第2話 逃避行
ゴブリンとの戦闘後、俺たちは地上を目指して進んでいた。
歩きながら、これからの予測を立てる。
ここまでのことが起こっているのだ、地上の敵も相当混乱しているだろう。
その混乱が収まってしまう前に地上に出て、ここを離れる。俺とサラームたちの見解は一致していた。
ひとまずは小休憩を取りつつ、先を急ぐことにした。
小休憩の間、サラームと話し合う。
地上を目指した後、どのルートから出るのか。現在地上がどうなっているのかの予想を膝をつめて話し合い、今後の計画を建てていた。
しかし、隊の一人が話したいことがあると言って入ってきたので、話し合いを中断して報告を受ける。
『それが、小便に行くと言って離れたやつが、戻らないんです』
『…どうする?探すか?』
『いや、隊全体を危険に晒すわけにはいかない。だが…』
そんな中だった。
『う、うわぁぁぁぁっっ!!!』
あたり一体に悲鳴が響く。
何が起こったのかと声の方へと向かえば、そこには大きな蛇のようなものに足首を絡め取られ、宙に浮かんでいる隊員がいる。
『おいおい…まるでキングコングやらジュラシックパークみたいなことになってきたな』
『そんなこと言ってる場合か!?俺らじゃ太刀打ちできるかもわからんぞ!』
『全員退避だ!ここで全滅する気か!?』
『ううあ、た、助けてくれ!!』
ここで退避するか、それとも仲間を助けるか。
迷っている時間はない。
『くそ、逃げるぞ!!ここで全滅するわけにはいかない!』
『隊長!でも!』
『いいから従え!死にたいのかお前たちは!』
サラームの号令で、一斉に駆け出す。
走って走って、背中から一際大きな悲鳴が聞こえる。
見てはいないが、直感的に悟る。ああ、食われた、と。
『なんなんだここは!バケモノだらけだ!』
『ひとまずは地上に出よう。地上に出て情報を集めるしかない』
『ハグロ、すまないが先行してくれ。俺たちの中で格闘技術と偵察技術が一番高いのはお前だ』
『了解。明かりは最低限にしよう。気づかれる』
言葉少なに、俺は隊列の前に出る。
五感を研ぎ澄ましながら、周囲を警戒して前に進む。
この場にいるのが、ゴブリンのような相手だけではなく、正真正銘人間ではどうにもできない化け物がいるということがわかった以上、長居はしていられない。
『あの化け物が追いついてこないうちに、上に上がる道を探すぞ』
そうして上に上がる道を探しているうちに、徐々に疲労の色が濃くなってきた時だった。
背後の気配が突如消える。一気に嫌な予感がして、背筋が冷えるのがわかる。
後ろを振り向けば、最後尾の隊員の首がなかった。
文字通り、削り取られたように、首から上が存在していなかったのだ。
『停止!周囲警戒!』
俺は右手を挙げて、周囲を警戒する。
何が起きているのか。得体の知れないものが、必ずそばにいる。
それを放置して、ここから逃げ出せるはずがないと思わされるほどの背筋の冷え方。
『くそ、また一人持っていかれたか』
『周囲警戒だ。わけのわからん何かが近くにいる』
『音も何もなかったぞ』
心臓の鼓動が嫌に響いているのがわかる。
どんな音も聞き逃さないよう、会話はない。それぞれが任された方向を注視し、敵の姿を視認するのを最優先に行動する。
『があぁっ!!??』
それでも、また一人犠牲者が出る。
今度は脇腹だ。削り取られるような傷が残り、出血がひどい。もう助からないことは誰の目にもわかった。
『…おいていってくれ。俺がいれば、わざわざみんなを追いかけることもない』
『ティム…すまん』
隊員を餌にして逃げる方法は、部下思いのサラームにとって身を割くような気持ちだろう。
だが、今はそれ以外に方法がない。
足の止まるサラームの手を引いて、前へと走り出す。
『ハグロ…俺は、俺は…』
『しっかりしろ。大将がグラつけば、下も揺れるんだ。後悔も何もかも、今は飲み込むしかない』
『クソッ、バケモノどもめ、いつかまとめて葬ってやる』
血が出るほど唇を噛んだサラームたちと共に、先に進む。
また背後で声がする。今度はくぐもったような、苦しみの声だった。
———————————————————————
その後も、同じようなことが続いた。
出口へ向かうにつれ、疲れは溜まり、足は重くなる。その隙を突かれて、誰かが傷つく。その度に置いてきた。
叫び声、くぐもった声、声にならない声、それら全てを後ろに置いてきた。
そうして上がる階段の前に来た時には、既に俺とサラームしか残っていなかった。
『ようやく…着いたな』
『あぁ。ウォロウ、エルトン、ティム、アーラシュ、ローサ、バルトワード、ティムシー…全員、俺たちが置いてきた』
『何もかも、地上に持っていこう。後悔も、あいつらの生き様も』
『あ』
サラームの返答がすぐに途切れたため、そちらを向く。
その体からは、血に濡れた、赤い剣が突き出ていた。
『サラーム!?』
『逃げろ…ハグロ…』
逡巡は一瞬だった。
あの傷では、地上に連れて行っても持たないかもしれない。だが。
「おぉぉぉっ!!」
サラームの背後に脇差を突きたてるが、剣の持ち主は手を離し、その場から飛び退く。
敵の姿をようやく認識する。それは、二足歩行の狼だった。
「人狼…?」
俺の呟きに答えるようにウォンとひと鳴きした人狼は、その爪と牙で喰い殺さんと飛びかかってくる。
その鼻っ面に、横から鞘を叩きつける。犬の弱点は鼻先だ。
その一撃で怯んだ隙に鞘を手放し、腰からお手製の催涙玉を投げる。唐辛子に胡椒、玉ねぎを混ぜたものだ。
人間相手ならそれなりだが、嗅覚をはじめとした五感が鋭い人狼にはたまらないだろう。
鼻や目を抑えた人狼に飛びかかり、遮二無二刀を突き刺す。毛皮は硬く、反撃の危険性はあったが、それでも俺はここでこいつを仕留めなければならないと考えていた。
おそらく、安易にこちらに飛びかかってきたのは、こいつが俺たちを舐めていたからだ。だからこそ、警戒される前に殺し切る。
必死に抵抗する人狼の手足に突き刺し、腱を切る。
体に突き刺し、傷をつけ弱らせる。
そうしてだらんと伸び切った人狼の首に差し込み、そのまま横に切り裂く。
その一撃を最後に、人狼はその目から光を失った。
『サラーム、仕留めたぞ。上に行こう』
『ハグロ…』
『他の奴らがあそこまで身を張ったのは、あんただからだ。あんたを置いて行っては、他の奴らに申し訳が立たない』
『あぁ、そうだな、生き残らねば…』
肩を貸して、二人で上へと進んでいく。
体の疲れもピークだったが、それでもここから出られるという感情が体を前へと運んでくれる。
階段を上がった先には、部屋があった。
その中央では、山羊の頭をした、まるで悪魔のような怪物が鎮座している。
怪物は、こちらをみると、俺たちでもわかるほどにんまりと笑った。
サラームをその場に座らせ、刀を構える。
相手の出方を見ていると、山羊頭は、手のひらを上に向けるようにして、両手を方ほどまでの高さまで上げる。
すると、山羊頭の周囲に、火の玉が生まれ始める。
「…おいおい、次は魔法か…?」
山羊頭が指揮者のように手を振ると、生まれた火球は次々と俺たちの方へと向かってくる。
「くそっ!」
サラームを肩に担いで横に飛ぶ。
傷のこともあってそこまで激しく動かしたくないのだが、そうも言ってはいられない。
しかし、その火球は徐々に距離を狭め、ゆっくりと俺たちを追い詰めてくる。
『ハグロ、もういい。俺に構うな。お前一人なら、あのバケモノにも対抗できる』
『バカを言うな、ここまできたんだ。意地でも連れて帰る』
『ハグロ…』
とは言っても、ほぼ打つ手がない。
この局面の打開策を考えていると、サラームが話し始める。
『ハグロ、次の攻撃、俺が自力で避ける。その間に突っ込んで、あいつを仕留めてくれ』
『…できるのか?その傷じゃ、動くだけで辛いはずだ』
『何、食われたアイツらに比べれば、問題ない。やっちまえ、ハグロ』
その言葉に頷いて、次の攻撃を待つ。
山羊頭が火球を出し、こちらに放つ瞬間、足に力を入れて前に出る。
少し驚いたような顔をした山羊頭は、既に火球を放ち切り、ほぼ丸腰状態。
首筋目掛けて脇差を振るう。
刃筋が見える。その軌跡をなぞり、首に吸い込まれるようにして脇差は山羊頭を跳ね飛ばした。
『やったぞ!サラーム!…サラーム?』
勝利の報告をしようとサラームに話しかけるが、返答がない。
後ろを振り返ってみれば、そこには攻撃を避けられなかったサラームだったものがあった。
火球の威力は凄まじく、ベストも何もかも吹き飛ばし、残骸の中で原型をとどめていたのはドックタグのみだった。
『サラーム…すまない』
きっと、2人ではどうすることも出来ないと悟り、俺に自分のことを切り離させたのだろう。
サラームの覚悟を見誤っていたことを、今になって痛感する。
サラームの遺体の前で弔いの言葉を残し、ドックタグを回収して上に向かう。
目が眩むほどに光の射す先へ歩いていくと、その先には――――
更なる洞窟が広がっていた。
「おい…嘘だろ…?」
あまりのことに、思わず膝をつく。
これからあと何回上に上がればいいのか。そもそも、ここはどこなのか。
何もかも手探りな状態で、ここまで来たのだ。
自分以外の仲間を全て犠牲にしてたどり着いたのに、それでもなお地上へ上がれない。
その事実は、今の俺には受け止め切れるものでは無かった。
どっと疲労が体を襲う。足に力が入らず、思わずその場にへたり込む。
頭も回らず、一種の酸欠状態のような感覚に陥る。
満身創痍の状態で、ふと頭に
『修平。忍びは諦めてはならん。生きて、情報を持ち帰る。それ即ち最上よ。何時いかなる時でも、生きることを第一に動け』
「はっ…クソジジイ、どっかで俺の事見てやがんのか…?」
師匠に付けられた修行を思い出す。
ようやく終わりだと思ったら、休憩を取ってまだやると言われた時のことを。
一本取ったと思ったら、いきなり十本勝負に変えられ、ボコボコにされたこと。
泣き言を言った瞬間に、その日の修行の量が倍になったこと。
いい思い出が一切ない。
だが、それらに比べれば、今の状況は随分と楽なはずだ。
こちらの動きを読んで、先回りしてくる妖怪のようなジジイは居ない。
考えを察知して、先に手を打ってくる化け物のようなジジイは居ない。
全く勝てない、最早天狗か何かじゃないかとすら思うジジイは居ない。
あの爺さんが居ないこの状況で、諦めるほど俺のこれまでは軽くない。
「クソッ…まずは水場だ」
生きて帰るために、行動を開始する。
水場を探して、歩き始めたその時。
背中に衝撃が走る。
「なんっ……!?」
振り返ると、そこにはピエロのような姿形をした小男が立っている。
俺が茫然自失になっている間、周囲の警戒を殆どできていなかった。そのせいで、簡単に背後を取られたのだ。
「お前は一体…っ!?」
「キキキキキキ!!!」
そのピエロが金切り声のような笑い声をあげると同時に、体に異変が起こる。
手始めに足が動かなくなった。視線をやると、足首までが石のようになり、その状態は徐々に上がってくる。
「クソッ…!!クソがぁぁ!!」
足が動かない以上、もうどうすることも出来ない。
徐々に固まって行く体でもがいても、ピエロには届かないだろう。
(すまない、サラーム…すまない、みんな…)
仲間たちへの謝罪と共に、俺の意識は二度目の暗転を迎えた。
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