと雪太の上に這い上がって横抱きされようと膝の上に上がる。
スノーは幸せそうだ。
「そう言えばスノー、一人称が『スノーちゃん』に戻ってるね」
不意に気が付いた事を指摘すると、スノーは雪太に横抱きにされたまま頬をほんのりと染め、照れ笑いを浮かべた。
どうやらスノーは前の家に居た時もスノーと呼ばれていたらしい。
完全に偶然なのだが、雪太にもスノーと名付けられた時には嬉しくて堪らなかったのだとか。
「スノーちゃんはスノーっていう名前が大好きです。だから、雪太にもいっぱい呼ばれたいですし、自分でもいっぱい呼んであげるんですよ。ふふふ」
「そっか。俺、スノーって名付けて良かったよ。これからもたくさん呼ぶからよろしくね」
嬉しそうなスノーと微笑み合いつつ、雪太はふと疑問を覚えた。
「ねえ、スノー。そう言えばスノーは一回強いプログラムをかけられたんだよね。いつの間に外れてたの? 俺に出会った時?」
問いかけつつも違和感がある。
スノーの様子が変わったのは、確か……
雪太がスノーとの出会いを思い返していると、問いかけに緩く首を振っていた彼女が先に口を開いた。
「スノーちゃんのプログラムが解けたのは雪太にお風呂を借りた時ですよ。放浪したての頃、石を投げつけられたせいで後頭部にひびが入っていたみたいで、そこにお湯が入って頭脳部分がショートしちゃったんです。それでプログラムが外れました」
「ああ! 確かに!」
そういえば、スノーが豹変したのはお風呂から出た後だった。
ショート前のスノーには感情は無いが記憶はある。
そのためショートで奪われていた感情を一気に取り戻し、雪太への愛情などをいっぺんに手に入れると、彼との少ない記憶を元に積極的に猛アタックしたのだ。
「雪太がスノーちゃんを拾ってくれたことや、傘に入れてくれたこと、色んなことが凄く嬉しくて、雪太のこと大好きだなぁって思ったんです。スノーちゃんはその時に雪太への恋心を手に入れたのですよ」
綺麗な体でふわふわと笑むスノーは夢心地だ。
『そう言えばスノー、よく調べてみたら傷だらけだったんだよな』
細かいメンテナンスや修理のためスノーを拾ってから日数を置かずに修理業者へ持って行ったのだが、その時に技師から彼女はスクラップで体を直しながら放浪し、美しい風の姿を保っていただけで、内部などはボロボロだったのだと教えてもらった。
その時は想像すらできない彼女の過去に絶句したものだった。
過去に剥げていた指先の塗装も直してもらったし、見えにくかった外傷やボロボロだった内傷も直してもらった。
『スノーに痛覚はない。傷だって跡形もなく消し去った。だけど……』
だが、それでも数々の怪我が誹謗中傷したいだけの市民によるリンチで出来ていたのだと思うと痛ましくなって、スノーの手や頭を撫でた。
「雪太、嬉しいです。もっと撫でてください。もっと、抱っこして、一緒にいてくださいね」
撫でやすいように頭の位置を雪太にグッと寄せて目を細める。
「ねえ、雪太。雪太はスノーちゃんと一緒なんですよ。ずっと一緒なんです。好きって言ってくれたから、愛してるって言ってくれたから、スノーちゃんが怖い化け物のロボットでも、ずっと一緒なんですよ。本当に」
うわごとのように繰り返すのは、言葉を発することで自覚と現実味を得たいからだろうか。
「そうだよ。スノーは俺の宝物で最愛だから、ずっと一緒なんだよ」
安心させてやるためなら羞恥を捨てて愛を囁ける。
スノーの口から安心のため息が零れ落ち、同時につむっていた瞳からボロボロと涙が溢れだした。
肌を伝う雫はごく自然で、嘘泣きよりも不格好に落ちてゆく。
それが妙に愛おしかった。
「スノー、かわいい」
ペロリと雪太が舌で涙を拭う。
「キャッ! 雪太! え、あれ……?」
フニフニと指先で自分の頬に触れる。
肌がしっとりと濡れていることでスノーは雪太が自分の頬を味見したわけではなく、涙を舐めたのだと気が付いた。
スノーはこの時、初めて自分が涙を流していたことに気が付いたのだ。
雪太からの甘々なアプローチにはしゃぐ前にスノーは大慌てで体を起こすと、ゴシゴシと指で涙を拭い始める。
「雪太、違うんです。スノーちゃんはこんな時に嘘を吐いたりしません! なんで! スノーちゃんは絶対に泣かないのに! 安心したのに、悲しくないのに! スノーちゃんは嘘つきません! 雪太!!」
初めて心から泣いたからだろうか。
意思に反して溢れる涙にスノーがパニックを起こす。
だが、止めようとすればするほど涙が零れて仕方がない。
手のひらを使っても、ハンカチを押し当てても、どうしても泣くことが止められない。
焦ったスノーの手つきがどんどん荒くなる。
乱暴な両手を雪太が優しく包み込んで下ろさせた。
柔らかな目元がこすれて真っ赤になっている。
スノーの困惑した揺れる瞳が雪太の優しい呆れ笑いを覗き込んだ。
「スノー、あのね、人間も嬉しい時に泣くんだよ。それでね、どんな涙でも感情が溢れた時の涙は自分じゃ止められないものなんだよ。スノーはロボットで人間だから。だから、泣いちゃったんだよ」
滲んだ瞳では歪んでぼやけた雪太の顔しか見られない。
だが、雪太が愛情深い眼差しをしているのだと感じると、スノーはとうとう言葉も出せぬほど号泣して嗚咽を漏らした。
ゲホゲホとむせて鼻水まで出そうになる。
慌ててティッシュを取ろうと手を伸ばしてジタバタする姿は少し滑稽で可愛らしい。
両掌で大量の涙を掬いあげ、顔中を皺だらけにして泣く姿は映画のワンシーンどころかお遊戯会でもお出しできないほど汚い。
しかし、それこそがこの世で一番美しい涙だと感じたのはスノーが雪太の愛しい人で、彼女の涙が本物だからなのだろう。
だから雪太の心まで揺さぶられて温かい気持ちになり、庇護欲と愛情を増加させたのだろう。
『もうちょっと格好つけたかったけどな』
パーカーではなく半裸の胸でスノーの涙を受け止め、ポンポンと背中を叩く雪太は穏やかな困り笑いを浮かべて彼女が泣き止むまでずっと慰めていた。
夕日が昇るまで、ずっと。
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