第3話 おとしもの


 僕は車いすに乗って一人で通学路を進んでいた。一緒に帰るような友達は僕にはいない。学校の周りの道で、陸上部がランニングをしている。そのうち何人かは義足で走っている。僕の車いすが歩道をふさいでいるので、彼らは車道側に飛び出して僕をよけた。


 学校から家までだいたい30分くらいかかる。だが、電動車いすで移動するので疲れたりはしない。段差につまづかないように注意するだけだ。僕は登下校中の時間をぼーっと空や街を見て過ごしていた。


 僕の住む街には川が流れている。僕はいつも川にかかる小さな橋を渡って家に帰る。僕は今日も寄り道せずにまっすぐ家に向かい、いつものように橋を渡った。


 橋の真ん中まで進んだとき、地面に黒い長財布が落ちているのに気がついた。財布がいくらか膨れているように見えるのは、中身がたくさん入っているからだろうか。まわりを見渡したが、落とし主らしい人の姿はない。


 僕は少し考えて、財布を拾うため肩と腰についているベルトを外し、車いすをおりた。


 僕の足にはどこも悪いところはない。車いすに乗っているのには別の理由がある。


 僕は財布をとろうとして手を伸ばした。手を伸ばした瞬間、財布が僕の手から離れるように移動した。


 いや、違う。

 僕が財布から遠ざかっている。


 僕の体は見えない力によって釣りあげられるように上へ引っぱられた。地面があっという間に見えなくなって、空に投げだされた。冷たい空気が顔にあたり、風を切る音がすべてをかき消した。


 僕は少し驚いたが、取り乱したりはしない。僕にはよくあることだ。しばらく上昇がつづいていたが、ふいに体を引っぱっていた力がなくなった。内臓がひっくりかえるような浮遊感とともに、地上への落下がはじまった。地面がどんどん大きくなり、道を歩く人がはっきり見えてきた。


 僕は矢のような速さで地面に墜落したが、衝撃はいっさいなかった。今まで空を飛んでいたのが噓のような、おだやかな着地だった。


 着地した場所は国道沿いの交差点だった。道路わきに「注意!交通事故多発」の看板が立てられていた。僕はふたたび空に飛ばされないように看板をつかんだ。


 ふう、と胸をなでおろして、僕は“ネクスタ”のチャットアプリを起動し、家族チャ

ットに『HELP!』のスタンプを送った。


 ◇ ◇ ◇

 

 ネクスタとは、僕の時代でひろく普及している生体埋め込み型コミュニケーション端末Body-implanted Communication Deviceのことで、頭文字がBCDであることから、アルファベットで“A”のnext、あるいは新世代next ageとかけて、“nextaネクスタ”と呼ばれている。


 ネクスタの機能によって、視界にはホログラムのようにチャット画面や各種アプリケーション画面を表示することができる。


 ネクスタは聴覚にもアクセスすることができ、昔の人間が使っていたイヤホンなどの端末がなくとも耳に直接音声を伝えることができるのだ。


 ◇ ◇ ◇


 僕が救援信号を発してからしばらくして、道路のむこうからこちらへ歩いてくる人影が現れた。その後ろから僕の電動車いすが後をついていた。その人が僕に話しかけた。


 「耀佑ようすけ、あんたまた飛んだの」


 車いすを僕に渡し、あきれたように話しかけてきたのは、凛堂若菜だった。



 

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