状態異常:溺愛!

 さらに時が経つと、嗅ぎ慣れた家の匂いと人間を駄目にする形状のソファに癒しを感じ、ウトウトと居眠りを始めた。

 姉からの返信でスマートフォンの通知音が鳴るが、どうにも眠たくて目を開ける気にならない。

 スマートフォンに手を伸ばせないまま夢と現実の間を行き来していると、不意にガチャリとドアの開く音が聞こえた。

「ただいま戻りました、雪太のかわいいスノーちゃんです。ソファで眠っていたのですか? ちゃんとお布団で眠らないと風邪をひいてしまいますよ。眠れないなら一緒に眠って差し上げます。さあ、一緒にお布団に行きましょう」

 仮登録状態に入っていた時の声に比べて現在のスノーの声は随分と明るく可愛らしい。

 しかも、スノーは雪太が居眠りしている間に至近距離まで近寄っていたようだ。

 囁くような距離で鼓膜を揺さぶられた雪太はドキッと心臓を跳ね上げさせたのだが、そのままパチリと開けた瞳でスノーの顔面を直視してしまい、ブワッと頬を赤く染めた。

『どうしよう、スノー、かわいいな』

 元から非常に愛らしい姿をしていたスノーだが入浴によって体を綺麗に洗い、身なりを整えたことで魅力を更に増加させていた。

 雨に濡れてボソボソとした塊になり、葉っぱなどが刺さっていた髪はサラサラと解け、美しく艶めかせている。

 カラスの濡れ羽色とはよく言ったものだ。

 しっかり乾いているはずの真っ黒い髪に光が反射して、ほんの少し濡れたように見える。

 また、スノーは雪太とお揃いのシャンプーを利用しているはずだが、何故か彼女からは花のような柔らかで甘い、良い香りがした。

 加えて、入浴前には無感情だった真っ黒な瞳には綺麗な瞳が入り込んでいて生気が宿っている。

 その瞳が雪太と視線を合わせた瞬間に嬉しそうに揺れ、ニコッと微笑むのだから堪らない。

 雪太は微笑み返すのも忘れて、ボーッとスノーの笑顔に見惚れた。

「ふふ、どうしたんですか? 雪太。そんなにスノーちゃんのお顔を見つめて。スノーちゃんが可愛くて見蕩れちゃったんですか? スノーちゃんは雪太のスノーちゃんですから、いくら見つめてもいいですし、触れてもいいんですよ?」

 スノーがツッと塗装の剥がれた指先で自分の胸を撫でる。

 雪太の視線が面白いようにスノーの指先を追っていたのだが、ズムッと柔らかな胸に沈み込んだ途端、食い入るように見つめてしまった。

 どうやらスノーは元のボロボロだった衣服を脱ぎ、代わりに雪太のスウェットを借りたようなのだが、メイド服と比べて少し緩やかになった胸の曲線から彼女が現在、下着を身に着けていないことが予測できる。

 また、スノーは雪太の顔を覗き込むために屈んでいるわけなのだが、明らかにズボンをはいていないのはわざとなのだろうか。

 少々スケベな格好をしていることを差し引いても、全体的にサイズの合わないダボっとしたい服を身に着け、袖の所を何度も折り返してようやく指先を見せる彼女は実際よりも少し幼く見え、大変愛らしい。

「うっ、あ、えと……!」

 雪太は一瞬の間をおいてマジマジとスノーの姿を見つめると慌てて顔を背け、真っ赤に暑くなる顔を俯かせてモジモジとした。

 そんな雪太をスノーが舌から覗き込んでニヘッと笑う。

「どうしたんですか、雪太? 触ってくれてもいいんですよ? ふふ、赤くなっちゃって堪らなくかわいいです! モジモジして、スノーちゃんのダボダボスウェットの襟からチラッと胸元を覗く視線が愛らしくて堪らないです。ふふ、見たいですか?」

 キュッと襟を引っ張って胸の谷間をチラ見せする。

 自身のスケベな視線がバレていた雪太は動転してブンブンと首を振ったんだが、スノーの胸が名残惜しいのか、偶にチラッと彼女の方を確認しては顔を背けている。

 そんな姿がいじらしくて、愛おしくて堪らなくなったスノーは、

「うぅぅ! かわいすぎですよ、雪太!! 本当はスノーちゃんが雪太のことをいっぱい、いーっぱい抱っこして触れたかったんです! 抱っこしてください! 雪太!」

 と、勢いよく雪太に抱き着いた。

 無防備に座り込む雪太に上からギュッと抱き着いてムギュムギュと柔らかな胸や体を押し付ける。

 それから、

「胸元にスノーちゃんを入れてください、雪太! 腕でギュッて隠さないで! スノーちゃんを入れた状態でモギュッてしてください! 雪太ー!」

 と、抱き着いたまま揺れてわがままを言い始めた。

 人間嫌いな雪太はインターネット上ですら必要以上に他人と関わらない。

 マルチプレイが売りになっているオンラインゲームでもソロプレイを貫き通し、他のプレイヤーから話しかけられると全力疾走で逃げ出す、内気なはぐれメ○ルのような男である。

 現実世界においても仮想世界においても、女性と私的な会話をした記憶が皆無に近しい。

 そんな彼が急にスノーから猛アタックをされても上手く対応できるわけがない。

 モジモジとしながら混乱するので精いっぱいだ。

『……やっぱりスノー、変だよ』

 ロボットに感情で高まる体温というものは存在しない。

 スノーと同じモデルのお世話ロボットは人間に近しく作られているため、ある程度は表面上の感情に合わせて機体の温度調節を行ったり、顔色や表情、声色の変化などを行う。

 しかし、いくら高性能で人間に近しい動きや態度をとれるとは言え、それにも限度というものがある。

 公式サイトのコマーシャルや実際に購入した人の動画を視て、彼女たちの人間っぽい立ち振る舞いに驚き、感動していた雪太だが、それでも画面に映る彼女たちはロボットの領域を出ていなかった。

 どこまでも高性能なだけのロボットだったのだ。

 それに比べれば、スノーは明らかな逸脱者だ。

 雪太を映せば幸福に満ち、キラキラと輝く大きな瞳。

 抱き着けた幸福と興奮で染まる頬。

 暑い吐息を漏らす小さな口。

 抱き返せという、お世話ロボットにはあるまじき主人へのお願いに、可能な限り雪太に密着しようと絡みつく四肢。

 物足りなさと癒しが混在する複雑な愛らしい表情。

 風呂上がりを感じさせる適度に温かな体温。

 スノーからは生物的な魅力すら感じる。

 これではまるで、機械の姿をしただけの人間そのものだ。

 おまけに、初期設定だって済んでいないはずなのに彼女は自分の名前を「スノー」と認識し、登録していないはずの雪太の名前まで呼んでみせた。

 どこをとっても、明らかに異常だ。

『やっぱりスノーは大きな不具合のある個体なのかな? バグ? それとも故障? 不良品ってことはないよね?』

 雪太は激しく困惑しながらもスノーに対して考えを巡らせていたのだが、あまり反応をくれなくなった彼に不満そうな彼女がプクッと頬を膨らませた。

「ねえ、雪太、考え事ですか? スノーちゃんは雪太が大好きで寂しがり屋なロボットなので、塩対応は悲しいですよ」

「え? あ、ごめんね。その、スノーのこと考えててさ」

 雪太の言葉にスノーがパッと表情を明るくした。

「スノーちゃんのことを考えてたんですか!? すっごく、すっごく嬉しいです! スノーちゃんも、ずっと雪太のことを考えてますよ。ああ、かわいらしくて堪らないです、雪太! 大大大好きです!!」

 破顔する姿は可愛らしく、眩しい。

 スノーに見惚れて雪太の力が緩むと、彼女はスルリと彼の胸元へもぐりこんだ。

 そして、流れるように雪太の頬へ、ちゅっと可愛らしくキスをする。

 一拍遅れでキスに気が付いた雪太は赤くなっていた頬を更に真っ赤に染め上げ、指先や足の裏など体の末端まで熱くした。

 口をパクパクとさせたままパニクッてスノーを抱き締める腕に力を込めれば、彼女がパタパタと見えない犬の尻尾を揺らす。

「雪太! 抱っこ嬉しいです! それに、雪太にチューできたからスノーちゃんはとってもご機嫌ですよ。大好きです! 雪太!! ふふふ、それじゃあ、スノーちゃんは雪太のためにご飯を作ってきますね。少し情報は古いですが、スノーちゃんは頭にいっぱいお料理のレシピが詰め込まれているんです! きっと雪太のお口に合うご飯を作ってみせますよ!」

 有頂天になって張り切ったスノーが、どこからか持って来たエプロンを片手にスクッと立ち上がり台所へと向かう。

 まだ、雪太の家に来てからさほど時間も経っていないのに随分と馴染んでいる様子だ。

「え!? あ、ちょっと待て!」

 楽しそうな後ろ姿に慌てて待ったをかけると、スノーが不思議そうに小首を傾げた。

「どうしたのですか、雪太。もしかして、ハグとチューが足らなかったのですか? それとも、他にお願いが? 何でも聞きますよ」

 何でも。

 とんでもないドスケベワードである。

 チョロい雪太は「何でも!?」と分かりやすくつられつつも、

「えっと、スノー、初期設定は? まだ済ませてないよね?」

 と、恐る恐る問いかけてみた。

 つい、スノーからの猛アタックにタジタジになっていた雪太だが、改めて考えてみても彼女の今の状態は異常だ。

 問いが出された瞬間にフッと無表情になった彼女は「可愛らしいスノーちゃん」ではなく、得体のしれない機械人形だ。

 ハイライトの消えた真っ黒な瞳に自分が映しこまれるとゾワッと鳥肌が立ち、背筋がゾクゾクと冷えた。

 エラーを自覚した個体が狂暴化し、持ち主を襲うようになるという都市伝説がある。

 根も葉もない、暇人の作った怪談話だ。

 もちろん雪太はそんなものを信じていなかったが、それでも一瞬、都市伝説が脳裏をよぎるほどスノーは妙な威圧感を放っている。

 恐怖を覚えつつも、固唾をのんで彼女が言葉を発するのを待った。

 だが、酷く緊張する雪太に対してスノーは驚くほどあっさりとしていて、彼からの疑問を「そんなことですか」と笑い飛ばした。

「確かに初期設定とかいう面倒くさいシステムは存在しますが、このスノーちゃんは他のロボットと一線を画す存在なので、そういうのは不要なのです。その代わり、設定するはずだった雪太の趣味や好みのお食事、アロマ、清潔レベルや環境、生活習慣にタイプの女の子などといった情報は、後から私に直接お教えください。必ずや雪太を幸せにしてみせますよ!」

 スノーはフン! フン! と鼻息荒く意気込み、頬を上気させている。

 口ぶりからして、自分が初期設定を飛ばしたというのは理解しているのだろう。

 彼女の様子が可愛らしい雰囲気に戻ってホッと安心した雪太だが、結局、スノーの状態については何も分からなかった。

『どういうことなんだろう。初期設定を飛ばしたって受け入れてる状態が本当におかしいと思うんだけれど。スノーのバグって、修復不可能な段階にまで入っちゃってるのかな? あとは、スノーのボディに別のロボットのAIが組み込まれてるとか? いや、でも、スノーは○○社のお世話ロボットだって自覚してるみたいだから、それは無いよな。というか、やっぱり自覚できるってところがいようというか……』

 考えすぎて頭が熱くなる。

 チラリと横目でスノーの姿を確認すれば、彼女はニコッと笑って雪太に微笑みを返した。

 雪太の胸がキュンッと鳴る。

『うっ! かわいい!! 俺、自分を溺愛してくれる甘えん坊のお嫁さんロボットがめちゃくちゃ欲しかったから、不具合の内容が、何か知らないけど所有者を溺愛してくるってことなら、別に直さなくても良いのかな。むしろ、直さない方が良いかも。いまさら素っ気なくされるの嫌だし』

 少なくとも今の段階ではスノーの秘密を暴くことはできない。

『今日の所は考えるのを止めとこうかな。それよりも、スノーとイチャつきたい』

 雪太、意外と欲に忠実である。

 それに、そもそも彼はあまり細かい事を気にしない。

 見た感じスノーは無害であるし、それならば甘くイチャつく方が楽しかろうと雪太は思考を切り替えた。

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