第25話 出来ること、変わること 8

   ※side:清歌※


「……ねえ、なんかマズくない白川さん? ちょっと注目浴びてる気がするんだけど」

「そうね……このままだと良くないかもしれないわ」


 モールの入り口付近の屋根下で、清歌は里穂と一緒に困り顔を浮かべていた。

 今の会話の通り、注目を浴びてしまっているからだ。


 否、まだ注目というほどの注目ではない。

 しかしモールの入り口付近を通りかかる人々が、ずぶ濡れのこちらを不思議そうにチラリと見つめ、それから「ん?」と清歌を二度見してくる感じが続いている。


 確信はないが、アレって白川清歌じゃね? と言いたげな視線。

 それがだんだんと集まりつつある状態。

 いつこちらの正体に気付かれてもおかしくはないその緊張感が、清歌の心から平常心を奪い取っていく。


 疲れ始めている最近の清歌。

 プライベートでも堂々と過ごすことを信条にしていた彼女はしかし、それでは自分が持たないことを痛感し始めていた。


 常に浴びる注目が息苦しい。

 常に誰かが見ているのだと意識するのがつらい。

 

 仕事と学校を往復するスケジュールで動いていた頃は、注目なんてそれほど気にならなかった。

 仕事がセーブされ始め、プライベートで過ごす時間が多くなってから、清歌は注目されることに息苦しさを覚えるようになった。

 

 それは恐らく、特別扱いの時間が増えたからだ。

 仕事に行けば、現場では1人の役者でしかなく、周りにも芸能人が居るので注目が分散するし、現場のスタッフたちは芸能人を見慣れているから、いちいち騒ぎ立てたりしない。


 ところが、プライベートにおいて清歌は唯一無二の存在だ。

 否が応でも目立つ。

 仕事がセーブされ、学校に居られる時間が増え、その目立つ時間が増えてしまったことで、清歌は苦しくなった。


 無論、プライベートで正体を隠さない選択をしたのは清歌自身であり、自業自得的な部分もあるにはある。しかしながら、目立つ時間の増加がこれほどまでに苦しいとは思わなかったのである。

 

 常に注目を浴びるプレッシャー。

 身なりの乱れが気になって、休み時間ごとにトイレの鏡に向かう日々。

 変な姿を晒して笑い者にはなりたくない。

 そういった些細な心配が積み重なり、清歌は1人でストレスを抱えていた。

 つらさを表に出すわけにはいかないので、表では常に笑顔。

 そんな仮面を作ることさえ、ストレスの一因である。


 だから今日こうして二郎から気分転換に誘われたのは嬉しかった。

 気に掛けていた二郎から、逆に気に掛けてもらえたその事実。

 それが清歌の心を楽にしてくれたのは確かなことだった。


 とはいえ――

 この気分転換の場においても、結局注目されてしまいそうな現状。


(私はもう……逃れられないのかしら)


 注目を浴びることが定めだと言わんばかりの洗礼。

 その因果からはもう逃れられないのだろうか。


 無論、女優として成功の道を歩んでいる代償として、そういった立場を甘んじて受け入れるしかないのは分かっている。

 

(けれど……)


 せめて、今だけは――。

 こうして変装をしているときくらいは、しがらみから解放させて欲しい。


 ところが、清歌のそんな願いを踏みにじるかのように、やはりじわじわと視線が集いつつある。


 ――なあ、アレって……。

 ――白川清歌?

 ――どうなん?

 ――マジで本人か?


 ヒソヒソとした会話が聞こえてきて、清歌は泣きそうになった。

 しかしだ。

 そんな沈鬱な気分を一蹴してくれるまさかの事態が、直後に巻き起こることになった――。



「――おいっ。あっちに一式一人が来てるってよ!!」



 誰かがそう言った。

 それを受けて、モールの入り口付近には静寂が訪れた。

 今の言葉をまだ、誰もきちんと理解出来ていない雰囲気。

 ポカンとした空気の蔓延。

 しかしだんだんと理解する者が現れ、やがてこの場は堰を切ったようにざわついた。


 ――えっ、一式くん!?

 ――なになに!? なんかのイベント!?


 清歌のことを遠巻きに注視していた野次馬たちが、1人、また1人とモールの中に移動していく。

 隣の里穂が「え! 一式くん来てんの!?」とテンションを高ぶらせたそんな中、


(い、一式くんがここに……? ロケ? プライベート?)


 当然ながら清歌も、唐突な報せに混乱していた。

 そのあいだにも、周囲の野次馬たちがモールの中にこぞって大移動。本人かどうか定かではない清歌よりも、確実に来訪中であるらしい一式を観に行ったのだと思われる。


 一方で、里穂のスマホに何やら連絡が届いていた。


「ん、二式からのLINEだ」

「二式くんから?」

「なんかね、『着替え類は確保したからどこか人目のないところに移動しといてくれ。僕は一式の野次馬で揉みくちゃだから遅れる』だってさ。えー、マジで一式くん来てるんだあ。いいなあ観に行きたーい……」


 ぼやくように里穂が嘆く。

 清歌はちょっと腑に落ちない感覚に包まれていた。


(本当に一式くんが居るのね……にしたって、こんな絶妙なタイミングで一式くんが現れるというのは、偶然で片付けていいのかしら……)


 清歌が注目を集めそうになっていたこの状況で、さながら清歌の援護でもするかのように、モール内に一式が出現。そして注目をかっさらってしまった。

 偶然にしては出来過ぎな気がしなくもない、と思う清歌だった。


(しかも二式くんの姿が見えないこの状況……)


 二郎からは、一式と同じ匂いが漂っていたことが記憶に新しい。

 だからおんぶをされたあの時のように、清歌の脳裏にはまたしても妙な考えがよぎってしまっている。


(……まさか……本当にそういうこと……?)


 どうなのだろうか。

 考えても正解かどうかの判断は付かない。

 だからひとまず気を取り直し――


(……今は二式くんの言づてに従いましょうか)


 色々と気になる部分はあるものの、来訪したらしい一式のおかげでピンチを脱出出来た。

 ならば、この状況を生かさない手はなかった。

 清歌は改めて里穂に目を向ける。


「富山さん、私は言づてに従って人目のないところに移動するけれど、あなたは一式くんを観に行きたいなら行ってきてもいいわよ?」

「え? あぁいや、そこは我慢するし。観に行きたいけど、白川さんを1人には出来んしね」

「富山さん……」

「さ、早くこんな人目の多いところからは離れよ? 雨やんできてるし、近くの公園とかでいいんじゃない? 多目的トイレとかあればそこで着替えも出来るだろうしね」

「そうね……行きましょうか」


 里穂の気遣いに感謝しながら、こうして清歌は人目のない公園へと場所を移すことになった。


   ※side:二郎※


(そろそろ白川さんたちは移動した頃合い、と見ていいかもな)


 そう考えている二郎は現在、一式としてモール内の広場で野次馬たちに取り囲まれていた。キャーキャーと黄色い声を浴びながら、若い女性に押し掛けられ、握手やサインをねだられている。遠巻きにスマホを向ける男女も無数に存在しており、この場は混沌と化していた。


(さて……僕もぼちぼち撤収しようか)


 一応握手やサインに応じていた二郎は、キリの良いところで「プライベートだからここまで。ごめんね」と言いながらファンの肉壁を突破し始める。

 やがてどうにかこうにか普通に移動出来るようになった二郎はトイレに入り込み、個室の中でメガネをかけて髪の毛のセットを台無しにする。そして上着を脱いでリバーシブル。脱出時のことも考えてデザインを変えられる上着を買っておいたので、裏面を表にして衣装チェンジ。

 下は特徴のないジーズンだ。それをダサい感じにまくり上げておく。


「よし」


 こうして冴えない陰キャに戻った二郎は、堂々とトイレの外に出た。

 すると一式を待ち構えていると思しき野次馬で通路が埋め尽くされていた。

 二郎は若干どきっとしつつも、陰キャを装って素通りを試みる。

 そして問題なく野次馬の壁を通り抜けられたところで、コインロッカーで荷物を回収。

 無事にモールの外まで脱出した二郎は、里穂に通話をかけた。


「もしもし富山さん、どこに移動した? やっと外に出られたから合流しよう」

『あぁえっとね、南に200メートルくらい歩いたところの公園に居るから、早いとこ来てよね』

「分かった」

『あ、ちなみに一式くんの写真って撮ったりした?』

「え……別に撮ってないが」

『えー、なんでさー』


 ぶーぶー、と可愛らしくブーイングされてしまった。

 若干の理不尽さを感じた二郎も「ぶーぶー」と言い返しつつ、2人が待つ公園へと向かうことにするのだった。




――――――――――

あと2話で終わります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る