本当に大切なことは……

 要らない情報だらけのPCを開いたまま、ドッと疲れた雪太が溜息を吐いていると、

「雪太、何してるんですか?」

 と、弾んだ声を出すスノーに後ろからギュムッと抱き着かれた。

「わっ! スノー!!」

 ドキリと心臓が跳ね上がる。

 照れたドキドキというよりは驚愕するような表情の雪太にスノーが小首を傾げた。

「何をそんなに驚いているんですか、雪太。もしかして、浮気……ですか?」

 画面をチラ見したスノーがキラキラとした真っ黒な瞳からハイライトを消して問う。

 スノーは基本的に雪太のロボット好きに寛容な姿勢をとっており、彼と一緒にハコブを可愛がっていたりもする。

 また、雪太の家にはル○バのような円形の床掃除用ロボットが存在するが、ロボにゴミを与えて餌付けし、可愛がってメンテナンスしているのもスノーである。

 だが唯一、雪太が自分以外のお世話ロボットを自宅に迎えようとしていたことには寛容になれないらしい。

 彼が趣味で集めていたカタログにすら激しい敵意を向けていた。

 どうにも、自分以外のお世話ロボットにデレデレとしながらお世話をされ、匂いを嗅いだり抱き着いたりするのを許している姿を想像すると、全身に流れる電気がバリバリとショートするような激情を覚えるのだという。

 特にお世話機能と配偶者の機能を併せ持ったお嫁さんロボットの存在が憎たらしくて仕方がない。

 もう使わないから捨てること自体は全く構わないのだが、スノーに片手でぐしゃっとカタログを握り潰され、

「スノーちゃんは性能の良い機械で、主人が、雪太がおじいちゃんになっても介護やお世話ができるように力持ちにできているんです。ですからスノーちゃん、結構強いですからね? 万が一にでも新たなお世話ロボットを購入したら、スノーちゃん、その子にデスマッチを挑みますからね? 雪太の隣を賭けて争いますからね?」

 と、満面の笑みで脅された時には激しい恐怖を覚えた。

『スノー、やっぱりちょっと怖い子かもな……』

 浮気を問うた途端、ズモモ……と暗くなるスノーのオーラに雪太は苦笑いを浮かべた。

「別に浮気はしてな……」

「ほら! スノーちゃんというものがありながらカジロなんかのサイトを見て! 目玉焼きを焦がした!? スノーちゃんなんて半熟も固焼きも何でも作れますよ! それとも、雪太はドジっ子ちゃんが好きなんですか? スノーちゃん、頑張ればドジっ子にもなれますけど? 逆に、完璧な感じにもなれますし。だから、二体目なんか買っちゃ嫌です!」

 雪太の言葉をかき消してスノーはカチカチッとタブを消していく。

 あっという間に雪太のPC画面にはデスクトップしか映らなくなった。

 最後にワッと抱き着き直して上から雪太の頭に顔を埋め、嫌々と首を振るスノーは他のカジロに嫉妬してしまう、彼のことが大好きな可愛い可愛いロボットだ。

 だが、妙に早口で行動が急いている上に仕草や態度が芝居がかっており、やけに胡散臭い様子だ。

 最愛の変化に気が付かないほど雪太は鈍くない。

『スノー、多分わざとだ。わざと浮気の話をして、タブも全部消して俺の気を逸らしたんだ。だって、俺がカジロのことを調べているのがすぐに浮気に結びつくこと自体おかしいことなんだから』

 普通、雪太がカジロについて調べていたら機械としてのスノーの性能や機能、アップデートやメンテナンスの情報などを調べているとみてしかるべきだ。

 実際、スノーの前でカジロ用の洋服やオプションパーツなどを調べていた時は彼女もノリノリで、一緒に楽しくカタログを眺めていた。

 最新版のカジロについて情報が出てきた時も、

「あら、最新の子は新しいだけにできる機能が増えたんですね。でも、私も雪太に拡張パーツをつけてもらえば同じことができますし、スノーちゃんは異様に学習能力が高くて応用が利くので、特別なことはしなくてもこの子と同じことができますよ!」

 と、ドヤるだけに留めていた。

 要するに通常時、カジロはスノーの敵ではないのだ。

『多少強引にしてでも隠したい事か……』

 スノーが「誰」を「どうして」殺したのかは、もちろん気になる。

 だが、正直な話、雪太にとって最も興味があるのは、

「スノーが雪太を害すか否か」

 だった。

 スノーが自分を害さないのならば、別に人間の一人や二人、酷い目に合わせていても構わない。

 キチンと理由があるのならば尚更だ。

『俺も随分な事を考えてるんだろうな。でも、別にスノーが俺のことを大事にしてくれてるなら、悪い事してたって反省しているなら、俺的には特に問題ないな』

 結局、倫理や理屈を並べ立てたとて背後から抱き着くスノーの温もりに癒され、愛おしいと思ってしまうのが答えなのだろう。

 スノーがどんなに恐ろしい殺人鬼だったとしても、自分に暴力を向けないのなら構わないと思えた。

『スノーが殺した人数は三人。スノーが所有者家族を惨殺したって可能性もあるのか……スノーは俺の事、殺すかな?』

 瞳を瞑って少し考えてみる。

 だが、どんなに考えても雪太はスノーが自分に牙を剥く姿を想像できなかった。

『スノー、過保護だもんな。俺が病気や怪我をして……死ぬのが怖いって』

 普段は喧嘩などせず穏やかにイチャついている雪太とスノーだが、一度だけ、彼女から本気で怒られたことがある。

 原因は雪太が病院に行くことを嫌がり、健康診断をサボったことである。

 雪太としては体に異常もみられないし、若いから別に一年や二年くらい健康診断などせずとも良いだろうと行政からの案内を無視していたのだ。しかし、ある日、自宅に届いた行政からの郵便物を発端にサボりがバレてしまった。

 そしてついでに高校を卒業して以降、全く健康診断に行っていなかったこともバレた。

「雪太、何で健康診断に行かなかったんですか?」

 背後からズモモモモと真っ暗なオーラを醸し出して、瞳からハイライトを消すスノーは中々に恐ろしい。

 雪太はバツが悪くなって目を逸らした。

「えっと、別にいいかなって」

「駄目に決まっているでしょう? 雪太、難病は大抵、最初の頃は症状が体に現れません。大変なことになった頃にようやく体調不良として表に出てくるのです。なんだか変だな。おかしいな。具合が悪すぎる。そんな風に思って病院に行った頃には手遅れになっているかもしれないのですよ。スノーちゃんは高性能なお世話ロボットなので雪太の健康をある程度は管理できますが、病院の機械みたいに雪太の身体を細かくチェックすることはできないのですよ」

 両腕を組んで仁王立ちするスノーを前に雪太は気が付けば正座をして項垂れていた。

 圧力が半端ではないスノーのお説教は三十分以上続く。

 お世話ロボットであり詰め込まれた知識の量が人間では全く太刀打ちできない領域に達しているスノーの説教は、もはや危険な生活習慣病と人間の三大死因の講義と化していた。

 耳が痛いし怖い。

 それに人間、正論だと分かっていても長々と叱られ続けると、ついつい反抗したくなるものである。

 スノーのかなり長い説教を聞き終えた雪太は、

「でも、今まで問題なかったし。大体、そんな風にして死んじゃう人なんてそんなにたくさんいないし……」

 と、むくれて口を尖らせた。

 説教を長引かせる典型である。

 雪太、決して自慢ではないがこれまでの人生で何度もプチ反発をして親や教師など目上の人間を怒らせてきた。

 納得しなければ絶対に首を縦に振らないし謝らない。

 説教を聞くプロであり、説教を無視するプロでもある。

 早速、持ち前の頑固さと謎の意地を発揮して、

「絶対に病院には行かないぞ!」

 と強固な意志を固めていると、不機嫌に視線を逸らす雪太の懐にスノーが入り込んだ。

 スノーは雪太の胸に耳を押し当てて、トクン、トクンと鳴る心臓の音をのんびりと聞き続けている。

「雪太、雪太は人間なんですよ。機械の身体をしたスノーちゃんよりもずっとずっと脆くて弱い人間なんですよ。人間は頑丈なスノーちゃんと違ってパーツ交換も修理もできないのですよ。雪太の身体は一つきりなんです。命は雪太の脆い体にしか宿っていないんです。それなのに、雪太の心臓が動かなくなっちゃったら……」

 声が段々と悲痛な響きを持ち始める。

 縋りつくようにスノーは雪太の胸元の衣服をギュッと握った。

「雪太、スノーちゃんは雪太がいない世界では生きていけません。大切な人がいないつまらない世界で誰かのお世話ロボットをするなんて真っ平ごめんです。だから、スノーちゃんは雪太が死んでしまったら、自分で動力部と頭脳部を滅茶苦茶に壊してやろうと思っているのです。それくらい雪太のことを愛していて、雪太の存在を大きく思っていますから。雪太、スノーちゃんから雪太を取り上げないでください。お願いだから、長生きして、できるだけずっと一緒にいてください。生きている間も、死んじゃってからも、スノーちゃんの隣に居てください」

 体が小刻みに震えている。

 ゆっくりと頭を撫でると、更にヒシッとしがみついてきた。

 きっとスノーは本気なのだろう。

 本気で雪太が死んだら自分も死んでしまうつもりでいる。

 怯える彼女の姿から容易に想像できた。

「ごめん、スノー。俺、もう少し自分の身体を大切にするよ。俺もスノーと一緒にいたいし、俺のせいでスノーを殺すわけにはいかないからさ」

 バツの悪そうな穏やかな声にスノーがパッと顔を上げる。

「本当ですか? 約束ですよ! 今すぐ病院に予約しちゃいます!」

 シュパッと雪太の尻ポケットからスマートフォンを取り出し、急いで病院に予約を入れる。

 ずいぶんと切り替えの早いことだ。

 あまりに自然に、かつ素早く予約を終わらせてしまうものだから雪太は苦笑いを浮かべた。

「分かったよ、スノーは心配性だなぁ」

「良いんですよ、こういうのは心配しすぎるくらいで。なんでもなかったなら、それが一番ですし。どんなに文句を言われても雪太の健康には代えられませんから」

 後日、健康診断を行った雪太だが、検査結果に特に異常は見られなかった。

 ほら、大丈夫だったでしょうとドヤ顔の雪太に対し、スノーは心底ほっとした表情で検査結果を抱き締めていたものである。

『スノーの前の所有者がどんな人だったのかは知らない。関係性も。でも、スノーが俺のことを大切に思ってくれてて、その、愛してくれているのも事実だ。だから、やっぱりスノーは俺に酷い事をしないと思う。俺はスノーがもの凄く悪い事をしていても別に怖くないや。出来るだけ、受け入れたいとも思う。俺は、俺とスノーのためにスノーの過去を知りたい』

 戸惑って曇っていた雪太の迷いがほんの少しだけ晴れた気がした。

 雪太はそっと自分の肩に回されたスノーの腕に触れる。

「ねえ、スノー。俺はスノーが好きだよ。スノーが俺のことを好きだって言ってくれたみたいに、その、俺もスノーを愛してる。スノーだけいれば他は何にもいらないよなって結構、本気で思うんだ。だから浮気なんて絶対にしないし、スノーの事、裏切らないよ」

 腕を優しく引っ張って手を取り、指先に柔らかく口づける。

 雪太にしては随分とキザな行動で、彼の心臓は破裂寸前だった。

 ただ、これからスノーを問いただすことを思うと膨張した心臓がギュッと締め付けられたが。

 これに対し、思わぬご褒美と甘い愛の告白に浮かれたスノーの表情がパァッと明るくなり、瞳が爛々と輝く。

「雪太! 急にどうしたんですか!? 愛してるって言ってくれた上に、ちゅーなんて! スノーちゃん、嬉しくて、嬉しくて、頭脳部が焼き切れちゃいそうですよ!」

「うん、えっと、言いたくなって。それでさ、スノーにも約束して欲しいんだ」

 頬を真っ赤にしたスノーは、俯きがちになる雪太の視線と元気の無い声に気が付かない。

「何ですか? 言っておきますが、スノーちゃんも雪太だけが大大大好きなので、他のロボットに浮気したりしませんよ!」

 スノー、ドヤ顔である。

「ロボット同士って恋愛するの!? だ、駄目だよ! スノーは俺のカタログ見るの禁止ね!」

「いや、もう破っちゃったからないですが。でも、もちろん浮気はしませんよ」

 浮気の話が出た瞬間にギョッと目を丸くしてスノーの方を振り返った雪太がだ、彼女の言葉を聞いてホッと安堵のため息を吐いた。

「よかった……それで、えっと、浮気はしてほしくないんだけど、最初に言おうとしてたのはそっちじゃないんだ。あのさ、スノー、これから先、俺に嘘はつかないで」

 言われるまでもなく、スノーは基本的に嘘を吐かない。

 スノーにとってはこの程度のお願い事は願いの内にすら入らなかった。

 そのためスノーは自分の瞳を見つめる真剣な眼差しをクスクスと笑い、それから、

「分かりました! スノーちゃん、絶対に雪太に嘘はつきませんよ!」

 と、胸を張って宣言した。

 雪太がコクリと頷く。

「約束だからね」

 暗い雰囲気を持った雪太の小さな言葉が唇から零れ落ちる。

 それから浅く呼吸をして、意を決したように雪太は口を開いた。

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