スノーは泣かないんだよ
「スノー、スノーは昔、人を殺したことがあるでしょ」
幾ばくも震えていない酷く真剣な声はいっそ無機質だ。
雪太が問いかけた瞬間、一気に場の空気が凍り付いた。
「え?」
間抜けな声を溢し、目を大きく見開いたままで固まる。
しかし、雪太は追い込むようにしてもう一度、
「スノーは昔、人を殺したんだよね? だから、捨てられちゃったんだよね?」
と、問いかけた。
「スノー、『はい』か『いいえ』で答えて」
冷たく追い詰めれば頭上でスノーが息をのむ音が聞こえた。
しかし、「はい」とも「いいえ」とも言葉が返ってこない。
カチリと固まって動かなくなったスノーは人の形をした鉄の塊になってしまったかのようだった。
「スノー?」
無機質なまま声をかける。
そこにあるのは同情ではなく言葉の促しだった。
不意に、ポツリと雨が降るようにつむじへ温かな雫が落ちてくる。
振り向いて見上げれば、スノーは真っ黒な瞳を滲ませてハラハラと涙を溢していた。
朝露のような水滴がスノーの真っ白な肌を伝い、顎へ落ち、最期には零れて雪太の目元に落ちてきた。
まるで、雪太まで泣いているかのようだ。
「酷いです、雪太。スノーちゃんが人殺しなんて……うぅ、傷つきました。いくらスノーちゃんが雪太が大好きロボットだからって、言って良いことと悪いことがあるのですよ」
恨み言を吐く唇が嗚咽を漏らしながら震えている。
涙を拭う小さな指先が濡れていく。
微かに上下する肩と一緒に艶やかな髪も揺れる。
ほんのり桃色に染まった頬と目元は庇護欲をそそる愛らしい雰囲気で、全体的に悲劇的な空気が満ちている。
映画のワンシーンのように美しい人形の泣き姿がそこにあった。
スノーは美しく可愛らしいまま、優しい雪太が慌てて抱き締めてくれるのを待っている。
『スノー、綺麗だ』
ただ、そう思う。
雪太は回転椅子の座面をクルリと回してスノーの方へ向き直った。
二人の間には人間がもう一人だけ入れるくらいの距離がある。
「スノー、嘘を吐くの?」
感情の色に染まっていない冷淡な声がスノーの心臓をゾクリと貫く。
「ゆ、雪太?」
いつになく辛辣な雪太に触れようと手を伸ばす。
それを雪太は優しく包んで下ろさせた。
静かで厳しい拒絶だ。
戸惑い、怯え、ふらふらと揺れたスノーの瞳が、
「どうして、こんなことを?」
と、切なく語っている。
「スノー、前に自分で言ったことを忘れたの? スノーは何があっても泣かないんだって」
以前、一緒に映画を鑑賞した際に、雪太がボロボロと涙を流している感動のシーンでスノーは一切、涙を流していなかった。
その時に雪太は、
「スノーはロボットだから感動のシーンで涙を流したりしないんだろうな」
と思っていたが、実際は少し違っていたようだ。
スノーはロボットなので自分の表情や生理現象風の動きを簡単にコントロールすることができる。
そのため、普段は自分の感情を雪太に伝えるために表情や仕草を大袈裟にして愛を伝えているし、そもそもカジロは主人と感情を共有できるように設計されているので一緒に映画を鑑賞した際には、むしろ泣くように造られているのだという。
しかし、それでもスノーは泣かない。
「スノーちゃんは本当の心を持っていますから。だから、泣かないんです。雪太に自分の感情を信じてもらうために、絶対に泣かないんですよ」
彼女は屈託のない笑顔を浮かべていた。
実際、珍しく家事に失敗して落ち込みながら報告をして来た時にも泣かなかったし、お世話ロボットのカタログ云々についても「悲しいんですよ!」と主張するだけで、涙は流さなかった。
雪太が健康診断をサボった時ですら、あんなに怯えていたのに震えるだけに留めたのだ。
本来、涙というものは手っ取り早い他者への感情共有だ。
だが、それをあえて封じるスノーには相当の覚悟が見られた。
そうである以上、スノーの行動は完全な泣き脅しであり嘘泣きでしかありえない。
彼女は言葉ではなく表情と態度で嘘を吐いたのだ。
自ら課したルールを破り、雪太との約束まで無視をしてスノーは嘘を吐いたのだ。
「スノー、もう一度だけ聞くよ。ちゃんと話して。スノーが悪い事してても、受け入れるから。ねえ、スノー」
ずっと無機質を装っていた雪太に限界が訪れ、声が震え出す。
懇願になる。
嘘泣きだと分かっていても心が抉られた。
涙の引いた酷くうつろな瞳に自身を映されると心臓がギュッと握り締められたような気分になったのだ。
再び抱き着こうと生気のない両腕を中途半端に上げ、雪太の方へと向けていく姿は同情に値すべき哀れなゾンビだ。
雪太自身も泣きそうになりながら彼女を遠ざけようと肩に触れる。
そして、指にぐっと力を込め彼女の肩を圧迫した瞬間、スノーが、
「やめてください!」
と、叫んだ。
「やめてください、雪太。私のことを拒絶しないでください。私は、スノーちゃんはいい子ですから、ちゃんと答えますから、だから、話し終わるまでは私の優しいご主人様でいてください。話し終わっても、あっち行けって、言わないで。ずっと好きでいてください、雪太」
呆然とする雪太にガシッとしがみつく。
スノーの身体は酷く震えていて、雪太はきっとこれが今の彼女にできる最大の感情表現なのだと思った。
「スノー、ごめん」
胸元でスノーはフルリと首を振る。
代わりに抱き着く腕の力を強めたのは、そういうことなのだろう。
「分かったよ」
雪太が頷いて抱き返すと、スノーは一度だけ深呼吸をして息を整え、それからポツリポツリと言葉を出していった。
その話は雪太が想像するよりもずっと凄惨で、重々しいものだった。
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